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劣等感があるとか、自分なんかとか、自分には何もないとか思っている人におすすめしたい本『遺伝子はなぜ不公平なのか?』パート2 読後の感想。

足が遅い著者。その著者は逆上がりもできなかった。要するに人ができることに人より劣っていることを自覚している著者が書いた本である。

要するに、大谷翔平みたいなスーパースターになるような遺伝子を持って生まれた人は大谷翔平になる、足の遅い遺伝子、逆上がりができない遺伝子を引き継いだ人間は、雑草のスペシャリストとしてある意味存在感を発揮している著者のようになる。

とても救いがないような感じです。いやそうではなく、救いがないと、自分のことを思っちゃっている人に対しての著者からの熱烈なラブレターである。

ネタバレになってしまうかもしれないが書いてしまう。ぜひとも興味が湧いた方は自分で読み込んで、自分の精神状態に良い影響を与えてくれる本として期待していいと思う。

どういうことかと言うと、人類はここまで延々と生き残り生き残ってきた。ホモサピエンスとして生き残ってきた。なぜそれができたか、
、端的に言ってしまえば多様性である。何が起こるかわからない地球環境の中において、例えば全て大谷翔平みたいな人間が全人類が全日本人が大谷翔平だとする。そうすると大谷翔平はホームランが打てる。早いボールが投げて三振が取れる。それだけのことだ。それ以外の能力はもしかしたらないのかもしれないというか大谷翔平が、野球場で野球をやってられるのはもちろんドジャースと言う親会社がいて監督がいてコーチがいて周りに選手がいて9人揃ってるから野球ができるのである。そしてあのドジャーススタジアムに足を運んでくれるファンの皆さんそれがいてこそあの球場で、大谷翔平はホームランを打ったり、早い球を投げたりできる。という事は、大谷翔平の舞台を作っている我々がいなければ彼は活躍できないのだ。だから助け合っているのだと彼からもらってるたくさんのパワーはあると思う。それは天才ゆえの宿命でもあるような気がするが、でもそれを支えているのは、我々ファンだ。我々の彼に対する熱いエールや憧れや視線が彼を振り立たせより才能を研がらせているのだ。つまり、素晴らしい助け合いになっているんだと思う。つまり彼を育てているのは我々なんだ。だから、人にはそれぞれ役割があって、彼は見せる側、我々は見て応援する側、と言う役割なんだと思う。

この視点を現実の自分のフィールドに落として考えてみると、自分が劣っていることに対して、おそらく今までと違う感覚で物事を見れると思う。

我々ホモサピエンスがここまで存在できた要因は、地球上の予測不可能な様々なアクシデント、自然の変異などで生き残ってきた最大のポイントは突然変異なのだ。
例えばゴキブリは恐竜のいない前の時代からいたと言われている。それはゴキブリが様々な環境にすべて対応してきているからだろう。それは最初から備えていた才能ではなく、そういう自然災害とか地球の変化によってもたらされた困難をゴキブリが対策をとってと言うよりも、突然変異としてそういうのに対応できちゃう稀有なゴキブリがいたわけです。そうすると生き残るからその遺伝子が生き残っていくと言う現象で、ゴキブリは生き残っているわけなんです。
だからコツコツと努力をして対応してきたと言うよりも、突然変異が生まれて、それに救われて生き残ってきたという。何か理由があって、神様がその突然変異の事物を作っていると、そういう種族に限って生き残っている。
その中の1つが人間なのだと。そして人間の場合は、ゴキブリと違って、その知恵というものがあるので、言ってみれば、普通の動物たちは、もう生まれながらにして、すぐ本能が発揮できるけども、人間たちは親から教えてもらわないと周りから教えてもらわないと何もできない。その助け合うと言う人間の根本的な仕組み。それと、言葉を使って知恵と言う他の動物にはない人間ならではの特質が人間をここまで生き延び支えていると言うことなのです。
つまり人間は生まれながらにして他の動物よりすぐに、自分の足で1本立ちできない。まぁちっちゃい動物たちも1人たちはできないけど、結構本能で食べ方を教えないのに餌を取れたりとかそういうことができたりしますけど、人間は本当に手取り足取りで教えないとできない。それは助け合うと言う言葉と言う頭脳を使って助け合うと言う精神のもとに、人間は生き残ってきた。
人の欠けているところを補って、その補われた人間が成長してまた人を助けている。それのバトンでここまで来てるですね。人間はだから、集団で助け合ってきてこそここまで生き残れているんだと。その助け合いの時にその能力のない人が能力ある人に助けてもらうと言うパターンもあるけれども、その能力のない人をそうやって助けて生き続けられること、その能力なかった人の遺伝子がここまで生き残らせたと言うのは人間の生き残る全て必要だから生き残っている遺伝子なんですね。

なぜならば、
《生物は意味のない個性を持たないと言うものがあります。
心配性の人は物事に慎重だ。
神経質な人は、几帳面だ。
飽きっぽい人は、好奇心の幅が広い。
自分を主張できず、周りに流されやすい人は協調性に富んでいる。

「個性」は生物の戦略である。
個性は正解のない中で示された答えの1つである。生物は、必要な個性は作らない。
そう考えれば、すべての個性は必ず強みを持っているはずなのだ。》
(以上99ページから引用しました)

あなたのその「個性」(遺伝子)が受け継がれているということは必要だからこそです。
その遺伝子は必要だから、そこに生き延びてるわけなので、だからその遺伝子に一見、足が遅い逆上がりできないと言う遺伝子は何か能力ないみたいに感じるけどもそういう人はそれだからこそ他のところでできたり、そういう経験があるからこそ何かができたりって言うことができるんです。それが人間なんです。だから自分のもっと生まれたその引き継いだ遺伝子を自分で貶めしてしまわないで受け入れてできる範囲で、自分が人に何かやってあげるとか、または自分で不得意な事はスルーして、もう自分の好きなこと、やりたいこと、得意と感じることをやるとかすり。そうすると人間て、マイナスのある分絶対プラスの部分があるんです。
短気の人は一見短気と思うんだけど、別の見方で情熱的だとか積極的だとかそういう好奇心旺盛って言う方もできるわけで、いろんなも多面的に見ればいかようにもプラスとして考えられるわけで。
だからその自分が1番劣等感を感じてる、その部分を自分の視点だけで見ない。とりあえず見るのやめて、自分の別の視点で自分を見てみるとか、またはそれを気にしない。できないならば、気にしたままでいいから、自分ができる範囲で最善を尽くすと言う生活を繰り返しておくと必ずどっかで目が出るし、自分がそれを持ったままそれなりに一生懸命生きてること自体が未来の自分の力になるし。
自分の経験を全て知恵として将来使えることができるのも人間の特技の1つです。ですから生まれ持った自分の才能、できないと言う才能、それをぜひとも大切になんだろうな、自分で受け入れて、自分自身の人生をより良くなるように自分を励ましつつ生きていきたいなっていうのかな、生きていただけたらなと思います。そういう思いを込めて書かれたのがこの稲垣さんの本だと思います。以上です。

追伸・・・誠にへたくそでわかりにくい文章でごめんなさい。読後の熱意の冷めないまま勢いで書き殴ってしまいました。しかし、読んだ方はかえって読まなくなるかもと危惧いたしました。
もしも1ミリでもこの本に興味がわきましたら、この本の1番最後のほうにある「エピローグ」そして、著者の「あとがき」ここだけでも本屋さんで立ち読みしてみてください。

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