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考える人のメモの技術。教訓その1。
『考える人のメモの技術』を2回読んでわかったこと。
私は本を読んでも何も考えていない。
ということが、よーくわかりました。
一回目は、読み終わって、そのままなにも下書きもせずに、思い出すままに書いて、非常に的外れなことを書いている。
2回目は、引用した下書きを、そのまま文をつなげただけのものをアップしている。
メモを書き、読み直しても、自分の頭の中に新たなひらめきが起きてない。
いや、もしかしたら、微かなひらめきは起きていたのかもしれない。
しかし、それを感じ取るアンテナが立っていないのだ。
つまり「自分の頭で考える力」を失っていたのだ。
過去に読んだ本のほとんどはおぽえていない。
つまり、読んだだけで役に立っていないのだ。それは読んだ本について咀嚼してよく考えて自分の言葉に変換していないから、頭に残らないのだ。
小説やエッセイなどは別として、ビジネス書や実用書は、読んだ本に書いてあることで、いいと思ったことは、即実践しなければその本を読んだ意味がほとんどないのだ。
そして、実践に移せない知識のようなものは、自分の言葉に変換してアウトプット(自分のためノートとかに)しておかないと、ほとんどが頭から消えてなくなってしまうのだ。
穴の空いたバケツに、そうと知らずに水を汲んでいるようなものだったのだ。
本を読み、メモを取り、それを読み直し、そこで考えたことをまた新たにメモとして書きだす、という行為は、脳にキズをつけるようなような感じがします。
脳に刻みつけると表現すればいいのでしょうか。
そこまでやってこそ、その知識が自分のものになっていくような気がします。
今回のこの本での読書体験は、私にとってこの上ない貴重なものとなりました。
多分、新しい読書体験の始まりとなっていくような気がします。
著者の、下地寛也氏に深く感謝申し上げます。