【初読書録】蜘蛛 にゃるら
平凡少女かなちゃみ。これが彼女の第2の名前。
いわゆるインターネットネームである。
シーンは、平凡少女かなちゃみの「かな」の部分から始まる。日常は流れ行く。ぼんやりとした目標と焦り。そんな彼女の日常に、ひとつの宝石の欠片が転がり込んでは出ていく。
そんな話だ。
さて、ここからはネタバレ必須なので、ネタバレしたくない人達はオススメしない。
私は、3点大きく感銘を受けた気になっている場面がある。
ひとつめは、大きな場面では無いところの感情の動き。揺らめき。
私は、生憎「かな」と違って(というと自分煽て野郎のようで気持ちが悪いが困っているくらい好きなところでもあり、ダメで嫌いなところである)人を見下す、見下してたい、馬鹿らしい、そう思う機会が少ない。ただ、そんなことが赤裸々に書かれたこの「かな」の人生記録本は、あまりにも人間で、人間がマイナスな感情を持つことを肯定されている気持ちになった。
ただ、どうしても、それが良さだとしても、私は世界を抱きしめてしまいたいので、「かな」とは分かり合えないと思う。
ふたつめは、P110だ。
そうだ。私は、私たちはいつだって指標が欲しかったし、欲しいし、欲するんだろう。
コンテンツを消費する側は、簡単にそのコンテンツが好きなコンテンツを焼き殺すことがある。
例えば、歌い手がこっそり好きだったボカロPのカバーをして、原曲もしっかり人気になっちゃって、ボカロPはこれまでとの市場規模との変化やリスナー層の入れ替えによって心病んでしまったり。
昔は、ちゃんと好きなものがあった。
さっき、精神科のグラウンドを意味もなくただ歩きたくなって、音楽をイヤホンもつけずに垂れ流した時、聞いた曲はなんだっただろう。
ちゃんと選べていただろうか。
⏱少し確認タイム。
大丈夫。1曲目はちゃんと私が選んだ曲だった。
でも、残りはアナリティクスくんが選んだ曲を聞かされてしまっていた。
AIがどうのこうのいうけれど、私はもうとっくに自分の力で見たい動画も1から探せなくなったし、うちの両親(スマホに疎い)でさえTikTok(アナリティクスの出した動画)に夢中だった。もう、気づかないうちに私たちはAIに依存して立てなくなっているのかもしれない。
また、関係ない話をしてしまった。
話を戻すついでに、全く違うことを言う。
依存だ何だと言っておきながら、最近好きな𓏸𓏸を聞くのはかなりその人のことを聞くのに妥当な質問だと思っている。その人の余裕の有無、興味のある分野、等々わかった気になれることも多いのではないだろうか。
少なくとも自己紹介で、好きな𓏸𓏸をいうのは
共感性から生まれる友情と
この相手の人生の少しをわかった気になれるという心理的面がありそうだよなとずっと思ってる。
みっつめは、なんといっても教会のシーン。
実はこの本、文字書きさん(東京住み)のお友達というか崇拝している人というか。そんな人から、さなちゃんにはこれ!と選書して頂いて譲り受けたのだ。
ぶっちゃける。ほんとうにぶっちゃけてしまうが、
私は哲学とか難しい話馬鹿だからわかんない。
その子のしている話もたまに、分かってあげられないことがあって、悲しいし、
この作者であるところのにゃるらちゃん(と普段から呼ばせていただいている)も哲学の話をよくする。
哲学とメンタルヘルスはそんなに関係が深いのか、インターネットにおいて。という気持ちになることが多々ある。
それを、その疑問を更に深めた。
ただ、哲学のお話をされている人は大抵頭が良くこちらが分からなければ噛み砕いて説明をしてくれるので、ゆっくりのんびり哲学の勉強もいつかしてみたいと思っている。やはり、わかった気になる、しらべて。というのと、私の中にある言葉で読むのとはまた違う。共通言語で話せるようになりたいな。そして、このシーンまるでその子と私みたいで、あまりにも勝手に気持ち悪い妄想をして死にたくなった。
というのが感想の全文だ。
読書録というか、読みながらどのように私の感情が変化したかという記録に過ぎないかもしれない。
それでも書きたかったから書いた!以上!
みんないい夢見て優しい夜過ごせよ!また明日!