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小籠包の皮につつまれたい
テーマを決めてnoteであれこれ書くとか、言葉を添えたイラストをTwitterで描くとか。そういう活動を続けていると、
いろいろな事を深く考える人
などと思われたりする。また、そういうイメージがありますと言われる事も少なくない。確かに、無駄に掘り下げて分析したり達観した物言いをしたりするから、思われるのは当然と言えば当然。
でも、実際には「それほど」考えていない。いや、
その時しか考えない
が正確な言い方かもしれない。こうして何かを書く時にやたら深く考えるだけで、それ以外ではほぼ何も考えていない。凪だ。
生きるとは何か?
恋と愛との違いは?
努力は報われるのか?
未来を作るヒントは?
過ごしやすい世界にするには?
そんなハンガーの引っ掛ける所みたいな形のクエスチョンマークなんて、普段は束ねてタンスの中に突っ込んでいる。
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勿論、考える人を否定もしない。考える人は考えていいし、それはそれで1つの生き方だと思う。ただ、私はそういうタイプじゃない。ずっと頭に置いてコトコトじっくり煮るように考えると疲れるし、なんか面倒くさいし。だから、常に頭の中には
そんなもん適当だよ適当
と軽くあしらう奴がいる。小さな自分というか、自分の中の天使と悪魔の悪魔というか。まあ、なんかそんな感じの奴が。思考にブレーキをかけてくれるわけだから、そういう意味では天使かな。悪魔じゃなくて。堕天使?んー。
――とかなんとか考える時に「適当だよ適当」と、助言してくれる。自分に言い聞かせる呪文みたいなもの――これなら分かりやすいか。
*
というわけで「深く考える人」だなんてとんでもない。あっさいあっさい考えしか、普段は持ち合わせていない。だから「子供みたい」とよく笑われる。
でも、それでいい。
「大人みたいな大人」には出せない味があるだろうし、子供みたいな大人だからこそ気付ける景色もあるだろうから。私は、そういう景色のほうを知りたいと思う人に、自分はこれからも見せていきたい。
決め付けるでもなく。
押し付けるでもなく。
ただただ適当に。
こうやって書いている今だって、だいぶ不真面目に「あー。ちょっと寒いから小籠包の皮にくるまって一緒に蒸されてー」としか思っていないし。
あ。
シュウマイもいいな。(知らんし)
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