【日本三名園へ行こう②】岡山後楽園旅行記録
2023年9月16日-18日の三連休を利用して、17日に倉敷へ、18日に岡山へ行ってきました。今回は後半となる後楽園・岡山城に行った記録です。
倉敷の記録は前回の記事にて。
ダイジェストはこちら。
いきなり余談から
日本三名園……それは加賀の兼六園、岡山の後楽園、そして水戸の偕楽園の総称。どれも江戸期に造営された回遊式庭園。
回遊式庭園は読んで字の如く「庭内を歩き回って見て楽しい庭園」のこと。都内のものだと六義園、浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園あたりが有名ですね、両国のあたりをうろうろしていた時にふと見つけた墨田区立旧安田庭園もそういえば泉水回遊式庭園でした。(案内板表記は「潮入り泉水廻遊式庭園」。潮入りは、潮の満ち引きにより庭園の表情も変わる仕掛けのこと。かつての江戸は遠浅の海を埋め立て埋め立て広がった土地なので、そこらに潮入の庭園があったとか。代表的なのは浜離宮恩賜庭園なんかでしょうか。浜離宮は今でも実際に海と繋がっていますが、旧安田庭園は隅田川の水を引いていたとか)
タイトルがいきなり②から始まってるって? それは加賀の兼六園にはかつて行ったことがあるからです。記録はつけてないけどまた行ってみたいですね。いや、また行ってみた記録は①にならないのか?
というわけで三名園のこの並び順は私が行った順かというと、そういうわけではありません。日本三名園は美しい景色を示す言葉「雪月花」に準えて語られるとか。すなわち「雪」の兼六園、「月」の後楽園、「花」の偕楽園です。
確かに、兼六園と言えば雪吊りですし、偕楽園といえば梅園ですね。夜間ライトアップなんかは他の庭園でも行っていますが、後楽園もその例に漏れず、「幻想庭園」と銘打った夜間ライトアップをしていることに加え、中秋の名月のタイミングで「名月鑑賞会」を行っているようです。
今回は夜間ライトアップに行ったわけではありませんが、園内は結構開放的な作りになっており、月もよく見えるだろうと思いました。空がめっちゃ広い。確かに兼六園はあまり空が広かった印象がありません。園内に高低差もあるし、背の高い木が満遍なく植っていたイメージがあります。対照的に後楽園は園内の高低差はほとんどなく、庭園の池の周りには広い芝生が広がっていて、簡単いえば「池の周りに芝生があり、周りに木々が植っている」という形になっていました。
能書が長くなってしまいました。今回の記録はあまり長くならないはず。そんなに写真もないので。
今回の旅程
3日目に相当する今回の工程は次のようでした。
9/18
9:45ごろ ホテルを出て岡山後楽園にむかう
10:15ごろ〜12:00過ぎ 後楽園をうろうろする
12:10ごろ〜13:10ごろ 岡山城見学
↓ 移動?
14:00ごろ 昼食にする
↓( )
15:45 岡山駅発
↓ 岡電バス
16:20 岡山空港着
17:20 岡山空港発
↓ JAL240便
18:45 羽田空港着
今回の旅行記
岡山後楽園に向かう
途中、「岡山神社」という県名を冠した神社があったので寄ってみましたが改装中。阿智神社といい改装期間に当たることが多いな。そういえば広島の宮島に行った時も大鳥居が改装工事中で、沖に工事現場がある風景になっていましたね。それはそれとして「期間限定のすがた」ではあるわけですが……
ここで南門から入らず正々堂々正門を目指します。歩く間にぽつんと来て(雨かな?)と思ったところ、正門に辿り着く頃には結構な雨量になってしまいました。
岡山後楽園に到着(10:15ごろ)
白い粒々が雨粒ですね。シャッター速度を下げれば雨が線になって写るのでしょうか? 浮世絵みたいな表現で撮ってみたいものですが。
園内へ入ります。天気のせいか、季節が良くない(季節の花のちょうど狭間あたりに当たる時期でした)せいか、そこまで人がいない。
VLOGで印象的に使えたと思っているのですが、この程度の雨であれば、傘に落ちる音がかなり心地いいのでこれはこれでよかったです。雨が降って水面に波紋が広がっているのを見るのも悪くない。傘に当たる雨の音を聞きながら水面に雨が落ちて延々と生まれる波紋を見ているとそれはそれで時間が溶けていきますね。
この「流店」は藩主の庭巡りにあたり休憩所として使用されていたということで、建屋の中に水路を通す珍しい作りになっています。突然の雨に困った観光客でひしめいていました。私も一旦傘を下ろしてリュックを拭いたりします。
水路は涼を取るためのものでしょうが、「足湯だったらいいのにね」という会話が聞こえてきました。それじゃ暑いだろ。「日傘が傘になっちゃった」という声も聞こえててそれも面白かった。
晴れました。「日傘にして差せば乾くよ」と声掛けあってる人に倣います。
流店を抜けた水はさらにその先に進みます。追ってみます。
流店を通り抜けた水は「花交の滝」をへて「花交の池」に至ります。
これは首まで浸かる灯籠。
唯心山から見えていた田んぼがこれですね。「昔は園内に広く田畑が作られていた」って庭園だよねここ。もしかして今一面柴園になっているのはかつては田畑だったんでしょうか。
園内の喫茶店は二ヶ所見つけました。これはそのうちの一つですがかなり混雑してました。ももビールめっちゃ気になりましたが断念。
園内を大まかに一周して延養亭の前に戻ってきました。延養亭は藩主が訪れた時の居所として設けられたようです。
謎の丸い灯籠?がありました。なんだかこの光景がかなり気に入ってしまって、個人的には後楽園のシンボルマークがこの丸に足が生えた形になってしまいました。兼六園の琴柱灯籠に匹敵するポテンシャルを感じる。
もうだいぶ足も痛いので園を出ようとしたところ、唯心山の麓を流れる水路に惹かれてしまいました。最初に波紋を眺めた水路ですね。飛び石の反対側に当たりますが、晴れた結果の景色に釣られてもう少し歩くことになってしまいました。
岡山城を見学(12:15ごろ)
南門から後楽園を出て、来る時に通った橋を逆向きに渡り、岡山城へ向かいました。
岡山城は石垣と月見櫓が今に伝わります。天守は外観復元(そもそも天守が現存するのは12城しかないんだとか)。
復元された岡山城天守閣です(鉄筋コンクリート造)。外壁が黒いことから「烏城(うじょう)」と呼ばれたとか。
岡山藩の中興の祖、池田光政は、姫路藩主利隆の子として、利隆が岡山城主名代でもあった縁で岡山に生まれます。利隆の死後、3歳の時に家督を継ぎ姫路藩主となりますが、幼少を理由に一度鳥取藩へ減封され、後に岡山藩主として岡山城へ戻ってきます。つまり白鷺城と烏城の黒白城主をどちらも務めたってこと。
この烏のように黒い外観は、派手好きで知られる豊臣秀吉の意向を反映した宇喜多秀家によるものだとか。一枚前の写真に桐紋、五七桐が見えますね。秀吉の臣下としての宇喜多秀家の立場や心意気が垣間見えるように感じます(五七桐は足利尊氏以降使用者が増え過ぎているので、言い切ると語弊があると思いますが、まぁそういうことでしょう。天守閣内部で展示されていた宇喜多家の家紋は片喰紋でした)。
天守閣の中は史料館になっていました。中がすごく綺麗で整っていると思ったら大改修の後だったみたいです。
中では岡山城の歴代城主のうち、築城を行った宇喜多直家、天守閣造営を行なった宇喜多秀家、城下町を広げた小早川秀秋、名君と知られる池田光政をフィーチャーした内容の展示や、刀剣類の展示、そして関ヶ原の戦いに関する展示がされていました。
関ヶ原の戦いはイメージビデオの上映コーナーもあり力が入っていました。そりゃ小早川秀秋と言えば「あぁ関ヶ原で裏切った奴ね」となるので然もありなん、というところです。宇喜多秀家は上述の通り秀吉に仕えますが、関ヶ原の戦いの前にお家騒動が発生。家臣のほとんどを東軍方に引き抜かれ、それでも西軍に属して戦いますが敗戦、流罪になっています。岡山城……因果な城なんだな……
(転封といい武将って転勤族みたいよね)
また、企画展が行われていました。温羅伝説(童話桃太郎の原型と言われる神話)を伝える吉備津神社の御神刀を展示していました。どうも6代城主池田綱政が備前長船の刀工に依頼した物だとか。刀はよく知らないのですが、それでも備前長船くらいは聞いたことがあります。というか「備前」って今いるところじゃん!
そうか岡山って日本刀の土地でもあったのか……(?)ということにその場で気がつきました。
岡山駅から倉敷美観地区よりも離れてそうですね……。正直なところ、刀剣の類は見て綺麗なものだなとは思いますが、今のところそれ以上の感想が出てこない。能書にある「○○が特徴的である」などを読んでもそれがどこのことを指しているのかわからない……。刀剣類の博物館に行って勉強してみたいですね。それこそ両国のあたりに刀剣博物館があった気がするので行ってみようかしら。
そういえばこの前祖父母の家に行ったら日本刀(軍刀?)出てきてぶったまげたことがありました。日本刀は御神刀として展示されていたことからもわかるように武器であるとともに美術品でもあるわけで、現在でも登録すれば誰でも所持を許可されるようです。なお、登録先(届出先)は各都道府県の教育委員会です。これも日本刀を武器ではなく美術品として取り扱っていることの表れですね。御神刀の他にも城主ゆかりの刀剣類がいくつも展示されていましたが、これも当時から武器ではなく美術品や装飾品、権威や貢献の顕れとして扱われてきたために、鑑賞に耐える状態で現代まで残っていると考えることができそうです。
日本刀についての雑感が長くなってしまいました。天守閣内部の写真はないので……
昼食にする(14:00ごろ)
路面電車で岡山駅まで戻り、駅周辺にあったお店で握りと刺身と天ぷらと茶碗蒸しとうどんの御膳をいただきました。美味しゅうございました。家族経営の地元の食堂って感じでした。常連さんみたいなおばちゃんがいらっしゃっていて(多分同じもの食べてた)、私が食べ終わって退出しようとしたら「お客さんおかえりだよ〜」と中に声かけてくれました(?)
そらをとぶ(17:30〜18:50ごろ?)
時間をよく覚えてないのですが、帰りの飛行機も遅れていました。
写真の左端で雲の下が白くなっていますが、これは雷によるものです。雷がばんばん光っているのが見えて少しわくわくしてしまいました。写真では伝わらないけど……高度が高いところから雷を見るとこんな感じなのね。
終わりに
14:40ごろの写真が岡山で最後の写真(次の写真は機内の写真)でした。15:45までの空白の時間があったということです。
その時間はどこかに行くには短いし、ちょうどいいところがあったとしてももう足が痛くて疲れちゃって全然動けなくてェ…駅前のベンチで座って本読んでました。前半の記事でも述べた通りで、もっと行けるところ、行きたいところをちゃんと調べて、旅程をちゃんと組んでから行けばよかったですね。行き先を増やすのでなければもう少し旅程を圧縮するとか。
たとえば温泉旅館に泊まってゆっくりするという目的の旅行なら雑な時間の使い方をするのも目的の一つなのですが、今回はまぁ合間あいまに何をするでもない、どこかで休憩するでもない、ただ「潰す」時間がかなりの時間あったことが悔やまれます。
まぁ、詰め詰めの旅程にして時間が足りなくなるとか忙殺されるとかは避けたいし、行きたいところだけアバウトに決めて出かけるのはそれはそれで楽しいものです。ただ今回はとにかく足が痛いせいでアバウトに時間を使う旅行は合っていなかった。こんなはずでは……
今回はこれまでと異なり、大きめのリュック一つに全て詰めて、中日(なかび)である17日以外は全部の荷物を持ち歩く方法を取りました。今までは小さいリュックとボディバックを用意してリュックの方はロッカーとかに預けていたのよね。これが幸いしたのか災いしたのか判断がつきませんが、疲れが早く出たのもこれが関係しているかも知れません。
SNSでよく広告を見るNORDACEのリュックを買ったのですが、荷物の割には軽く持ち運べたのではないかと思います。リュックはあまり使わないのですが、やっぱりリュックは合理的なカバンの形なのだろうか……しかし同じリュック持ってる人をどこでも見る。
岡山旅行はそんな感じでした。リベンジしたいな。
お付き合いいただき感謝します。それでは次の記録でお会いしましょう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?