見出し画像

こちらのほうですよ

「今日、命を止めようとしていましたけど、ツイートを見てもう少し生きてみようと思いました」

たまに、こういう内容の言葉をいただく。Twitterという大きな空間の一隅で「にゃんひー」の発言を始めて7年ほど経つが、救われましたといったメッセージが届く事は少なくない。でも、まず語る前に言っておきたい。

「救われているのはこちらのほうですよ」と。

とてもとても

にゃんひーのざっくりした歴史は、

ここに書いてある通りだ。作った当時は別のアカウントをメインに運営していて、たまたま描いて公開したネコに名前すらなかった。それが今は、にゃんひーという可愛い名前をいただいてすくすくと育った。我ながら、よくもまあここまで続いたなと思う。続いた大きな要因は、もちろん見てくれているあなただ。

先ほどの記事にもあるように、同ジャンルの人たちとの横の繋がりは一切ない。過去のいじめから人前に出るイベントなどは参加不可能で、社交性なしの人間でもあるから、そういう方々と知り合いになったり仲間になったりもできないし。チャンスというチャンスを全て逃しながら、にゃんひーの創作自体は約7年間ずっと

完全1人

でやってきた。今もそうだから、いわゆるingか。とはいえ、これもまた先ほどの記事内にあるように「寂しい」とは思わない。見てくれている人が、つまりあなたが確かにいて、それを感じられるからだ。感じられるから力が湧く。力が湧くから書ける。つまり、

あなたのおかげで続けられている。

私が書いている言葉が少しずつ広がっているのは、なんの事はない、私の手柄ではなくあなたのおかげなのだ。「私なんて」と言うと叱られてしまうかもしれないが、ここではあえて言わせてほしい。謙遜ではなく、本気で思っている。私の力なんてとてもとても――と。レベル的には、覇気を纏ったモンキー・D・ルフィに一撃でやられるパシフィスタのPX-5程度だろう。(少し盛った。デマロ・ブラックだった)

立ち位置

誤解しないでほしい。「救われた」と言ってもらえるのは、素直に嬉しい。こんな人間でも、誰かを一瞬でも救えているのかと思えるから。表情には出さず、けれどにこにこしている。

ただ、私は誰かを救おうと思って書いているわけではない。ツイートでの立ち位置は、あくまで

自分宛

であって、誰か宛ではない。「現在の生き辛さ」や「抱えている苦しさ」や「過去に経験した事」や「こうあればいいなの理想」や「こういうのは嫌だなの意思表示」や「したくてもできない歯がゆさ」について、自分で自分に伝えている形で発言しているだけ。

それが、誰かの悩みや経験や思想と重なり、結果的に救えているわけで。私が素晴らしい思想を持っているからではないし、達観した言葉を操れるからでもない。ゆえに、自分では「人を救っている」が正直ぴんときていない。

むしろ、こんな私的な言葉でいろいろな事を考えたり、感情を揺さぶったり、救いを感じたりしてもらえているなんて、私のほうこそ嬉しくて光栄だし、書く意味があるんだと思えて救われている。だから、やはり

「救われているのはこちらのほうですよ」

以外の何物でもない。

まとめ

命のなくし場所を探しながら過ごしている人は、私の知る限り少なくない。あとはタイミングと運だけだという状態も、珍しくない。

「消えたいという人は消えないよ」と、知ったふうに括って語る人に出会っては、より消えたくなりながら。「死ぬ気があるなら○○すればいいのに」と、自分の意識のままでスライドしただけなのに相手の立場に立ったつもりの発言をぶつけられては、より絶望して涙を流しながら。

いろいろな事情を抱えて、気持ちを携えて、それぞれがそれぞれの過ごし方をしていると思う。必死で暮らしていると思う。そういう中で、私はこれからも何も変わらずに自分宛の言葉をルールの範囲内で好きなように書いていくつもりだ。時代がどう変わろうと、天地がひっくり返ろうと、特に何も変わらずに。

だから、よろしければ。

読みたいなと思う時にでも、訪れてほしい。

同じ事を繰り返し言いながら、いるから。

「まだいるんかい」くらい、ここにいるから。


いいなと思ったら応援しよう!

エトナシ サラ
こちらのボタンを押して「サポート(投げ銭)」をいただけると、書くチカラになります。活動を続けていくための支えになります。サポートをしてくれた方には、私から御礼のメッセージを贈らせていただいています。