異世界へ召喚された女子高生の話-85-
▼その血散って…
「思い出した、それ、東桜台高校の制服じゃない? 通学の電車でよく見かけるわ。」
美咲は左手の平を右手で軽く叩き、ようやく腑に落ちた。
「それがどうしたのよ! さっさと剣を出しなさい。」
東桜台高校の女子生徒は怒りを露わにし、美咲を睨みつけた。
「ごめんなさい。私はあの男に用があるの。東桜台高校の人は関係ないから…」
美咲は手で制するような仕草をし、彼女を避けてロウェンの方へ進もうとした。
「ロウェン、エリナやみんなを離しなさいよ!」
「ふぅ、美咲よ。せっかく私が新たに召喚した勇者、朝比奈九散が勝負を挑んでいるのだ。相手をしてやってくれないか。」
ロウェンは項垂れたように言った。
「また、女子高生を召喚したの?あなた、ロリコンなのね。」
美咲はロウェンの新たな側面を見た気がして、呆れた。
「私はエドウィンの召喚術『ケイリー』に改良を加えた。その名も『エクリプス』で召喚したのだ。その上、魔剣ティルヴィングを持たせてある。朝比奈を倒せば願いを叶えてやる。あるいは、大人しく私の元に来るか?」
ロウェンは丁寧に説明しつつ、美咲に選択を迫った。
「エクリプス……」
美咲はその言葉に反応した。
IDE(統合開発環境)を思い浮かべるが、それはお父さんや、みのりんの隣人金子さんがいないと通じないネタだと飲み込んだ。
川や無垢の黒ケイリーに対して、エクリプスは月蝕の黒だと考えた。
「仕方ないわね。」
美咲は巾着袋からミミングを取り出し、朝比奈九散と向き合った。
「気が進まないけど……」
「ようやくやるのね。ほんと、バカにされた気分よ!」
朝比奈もティルヴィングを構え、背筋を伸ばして戦闘態勢に入った。
美咲は彼女の姿を見てハッとした。
「珠ちゃんが言ってた、剣道の朝比奈さん? 嫌な太刀捌きで苦手って、あなたのこと?」
「珠ちゃんって、誰よ!」
朝比奈は渾身の小手を狙ってティルヴィングを突き出した。
しかし、美咲は軽やかにミミングで受け流す。
その後も何度か打ち合うが、美咲の動体視力と反射神経は完璧にティルヴィングの動きを捉えていた。
(何なのよ、この出鱈目な動きで私の突きを止めるなんて……)
朝比奈は焦りを感じ始めていた。
一方、美咲も考えていた。
魔剣であるティルヴィングをミミングで斬り落とすのは難しい。
しかも、剣道の達人である彼女に柄頭で昏倒させる隙もない。
再びミミングから声が響く。
(身を委ねよ……負けはすまい……)
だが、美咲はクラウスとの戦いのときのように、相手を傷つけることをためらっていた。
ミミングが見せる幻影では、朝比奈の身体に刃を突き立てる未来が映る。
(…そんな未来は真っ平ごめんよ!)
美咲は制服のスカートを翻しながら、巧みに攻撃をかわし続けた。
ーーーラリーを続けることは得意だ。
「おい、あの娘っ子、あんなに戦えるのか?」
遠巻きに見ていたノボケアが呟いた。
かつて森の中で簡単に捕らえ、値踏みしたときとはまるで別人だ。
仲間のゲシャックやタンフェイも驚いた表情を浮かべている。
「もう、やめよう、朝比奈さん。これ以上続けたら、どちらかが怪我をするわっ!」
美咲はミミングを片手でラケットのように構え、説得を試みた。
「殺しちゃダメだけど、多少の怪我をさせるのは許可されてるの。初めからそのつもりよ、私は!」
朝比奈は姿勢を正し、両手で中段に構える。
「武道は人を傷つけるものじゃないでしょう?」
「バカね。お嬢様はこれだから甘いって言うのよ。剣の道は突き詰めれば殺しの技術。私はこの世界に呼ばれて、それが実践できるのが嬉しいの。」
朝比奈の言葉に、美咲は驚きと悲しみを感じた。
彼女の考えは美咲とは正反対だ。
「あなたの戦績は?私はたくさん魔物を狩ったわよ。」
朝比奈が問いかける。
美咲はきっと彼女を睨みつけた。
「私は、そんな命を奪った数なんて誇りたくない。どれだけ多くの人のためになったかで語ってほしいわ。」
「アッハッハ! それじゃ結局、一緒じゃない。私の方が周辺住民のためになったはずよ? 知らないけどねっ!」
朝比奈は嘲笑しながら突きを放つ。
美咲はそれを払い、側面へと体を移すが、朝比奈もすぐに反応して距離を取る。
「それは結構なことじゃないの。そういうことなら認めてあげるわっ!」
美咲の穏やかな言葉に、朝比奈は苛立ちを募らせた。
「上から目線で見下してんじゃないわよ! ティルヴィングは一度でも鞘から抜けば、誰かを殺さないと納刀できないの。あなたがダメなら、他の誰かをやるわっ!大きい人がいいかな〜、刺しやすそうで……」
朝比奈の視線が、拘束されている人たちに向けられる。
「やめてよ! これは決闘でしょう?」
「あなたを殺しちゃダメだから、決着がついても他の人を殺さないとダメなのよ…」
朝比奈は美咲を挑発する。
「遊びでやってるんじゃないんだよっ?!」
美咲はサイラスが語った「守る戦い」を思い出し、朝比奈を斬る覚悟を決めた。
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ロウェンは二人の対決を緊張しながら見守っていた。
新たに召喚した勇者、朝比奈は強くて戦いに積極的だが、ロウェンにとっては魅力的ではなかった。
玲奈は身体的な魅力はあったが、それだけだった。
しかし、美咲は違う。
朝比奈をけしかけ、危なくなったら助けてやるつもりだったが、成り行きをみても、そうはいきそうにない。
「なんだ、心配か?」
突然、声がしてロウェンは驚いた。
「リリス!? いつの間に隣に?」
彼はぱっと飛び退いて距離を取った。
「安心せい。私は魔力がスッカラカンで、何もできないわよ。それより、美咲の成長を見てごらんなさい…」
リリスは石の蜘蛛の上でのんびりと腰をかけ、まるで友人同士のように語りかけた。
人質として拘束されているエリナが、憤怒の表情で呟く。
「リリス、あんた何、そいつと仲良くお喋りしてんのさ!」
「え? だって今の私は人畜無害な女だもの。かつての師匠とお話しして何が悪いの?」
悪びれる様子もなく答えるリリスに、エリナはため息をついて呆れた。
「はぁ、期待していた朝比奈だが、美咲に対してはそれほどじゃないぞ? なんて素晴らしい。さすがは私の美咲だ! 早く欲しい……」
ロウェンは地団駄を踏んで悶えている。
「私も初めは大したことのない、くだらない娘だと思ってたけど……今じゃね、美味しそう!」
リリスはそう言うと、突然黒い猫の姿になり、美咲に向かって飛びかかった。
「何? 猫ちゃん、どうしたの?」
驚く美咲は猫をそのまま受け止めた。その瞬間、猫は美咲の右の首筋に思い切り噛みついた。
「きゃあっ、痛い!」
ミミングを落とし、必死に猫を引き離そうとする美咲。
ロウェンも対峙していた朝比奈も、突然の出来事に目を見開いた。
「リリスぅ、やめろぉ〜っ!」
ロウェンが叫び、急いで近づく。
「皆の意表をつくのが私の信条よ。滑稽な狼狽ぶりだねぇ、ロウェン。」
猫は美咲の血肉を喰らいながら、黒い大きな豹へと変身していく。
美咲は逃げようと四つん這いになるが、リリスは今度は左の太ももに噛みついた。
「きゃあ、やめて、痛い、痛いっ!」
拘束された人々からも騒ぎや非難の声が上がる。
ロウェンも必死に止めようとするが、リリスの動きは素早い。
朝比奈は混乱し、何が起こっているのか理解できない。
「何がどうなってんのよ!?」
「やっぱり、美咲の血も肉も、普通じゃないんだ。魔力が回復していく~っ!美味しいっ♪」
リリスが齧るたびに、美咲の血飛沫から草や花が芽生えていく。
「やめろ、化け物っ! 私の獲物を横取りしやがってぇ!」
朝比奈は怒りに任せてティルヴィングを振り上げ、リリスに斬りかかる。
リリスは美咲から離れると、背中に翼が生え、豹の身体はたちまち筋肉質なライオンの体へと変化し、頭は元のリリスの姿となった。
その異様な姿を見た山田が呟く。
「す、スフィンクス……?」
ロウェンも杖を取り出し、黒い魔力の球を溜めてリリスに向けて放った。
しかし、リリスは大空へと舞い上がり、軽やかにかわす。
「ご馳走様ぁ! では皆の衆、まったね!」
リリスはそう言い残し、空の彼方へと飛び去っていった。
後に残されたのは、混乱と苦しそうに倒れる美咲、そして狼狽えるロウェンだった。
ソナが声を上げた。
「ロウェン様、私に美咲様を診させてください!」
かつての主人に懇願する彼女に、ロウェンは驚いた。
「おお、ソナか?! 誰か、ソナを自由にしてやれ!」
細身の男ゲシャックがソナの拘束を解く。
ソナは無理に立ち上がり、倒れそうになりながらも美咲のもとへ駆け寄った。
血を流し、周囲の大地を緑に変えていく美咲の姿を見て、ソナは必死に叫ぶ。
「美咲様、しっかりしてください!」
ロウェンが彼女に声をかける。
「どうだ、ソナ。美咲はどうだ?」
「血が止まりません。かなりの出血です。ああ、どうしよう……」
ソナは美咲の首や足の傷を手で押さえ、止血を試みる。
「俺の拘束を解いてくれ!」山田が叫んだ。
すると他の人々も次々と声を上げる。
「これでは収拾がつかんではないか。しかし、美咲がこのままでは……」
逡巡するロウェンに、美咲がか細い声で訴えた。
「山田さんの拘束を解いて……お願い。彼の手当ては特別なの……」
「山田? 誰か、山田という者を自由にして連れて来い!」
ロウェンが指示すると、ノボケアが動いた。
「あの男か。オーク討伐の後で、ダナンと話していたな。」
ノボケアは山田を見つけ、彼の拘束を解く。。
「やあ、覚えていてくれたんだ。」
「仕事柄、人の見分けは得意なんだ。ロウェン、この男が山田だ。」
ノボケアがそう言うと、ロウェンは一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、取り敢えず任せることにした。
「ソナちゃん、こうやって足の付け根を押さえていて。」
山田はソナに止血の方法を指示する。
「山田さん、これ、使って……」
美咲は巾着袋から小瓶を取り出し、山田に手渡した。
山田はそれを受け取り、蓋を開けてみる。
「何これ? 薬かな。うわあ、甘い香りがする…」
彼はそれを手に取り、美咲の首筋の傷にそっと塗ってみた。
すると、傷がみるみる塞がり、綺麗な肌に戻っていく。
ソナが必死に押さえていた足の傷にも同様に塗ると、大型の獣に噛まれた痕が跡形もなく消えた。
「すごい薬だ。これ、どうしたの?」
その効果に山田は興奮して問いかけた。
美咲は頬を赤らめ、恥ずかしそうに答える。
「それ、山田さんが持っててよ。」
ロウェンが二人の間に割って入った。
「ええい、男がこれ以上、美咲にベタベタと触れるな!もう、向こうへ行け!」
「ん…っと、周りがお花畑になったけど、もう平気みたい……、あれ?」
美咲は立ち上がろうとするが、立ちくらみし、目眩がした。
「無理をするな。お前の身体は全て貴重な魔術素材となっている。勿体ない、血液を無駄にしてしまったぞ。美咲を荷馬車へ運べ!」
ロウェンが叫び、ぐったりとした美咲は石でできた荷馬車へ運ばれた。
「私は構わないけど、エルヴァーナの人や友達をみんな自由にしてよ……」
美咲はそう言い残し、そのまま意識を失った。
そういえば、昨晩から眠っていなかったのだ。
かくして、ロウェン一行はまんまと美咲を手中に収めた。
解放されたとはいえ、傷を負ったエルヴァーナの人々や山田たちは、その蜘蛛に引かれる荷馬車を見送るしかなかった。