異世界へ召喚された女子高生の話-75-
▼疑惑の少女再び
馬車の中、高橋美咲は窓の外に広がる闇を見つめながら、どうしても気になることがあり、意を決して口を開いた。
「サイラス騎士団長、頬にまだ、私のつけたキスマークが残っていますよ。拭き取っておいた方がよろしいのではないでしょうか?」
サイラスは笑みを浮かべて答えた。
「なあに、これは騎士にとっては名誉なこと。伯爵も妻も気にはしますまい。」
その堂々とした態度は立派だと思うが、美咲が山田の為にと、たっぷりと塗ったリップの跡なので、見るのが恥ずかしい。
「サイラス騎士団長、言葉にしなくとも、奥様はやはり、他の女性のキスマークを見ると、お心を痛めていると思いますよ。」
美咲は遠回しに促してみる。
それを聞くと、さすがのサイラスも愛妻家なのか、ハンカチでキスマークを拭き取った。
「やはり、私もまだまだレディの気持ちを理解していないのですな。ケイリー殿、ご忠告感謝します。妻を傷つけるところでしたね。」
理解してもらえて、美咲はほっと胸を撫で下ろした。
すっかり日も暮れた頃に到着したカストルムの街は、外周を高い城壁で囲まれた城塞都市だった。
石造りの重厚な城壁は、どこかロウェンの城を彷彿とさせ、美咲の心に暗い影を落とす。
馬車を降りると、カラドール騎士団が左右に整列し、厳粛な表情で彼らを迎えた。
サイラス騎士団長に先導され、美咲とソナは城門をくぐる。
石で組まれた無骨な城内へ足を踏み入れると、風通しの悪い澱んだ空気と、かび臭い匂いが鼻を突いた。
日が暮れた無機質な空間はひんやりとしており、不安な心を煽るようだった。
長い石畳の通路を進むと、大きなホールにたどり着いた。
高い天井からは重厚なシャンデリアが垂れ下がり、薄暗い光が周囲を照らしている。
正面の一段高い場所には、上等な衣服を身にまとった中年の男性が座していた。
おそらくカラドール伯爵だろう。
周囲には厳しい表情の臣下たちが威圧的に居並んでいる。
サイラス騎士団長が片膝をついて跪くのを見て、美咲も同じようにしようと身を屈めかけた。
その瞬間、ソナがそっと囁く。
「ケイリー様、女性は姿勢良く、手はスカートの両脇ですよ。」
「あ、そうなの?」
美咲は慌てて姿勢を正し、ソナの真似をして立ち止まる。
かび臭い空気の中、花の香りを纏った美咲の周囲だけは、まるで穏やかな風が流れているかのようだった。
「カラドール伯爵様、サイラス・アシュクロフトでございます。ご命令に従い、件の英雄ケイリーを連れて参りました。」
サイラスが恭しく頭を下げて挨拶する。
「サイラス、ご苦労。なるほど、芳しい花の香りがするな。まさかと思うが、ベルトランの報告にあったケイリーとは、その方か?」
城の主人、リシャール・フォン・カラドールが興味深そうに美咲を見つめる。
美咲は片足を後ろに引き、膝を軽く曲げて上半身を前に傾ける深いカーテシーを行い、一瞬視線を下げて敬意を示した。
「初めまして、カラドール伯爵様。私、ケイリーと申します。お目にかかれて光栄でございます。」
丁寧に名乗ると、伯爵は微笑を浮かべた。
「ベルトランの報告によると、村を占拠していたゴルバスたちを一掃してくれたそうだな。あの恥ずべき元騎士たちを退け、領民を救ってくれたこと、感謝する。」
美咲は控えめに微笑み、再びカーテシーで応える。
「できるなら、事の経緯を話してもらえるかな?」
伯爵が説明を求めると、美咲は静かに頷いた。
「偶然にも所持していました唐辛子という植物の実を煎じて熱し、煙で鉱山に立てこもる一団を燻しました。それで無力になったところを捕らえました。私にも信じられない幸運であり、良き仲間に恵まれた結果だと思います。」
謙虚に語る美咲に、伯爵は興味深そうに眉を上げた。
「隊長のゴルバスや部隊長のドーガンとは剣で立ち合ったと聞いたが、それはまことか?」
核心を突く問いに、美咲は一瞬言葉に詰まる。
はぐらかしたかったが、正直に答えるしかない。
「ゴルバスは煙から逃れ出たところでしたし、ドーガンは私の姿に油断したのでしょう。剣の切れ味を活かして武器を両断し、降伏させました。」
できる限り詳細を省き、控えめに語る美咲。
その言葉に、周囲の臣下たちがざわめく。
その中の一人、ミカエル・フォン・ヴァルトハイムが一歩前に出て、丁寧に尋ねた。
「武器を切るとは、かなりの業物とお見受けしました。何か由来のある逸品なのでしょうか。お答えいただけますか?」
美咲は言葉を選びながら答える。
「私の持つ剣は『ミミング』と呼ばれるもので、特別な力を持っています。ただ、その詳細はまだ私自身も完全には理解していません。」
彼女の答えに、ホールの中から小さな失笑が漏れた。
黒髪をポニーテールに束ねた、鋭い目つきのアレクサンドル・フォン・ローゼンベルクが訝しげに口を開く。
「女性がそのような偉業を成し遂げるなど信じがたい。何か秘策でもあったのではないか?」
その言葉に、美咲は胸の奥がざわつく。
控えていたサイラスが一歩前に出て、毅然とした声で反論した。
「アレクサンドル卿、彼女の実力は私が保証します。彼女は真に優れた戦士です。」
しかし、アレクサンドルは納得する様子もなく、冷たく笑みを浮かべた。
「では、その力をここで示していただきたいものだ。クラウス、お前が相手をしてみよ。」
美咲はこの嫌な流れに戸惑ったが、断るわけにもいかず、深く息を吐いた。
「承知しました。ただ、剣の技を見るだけでご容赦ください。」
再びカーテシーの姿勢をとる。
ソナは後ろでため息をつき、面倒事に巻き込まれる主人にげんなりしている。
伯爵は両者に視線を巡らせ、静かに言葉を発した。
「アレクサンドル卿の言い分ももっともだ。よかろう。ただし、あくまで模擬戦ということで、レディを傷つけてはならんぞ。」
ミカエルがそれならばと提案した。
「安全のため、周囲に被害が及ばないよう、中庭で行ってはどうでしょうか?」
こうして、思いがけずメイクイーンと騎士の対戦が決定した。
それを聞いた召使いたちは、貴族や騎士たちの裏で準備に奔走する。それを見た家臣たちや、暇を持て余していた貴婦人たちも、中庭に娯楽を求めて集まってくる。
冷たい石壁に囲まれた城内は、かび臭く暗い。
しかし、美咲が歩くたびに、彼女の纏う花の香りが淡く広がり、その場の空気をほんの少し和らげていた。
「やれやれ、どうしてこうなるのかしら……」
美咲は心の中でつぶやきながら、中庭へと向かう。
冷たい夜風が頬を撫で、彼女は肩をすくめた。
次回の決闘への期待感が高まる中、城は一時の喧騒に包まれていく。