見出し画像

小籠包の皮につつまれたい

テーマを決めてnoteであれこれ書くとか、言葉を添えたイラストをTwitterで描くとか。そういう活動を続けていると、

いろいろな事を深く考える人

などと思われたりする。また、そういうイメージがありますと言われる事も少なくない。確かに、無駄に掘り下げて分析したり達観した物言いをしたりするから、思われるのは当然と言えば当然。

でも、実際には「それほど」考えていない。いや、

その時しか考えない

が正確な言い方かもしれない。こうして何かを書く時にやたら深く考えるだけで、それ以外ではほぼ何も考えていない。凪だ。

生きるとは何か?
恋と愛との違いは?
努力は報われるのか?
未来を作るヒントは?
過ごしやすい世界にするには?

そんなハンガーの引っ掛ける所みたいな形のクエスチョンマークなんて、普段は束ねてタンスの中に突っ込んでいる。

画像1

勿論、考える人を否定もしない。考える人は考えていいし、それはそれで1つの生き方だと思う。ただ、私はそういうタイプじゃない。ずっと頭に置いてコトコトじっくり煮るように考えると疲れるし、なんか面倒くさいし。だから、常に頭の中には

そんなもん適当だよ適当

と軽くあしらう奴がいる。小さな自分というか、自分の中の天使と悪魔の悪魔というか。まあ、なんかそんな感じの奴が。思考にブレーキをかけてくれるわけだから、そういう意味では天使かな。悪魔じゃなくて。堕天使?んー。

――とかなんとか考える時に「適当だよ適当」と、助言してくれる。自分に言い聞かせる呪文みたいなもの――これなら分かりやすいか。

というわけで「深く考える人」だなんてとんでもない。あっさいあっさい考えしか、普段は持ち合わせていない。だから「子供みたい」とよく笑われる。

でも、それでいい。

「大人みたいな大人」には出せない味があるだろうし、子供みたいな大人だからこそ気付ける景色もあるだろうから。私は、そういう景色のほうを知りたいと思う人に、自分はこれからも見せていきたい。

決め付けるでもなく。

押し付けるでもなく。

ただただ適当に。

こうやって書いている今だって、だいぶ不真面目に「あー。ちょっと寒いから小籠包の皮にくるまって一緒に蒸されてー」としか思っていないし。

あ。

シュウマイもいいな。(知らんし)

いいなと思ったら応援しよう!

エトナシ サラ
こちらのボタンを押して「サポート(投げ銭)」をいただけると、書くチカラになります。活動を続けていくための支えになります。サポートをしてくれた方には、私から御礼のメッセージを贈らせていただいています。