【モネの睡蓮を見に行こう】倉敷美観地区旅行記録
2023年9月16日-18日の三連休を利用して、17日に岡山は倉敷へ旅行へ行ってきました。前半は倉敷美観地区へ行った記録です。
目的地は倉敷美観地区! そしてその中心に位置する大原美術館、そのモーニングツアーです。
今回のVLOG
旅行記録のダイジェストはこちらです。ぜひ見てみてください。VLOG編集の舞台裏は前回の記事にて。
今回の旅程
今回の旅程はざっくりこんな感じになりました。(折りたたみセクションとか欲しいな)
9/16
14:25 羽田空港発 →遅れにより14:50ごろ羽田空港発
↓ JAL237便
15:45 岡山空港着 →16:20ごろ岡山空港着
15:55 岡山空港発 →16:35 岡山空港発
↓ 岡電バス
16:25 岡山駅西口着 →17:10岡山空港西口着
9/17
06:38 岡山駅発
↓ 伯備線新見行き
06:53 倉敷駅着
↓ 阿智神社や美観地区をうろうろする
07:50 大原美術館集合
↓ モーニングツアー参加・ミュージアムショップで買い物
09:20ごろ
↓ 美観地区をうろうろする (再)
11:50 倉敷国際ホテル集合
↓ 倉敷国際ホテルで昼食(モーニングツアーの一部)
13:30ごろ
↓ またしても美観地区をうろうろする
15:30 倉敷川舟流し集合
↓ 川舟流しに参加
15:45ごろ
↓ 岡山市へ戻る
17:00ごろ 岡山駅着
今回の反省
いきなり反省から始まって申し訳ないのですが……時間の使い方が下手すぎてやばかったです。倉敷美観地区にこんなに時間かけてられない。回るだけなら小一時間から2時間程度もあれば街並みそのものは見て回れるので、2泊3日の旅程が、結果だけ見ると昼食後岡山に戻って後楽園行って1泊2日で帰って来られた内容になってしまいました。
残念なことに、カフェをハシゴしたりジーンズショップをハシゴしたり(後述しますが倉敷は繊維の街なのです)するには人が多くて……どこも混んでるし、人気のカフェなんか「120分待ちです!」とか声かけてたなぁ……
美観地区以外にもどこかに行くかちゃんと決めてからかかるべきでした。
じゃあ美観地区を離れるかというと、川舟流しの時間が決まってます。朝も早くて疲れて足も痛くなってしまい、歩き続けることもできず、どこかで時間を潰すとか、そういう場面が結構多かったのが悔やまれます。もっとみて回る時間もスポットもあったよね。
もしこれから倉敷の美観地区見に行く方がいれば、川舟流し参加するならまずチケットを押さえるべし。(ただし当日券のみ。朝から並ぶみたい。モーニングツアーに参加してたからか見かけなかったけど……)
あと、三連休の混雑の中で開館後の美術館を見に行く気力がなかったので仕方ないですが……モーニングツアー後に大原美術館に再入館していればもっと時間が有効に使えました。ただ、街に溢れる人の数を目の当たりにして美術館に入る気にはならなかった。混んでる美術館ほど気分が削がれる施設はありません。開館時間後の大原美術館にはまた別の機会に行きましょうね(モーニングツアーでかなり満足したというのも大きいですが)。
出だしからこんな感じで申し訳ありません。VLOGにもなってない写真がたくさんあるので、その一部を交えながら旅行記録としたいと思いますので、よかったら見てください(17日だけで255枚ほど写真撮ってる……)。
今回の旅行記
羽田空港へ向かう(12:40ごろ)
これまで羽田空港を目指す際はモノレールを使うことが多かったのですが(中央線より南側に住んだことがなかったので)、今回は品川から京急線に乗ることにしました。なぜかってモノレール(浜松町ー羽田)より、京急(品川ー羽田)の方が安いってことにようやく気がついたからです!(モノレールは492円、京急は292円。ともにICカード料金)
京急線には何か攻略法のようなものがあるようです。列車種別がガチャガチャしてるとか、先発より次発が先に着くとか……。次に来る電車が「快特」羽田行きだったのでとりあえずそれに乗りました。結果として、品川の次が羽田空港第3ターミナルだった(途中駅は全通過)ので正解でした。これ途中のどこかに行くつもりで間違って乗ったら絶望するやつ。
京急線は確かに安いですが、モノレールと違って普通の電車なので「空港へ向かうんだ! 遠出をするんだ!」感は絶無でしたね。個人的な刷り込みなのか、モノレールは「空港へ向かうんだ!」という非日常感に溢れています。
ちなみに乗った電車は「これぞ京急!」という真っ赤な車体ではなかったので、そう言った意味でも「普通の電車に乗っている感」がすごかったです。
羽田空港へ着いたのは13:10ごろ? 予定より早く着きましたが、空弁に天むすを買って早々に手荷物検査を済ませパワーラウンジへ。時間を潰します。
そらをとぶ(14:50〜16:20ごろ)
岡山に到着(17:15〜17:30ごろ)
岡山空港からバスに乗り、岡山駅へ到着です。だいたい30分くらい。780円。SuicaやPASMOが使えました。
岡山駅から宿までは路面電車(岡電)で向かいます。岡電……岡山電気軌道の岡山駅前停留所は駅前広場から少し離れていて、岡山駅に向かう大通りの真ん中までしか来ておらず、駅前広場から横断歩道を二回渡る必要がありました
岡山駅前停留所は乗降場が別れているのが面白かったです。岡電は二系統あり、乗車場では島式ホーム両側にそれを振り分けているようでした。なので、「降車場から直進して乗車場へ入り、折り返し分岐を渡る電車」と「降車場から分岐を渡って乗車場へ入り、折り返し直進する電車」があるという形になるようですね。多くの利用者を捌くのに有効であるのと、行き先が異なる電車を一瞬で区別できるという、一石二鳥の構造ですな。
降りた路面電車を見送った際、後ろ側に桃太郎の格好をしたたぬきがいるのに気がつきました。桃太郎の原型となったといわれる神話が息づく岡山。吉備津神社にも行ってみたかったのですが、これはまたの機会に。
余談ですが岡電(岡山電気軌道)は宇都宮ライトレールの出向社員を受け入れて運転士養成に協力していた事業者のうちの一社ですね。気がつけば最近は広島・熊本・そして宇都宮・岡山で路面電車の写真を撮ってますね。かつては函館へ行き、いわずものがなの東京、と路面電車のある(できた)街をそこそこ回っているような気がします。これまでの路面電車の写真を集めた記事でも書いてみようかしら。
倉敷へ向かう(6:30〜7:00ごろ)
時間はワープして、翌6:30ごろ、ホテルを出て倉敷へ向かいます。
乗った路面電車はタウンワーク柄でした。走る広告塔。こう言ったところでも路面電車は収入を得ているのでしょうね。ただ、最近話題のLRT(超低床車両)はデザインも凝っているのでそう言ったことはできなさそうだな。
打って変わって岡山ー倉敷間を乗ったJR西日本の車両は黄一色でした。ドラえもん初期カラーだ(卵黄の色)。
7:50大原美術館集合に対して、予定より早い6:55倉敷駅へ到着。7:31倉敷着という電車があるようなので本当はそれでもよくて、なんか早く着いちゃっただけなのですが、結果的には人のいない美観地区を回れたので助かりました。早起きは三文の徳。
美観地区をうろうろしよう(その1)
美観地区へは倉敷駅から徒歩10分くらいです。
写真ではわかりにくいですが、VLOGで見ていただいた通りでまだ全然人がいない時間を歩けたのは行幸でした。倉敷観光案内所は先述の川舟流しの乗船券を販売していますが、この時間(7:15ごろ)ではまだ一人も並んでいない。
阿智神社へお参りしますが、改装中。
7:40ごろ大原美術館へ戻ってきました。
45分ごろになると大原美術館の前だけ人だかりができ始めます。高校生のような制服を着た男の子が自転車で走り抜けて行きます。三連休なのに学校行くのかい、大変だな。
大原美術館モーニングツアーに参加(7:50〜9:10ごろ)
大原美術館は美術品の撮影が禁止なので、ここは写真がありません。正直、撮影可の美術館って何をしたらいいのか不安になる(記念に写真を撮っておいた方がいいのではないか、という気持ちになる)ので撮影不可の美術館の方が好みですね。
大原美術館とモーニングツアーの概略と感想はこんな感じです。(折りたたみセクションが欲しい……)
大原美術館は、江戸時代天領となった倉敷において、豪商・大地主として活躍した大原家の7代目当主大原孫三郎が、自身の親友とも言える間柄であった画家児島虎次郎を記念し、彼の作品と、彼が蒐集した世界中(欧州絵画、エジプトや中国、朝鮮の陶磁器など)の作品を収蔵・展示するために設立したそうです。
大原孫三郎は篤志家(儲けを社会へ還元することを信条とする実業家)であり、倉敷紡績の社長を先代から引き付き事業を大きくする傍ら、日本初と言われる孤児院や、現在の倉敷中央病院の前身となる倉敷紡績病院の設立、労働問題や社会問題の解決に向けた研究所の設立などを行ったようです。大原美術館の設立も孫三郎の社会奉仕の一環なのでしょう。事業家としても、現在のクラレや、果ては現在の中央電力の前身となる電力会社まで設立したすげぇ人のようです。
児島虎次郎は大原家の社会奉仕の一環であった奨学金を利用して東京美術学校(今の東京藝術大学)で学ぶと共に大原孫三郎と親交を深めた画家。ある時孫三郎へ言ったそうです。
「日本の若い画学生たちへ西洋絵画を見せたい」
孫三郎はその志に共感し、また東京府産業博覧会で一等を受賞し、宮内庁お買い上げという栄誉を得るほどであった虎次郎の画才をさらなる高みへと押し上げるべく、彼を積極的に援助。虎次郎はベルギーのケントで学び、そこでも首席で美術学校を卒業。その後も数度に渡って渡欧し、またヨーロッパだけでなくエジプトや中国大陸・朝鮮半島へも渡り、作品を制作すると共に、美術品を集めて回ったということです。しかし、47歳の若さでこの世を去ってしまいました。
大原美術館は、孫三郎が虎次郎の早世を悲しみ翌年に開館したとされていますが(公式HPなどに記載あり)、1年程度で美術館が建つものなのかな。虎次郎もきっと美術館の開館を楽しみにしていた一人で、残念ながら開館を見届けることが叶わなかったのではないかと考えています。
大原美術館はその児島虎次郎がその優れた審美眼によって実際に当代切っての画家たちへ直接会い、作品を見て買い付けた作品群と共に児島虎次郎の作品を多く収蔵していますが、その後も「美術館は作品を守り伝えるだけではなく、生きて成長するもの」という意思のもと、孫三郎の次代となる總一郎によりさらなるコレクションの拡張を見、また現代も現代美術のコレクションも拡張し、また美術家への支援事業なども精力的に行われているということです。
モーニングツアーは大原美術館の学芸員さんによる解説付きでいくつかの作品をピックアップして解説してもらうものですが、当然というべきか大原美術館としての矜持や誇りのようなものを強く感じる解説となっており、そういう意味でも興味深いものでした。その美術品の解説というよりは、「これがここ(大原美術館)に存在すること、蒐集に至る経緯、大原美術館のコレクションの中で占める意味」について解説するといった内容でした。確かに設立の経緯を考えても大原孫三郎と児島虎次郎の偉業は特筆すべきものですし、それを守り伝え、さらに発展させていくことは並大抵のことではありませんので、その業績を伝えようと美術館史の解説になるという。
国立博物館でも資金難にクラファンする時代、私立美術館が美術品という先達の偉業を守り続け、また現代の美術家を支え、その才能を高みに押し上げることは容易でないことはよくわかろうというものです。美術品はそれ自体が先達の偉業ですが、美術館は美術館で先達の偉業の形の一つなんだな。
以前上野の東京都美術館でゴッホ展があった際も、ヘレーネ・クレラー=ミュラーという女性がゴッホの没後に作品に出会い、生涯を掛けて作品を蒐集し、遍く人々に見てもらえるよう美術館を設立したことが語られていました。油彩画なんて物体としては木枠に布が張ってあり、絵の具で書き上げられているだけですからね。簡単に焼失したり、割れたり破れたりして逸失したりする物ですし、物は無事でもどこかに行ったり、あれはあっちに、これはこっちにと散逸したりする物ですから、確かな意思で蒐め、そして保護していかないとならない。松方コレクションのウィキペディアなんか見ると美術品なんて簡単に無くなるんだなって悲しくなります。また、大原孫三郎やクレラ=ミュラーのようにコレクションを公開している人ばかりでないはずですし、そもそも人に見せるために買うという目的の方がよりニッチな需要のはず。そう言った意味でも私立美術館とはありがたい物です。
国内旅行でモネの「睡蓮」や「積み藁」が見られる……ありがてぇ。クレラー=ミュラー美術館はいつか行ってみたいけどオランダまで旅行する時間的金銭的余裕も度胸もない……
はい。ここまででやっと9:10ごろですね。ミュージアムショップで買い物をして20分ごろには館外へ出ていました。
ちなみに、大原美術館ミュージアムショップで5,000円以上買い物をすると、向かい側に建っている大原本邸の入場+コーヒーorお抹茶券がもらえました。後述しますが、入場+お抹茶で500円+800円だったので結構な還元率。
美観地区をうろうろしよう(その2)
モーニングツアーに参加すると近隣のカフェでモーニングを食べるとノベルティがもらえる券がもらえます(二重構造)。ノベルティはマスキングテープでした。倉敷にある製紙企業によるもののようです。
大原家ゆかりの倉敷紡績、倉敷絹織(現クラレ)に代表されるよう、倉敷は繊維の街。ジーンズ屋やデニムのハット屋など色々なお店がありました。
「繊維の街倉敷」を代表する倉敷アイビースクエアでもたくさんジーンズやデニム製品が売ってました。倉敷紡績歴史記念館のようなものもありました。
昼食付きのツアーなのでお昼に集合時間が決まっているのですが、集合時間までに疲れてしまって少しの間倉敷観光案内所で休憩していました。
よく見えない写真で恐縮ですが、橋の向こうに見えるのが倉敷館(倉敷観光案内所)。元は倉敷町役場で建屋は文化財指定を受けているそう。2階が無料休憩所になっていて、倉敷でロケをしたという映画版「ミステリという勿れ」の宣伝映像が延々流れていました。
倉敷国際ホテルで昼食(11:50ごろ〜13:30ごろ)
休憩所で時間を調整してホテルに行ったら「これでみなさんお揃いですね」とか言われた。ホテルのロビーで待ってればよかった……
昼食は美食家して知られるモネの遺したレシピを現代風に再解釈したもの、という立て付け。メニューはこんな感じとドリンクでした。ドリンクは岡山産のマスカットベリー熟成酒(赤)にしました。総じて野菜が美味しかった印象がありますね。
美観地区をうろうろしよう(その3)
川舟流しのチケットが時間指定で、私が午前中に買った時はもう15:30か16:00のものしか残っていませんでした。この時点でだいぶ疲れてて足が痛いので、蔵造りのカフェにでも入りたいのですが、どこも混んでて大変。なので大原美術館のミュージアムショップでもらった入場券で大原本邸に入ります。
古くからの建物がそのまま残っています。入ってみるとこんな感じ。左が母屋で右が蔵かな。
蔵の方は展示室になっていました。大原家の年表を紹介する展示や、当主ゆかりの品の展示、あとは8代目当主大原總一郎の蔵書の展示兼カフェとなっていました。大原美術館ミュージアムショップでもらった入場券+カフェ券でカフェの方を選択するとブックラウンジでコーヒーを飲めます。
奥には離れ座敷とお庭があります。
総じて大原本邸は人が全然いませんでした。美観地区はもう道が埋まるくらい人がいるのに。離れ座敷も私が入った時は誰もいなくて貸切状態。
この離れは歴代当主が思い思いの使い方をしていたようで、ある者は寝室にし、ある者はレコード部屋にし、ある者は茶室にしたとか。庭の造営には孫三郎が関わっていて、「好きなものを好きなように詰め込んだため、灯籠や手水鉢がいくつもあるんですよ」とスタッフさんに説明されました。
と、大原本邸の離れ座敷をカフェ代わりにしばらく休憩。畳に寝転がりたいけど他のお客がいるので我慢……
大原本邸の裏口から外に出ると石造りのモダンな建物が。
旧倉敷銀行の跡地のようです。どうやらこの倉敷銀行も大原家の設立なんだとか。
店先で眠りこけるねこや手水鉢に腰掛けるねこを発見。
倉敷川舟流しに参加(15:30ごろ〜15:45ごろ)
もう疲れて足も痛くて再度倉敷館(観光案内所)で休憩しますが、2階はもう満員で、1階のベンチの端で小さく座って写真を見返したりして時間を調整して川舟流しに向かいます。着いたらまたしても最後。
川舟流しでは船頭さんの解説を聞きながら、商業で栄えた倉敷の物流を担った倉敷川をゆっくり進みます。川岸の大原美術館、今橋、大原本邸、別邸(有隣荘)、民藝館、郷土玩具館などについて解説がありました。ちなみにこれら全ての設立に大原家が関わっています。天領でありその地を収める武家がいない街だから一大地主・商家によって街が形作られたということなのだろうか。川舟流しの様子はVLOGからイメージしていただければと。
岡山市へ戻る
川舟流しが終わった段階でもう疲れて足も痛いので岡山市に戻ります。
向かいのホームにスーパーやくもと銘打たれた可愛らしい色の列車が入ってきました。特急やくもは岡山から倉敷を経て出雲へ行く列車ですね。せっかくだから延泊して出雲方面に出てもよかった。いや、足が痛いのでそうも行かないか……
出雲大社は一度行ってみたいですね。そこから日本海側を回って天橋立とか見に行ってもいいかも。
岡山市へ到着(17:00ごろ)
岡山駅に着くや否や早々と酒を飲みます。
ミシュランガイドにも掲載されたという居酒屋鳥好駅前本店です。
店内は広くても混雑してて、でも店員さんが何人もいて皆威勢よくキビキビされている気持ちの良い大衆居酒屋でした。
終わりに
という感じの倉敷観光でした。「ミステリという勿れ」のロケ地になった旧野崎邸がある児島エリアとかも行ってみたかったし、とにかく時間を全然有効に使えなかったのが心残りですね。大原美術館ともども再訪を誓い、翌日は岡山後楽園を見て帰ります。