働くことに生きがいを求めて〜15
この物語は「大好きな仕事を探し求めて彷徨った男の体験をもとにした小説です」
これまでのお話しはこちらです。
ここより本編です。
1978年9月東京池袋の高層ビル55階
Sシューズ正社員中途採用試験面接会場である小会議室で、人事部の二人と佐伯(私)が向き合っていた。
「向いてないと思います」
と佐伯は答えた。
その瞬間、和やかだった部屋の空気が変わった。
「今の聞きましたか?」
という目を人事部長の岡田は人事課長の木村に向けた。
木村もやはり目を岡田に向けて,同じことを問うているように見えた。
二人して何か信じられないものを見たような顔をして、お互い相手に同意を求め、
そしてそれを確認した後、また二人揃って佐伯に向き直った。
岡田は言いにくそうな顔をして
「佐伯くんその答えでいいんだね」と念を押した。
佐伯は二人の予想外なリアクションに戸惑いながら、「あっ、はい」とあっさり答えた。
自分は何かおかしなことを言ってしまったのだろうか?
とやや不安になりながらも、本心から答えたものだから訂正する必要を感じなかった。
「はい、わかりました。それではこれで面接を終わります」
佐伯は中途採用試験の面接会場を出た。
最後の問答がやや気になったがひとまずホッとした。
翌日、いつものように店に出勤した。
店は都内の荻窪駅前にある、Sストア荻窪店内の一階にある。商店街からの買い物客がひっきりなしに入ってくる。
その雑然とした人の間から出る単調な音と、食後の眠気が相まって、ウトウトしていた佐伯だった。
その夢うつつの眼前に、突然,昨日本部で会ったばかりの、Sシューズ人事部長の岡田が現れた。
佐伯は一瞬にして目が覚めた。すぐ姿勢を正し頭を下げて挨拶をした。
「お疲れ様です」
岡田は、挨拶どころではないっ!
私はいま急いでいるのだっ!
という顔をして佐伯の前を足早に通り過ぎた。
店長の藤山が、岡田の顔を見るなり、あたかも朝からずっと笑顔でいたかのような柔らかな笑顔を浮かべて、「どうしたんですか、部長!」と迎えた。しかし、岡田の足は止まらない。そのまま、靴売り場のバックヤードに早足で入りかけ、さらに藤山に対して目で「お前も来い」という顔をした。
藤山はチラリと佐伯を振り返り、「ちょっと売場たのむな」と目で訴えて中に入っていった。
なぜか、打って変わって険しい顔だった。
そのまま二人は30分ぐらい出てこなかった。
先に岡田部長が出てきた。
佐伯が挨拶しても目を合わせようとしない、どこか落ち着きのないイラついたようすで、足早に帰っていく。
佐伯はその後ろ姿に深々と頭を下げた。
振り返るとストックの出入り口に立ったままの藤山は、佐伯に向かって手を伸ばし、指4本をひとまとめにして下にクイックイッと折り曲げて「中に来い」という仕草をしてまた中に消えた。
靴売場のストックのすぐ裏が,社員食堂兼休憩室となっていた。
100人ぐらい座れるスペースがある。
その片隅に藤山は顔を硬直させて座っていた。
佐伯が近づくと藤山が顔を上げた。その顔は「ムンクの叫び」の人物のように細くて頼りなさげに細かった。しかしそのこめかみには血管が浮き上がっていた。
佐伯が座ると、
「お前はバカかっ!」
といきなり藤山は怒鳴った。と同時に右手に挟んでいたタバコを灰皿に擦り付けた。
それはまだ火がついていない長いままのタバコだった。タバコの葉が灰皿からはみ出して飛び散った。
「なんで靴の販売会社の中途採用試験の面接で、あなたは販売員に向いてると思いますか?と聞かれて、向いていません、と答えるバカがいるんだよ!」
藤山は言い放つなりまた、タバコを箱からつまみ出し火をつけようとした。
チャッチャッチャッ、だが、
火はつかない。藤山は100円ライターを放り出し,タバコをまた灰皿に押し付けた。
佐伯は藤山店長の怒りに恐れをなして返事ができない。と同時に、少し事態が飲み込めた。
「あのぉ、、、自分はこの半年ここで働いてみて、お客さんと接してみて、この仕事向いてないなぁって思ったんです。だから、正直に思ったままを伝えました。」
少し震える声で絞り出すように答えた。
藤山は足を組み、組んだ足をユラユラさせながら、「じゃあ何でお前はこの試験受けたんだよ、この会社に入りたかったからなんじゃないのか!
今お前は結婚したい人がいて,その人の両親に安心してもらいたくて、この会社の正社員になって安心してもらい、結婚の許可をして欲しくて、だから、好きでも何でもないこの会社に入ろうとしたんじゃないのか!
それが何でいちばん肝心の時に、お前の我儘な本音を出すんだよ。だったら初めから試験なんて受けるなよ!」
佐伯は返す言葉がなかった。
1週間後、本部から不採用の通知が届いた。
その通知を見ながら1人部屋でビールをあおった。
21歳の秋。最悪の展開だった。
佐伯はここ1年の自分に起きた様々なことを思い浮かべた
佐伯は小中学校時代はスポーツ少年だった。中でも野球が得意で好きだった。しかし高校の野球部の練習について行けず夏前に辞めた。暇を持て余したので暇つぶしに本を読み出した。そこで加藤諦三と出会った。「燃えるように生きる」人生のメインテーマが決まった。さらに夏目漱石と出会った。これがはまって、将来は彼のように奥の深い物語を書ける小説家になろうと具体的な職業まで決めた。
しかし、文学部は全部落ちた。滑り止めの付属の大学に文学部はなかった。仕方なく入って部活にその活路を見出そうとした。しかしその活動の末、自分が目指しているものではないと感じ、彷徨し始めた。
佐伯は大学3年の春から、家の近所にある和菓子屋でアルバイトをしていた。そこで出会ったのが2歳年下の裕美子だった。彼女は浪人中で、佐伯には当時付き合っている彼女がいた。
にもかかわらず、どうしても裕美子に心惹かれてしまった。そして、彼は前の彼女を振ってしまったのだ。後悔と罪悪感を抱えつつも、自分の正直な気持ちには逆らえなかった。
二人はあっという間に距離を縮め、「もう一瞬でも離れたくない」と感じるほどの関係になった。裕美子は予備校を辞め、佐伯も大学を中退した。裕美子は頭が良く、明るく社交的な性格だった。だから新宿にある大手企業にすぐ採用された。佐伯も、結婚を目指してはいたものの、どうも就活が上手くいかない。
佐伯は大学に小説家になるための何かを求めて入学した。しかし、その夢を現実が打ち砕いた。自分は文学の人ではなかった。
人生の目標がなくなった。
燃えるような何かが欲しかった。
そこに現れたのが裕美子だった。
結婚したいという気持ちに嘘はない。それが一番強い思いだったが、同時に好きな仕事を見つけたいという思いも捨てきれなかった。
結局、大学を中退し、職探しを続ける中、佐伯はどこか自分の立場を甘く見ていた。この頃から、小説の中の主人公と自分を混同していることがあった。
自分を悲劇のヒーローのように思うフシがあった。
自分を評価してくれる会社がある、とどこかで淡い期待をしていた。
しかし、面接で何度も落ち、己の無能力さを思い知り、徐々に自信をなくしていった。
ついには、面接にも行かなくなり、起床時間が昼過ぎになることも多くなった。
雨戸を開けた時、太陽の光が眩しく感じた。
彼女の裕美子からは責められた。彼女の親は佐伯との結婚に反対していた。
追い込まれた佐伯は精神的に袋小路に追い込まれたように感じていた。
働けるならどこでもいい、だけではだめだった。相手の両親が認めてくれるような会社とポジションが欲しかった。
要するに「肩書き」が欲しかった。
最後に頼ったのが中学時代の親友だった。彼はSシューズという靴の全国チェーンの店長を務めていた。彼は高卒でたったの1年で店長になった。彼曰く「お前もうちの会社にはいれば1年で店長になれる」とのことだった。この言葉は佐伯にとって値千金の救いの言葉だった。
こうして、半年前、
佐伯はようやくこの会社にアルバイトとしてもぐりこんだのだった。ゆくゆくは中途採用の道〜1年で役職に就ける。があることに希望を託した。
しかし、半年が経過し、佐伯は自分が販売に向いていないと感じるようになっていた。
そもそも靴にもファッションにも興味はなかった。
それでも、根が真面目な性格なので、やるべきことはキチンとやった。さらに八方美人的な性格だから、人当たりも良い。だから周りからの評価は悪くなかった。
中途採用試験の時は、自分の本心を考えると多少の迷いはあった。がしかし、とりあえず今は結婚を最優先にしようと考えた。だから、面接試験には前向きな姿勢で取り組んだはず・・・だった。
しかし本音は隠せないものなのか。
面接の最後に、全く予期せぬ質問が出て、まさかの、「向いてない」発言をしてしまった。
「ねぇ、何考えてんの?私と本当に結婚する気あるの?あんたの気持ちはそんなもん?」裕美子に面接の結果を報告した際、彼女は般若のごとく顔をゆがめて言い放った。
「ばっかじゃないの!」
言ったのち,すぐに脱力したように
「ったくもう」と声を漏らし、首を左右にゆるゆると振った。
「両親に言われたわよ。『見ろ、大学中退者なんてそんなもんだ。今からでも遅くない別れなさい』って」取りつく島もなかった。彼女の気持ちもわかるし、ご両親の言うことももっともだと思った。
そして、数日後に会社の本部からとどめの通達が届いた。
「あなたは3ヶ月以内に退職してください」と。理由は、中途採用試験に落ちた以上、社員登用の道は閉ざされた、つまりこの会社に残っても意味がない、だから他の道を探すべきだ、という内容だった。
佐伯は初めて自分の立場を痛感した。藤山店長からの説教も毎日のように続いた。彼の人生訓をこんこんと聞かされる。裕美子の態度が急変し、佐伯は焦った。「靴屋の仕事は好きじゃないけど、裕美子だけは失いたくない」そう思った。だから、佐伯は藤山店長に頭を下げた。「もう一度、試験を受けさせてください」と。
その願いは、けんもほろろに扱われた。
「ふざけるな!」と言わんばかりに
藤山店長に無言で却下された。
そうだよなぁ〜、ふうつ怒るよなぁ。
ありえないことやってるもんなぁ俺、と佐伯は自分で自分の行動を諌めた。
そして、諦めの文字が頭の中を去来し始めた。
ところが、思わぬところから助け舟が現れた。
藤山店長の上司の地区マネージャーの円藤が再試験の機会を提供してくれるように会社に動いてくれたのだった。そのやり方は思いもかけないものだった。
なんと円藤マネージャーは、佐伯の中途採用試験を受けられるようにと、社内で署名運動を起こしてくれたのだった。たかがアルバイトのために「署名運動」とは。
佐伯は円藤マネージャーに聞かずにはおれなかった。彼が店に巡回した日,夕方の休憩時間を共にすることがあった。彼は思い切って聞いてみた。
「何で俺なんかのためにここまでやってくれるんですか?
俺なんか仕事できないし、接客下手だしファッションセンスないから靴のディスプレイもできないし」というと、円藤マネージャーは「おいおい随分と自分を卑下するじゃないか。でも、それはとんでもない勘違いだ。君みたいな優秀な人を採用をしない人事部の目は節穴だ。君の面接時の失言は君の正直な自己評価だろ。いいじゃないか。向いてない人がそれでもその仕事に就きたいと思ったんだから。その前向きな姿勢をどうして会社は買わないんだ。
それから、これはここだけの話なんだけど、実はこの再試験懇願の発端は君の上司である藤山店長から相談されたからなんだ。
君はまだ社員でもないアルバイトなのに、紳士靴の単品管理(紳士靴の在庫を一足ずつサイズまで管理する単品管理と、紳士靴をジャンル分けしてそのジャンルごとに売れたものをカウントする。それにより売れ筋がわかること,店の特徴が掴め、お客様の好みを捉えることができた。まだポスシステムがレジに搭載される前の時代であったのでかなり有効なデータ管理となり売上向上の強力な武器となった)をしているそうだね。そのために,毎日売れた分の正札を家に持ち帰り、一足一足のカウントを取り続けている。それを週別,月別にまとめて上司に提出している。データだけでなく売場で得たお客様の生の声と自分なりの考察も添えて。それは店長にとっても店にとっても強力な武器になっている、と店長は言っていた。
そして、『円藤マネージャー、馬鹿正直なヤツを助けてやってくれないか?』と君の上司に真剣に頼まれたんだよ。
ヤツはよくやっている。うちの店に必要な戦力なんだ、とも言っていた。
これは僕も同意見だ。だから動いたんだ。君にはそれだけの魅力がある。
だから、佐伯くん、もっと自分に自信を持っていい。がんばれ!」と
円藤マネージャーに肩を掴まれ揺すられた。
佐伯は首をガクガク前後に揺らしながら、喜びの笑顔となり、目にはうっすらと涙を浮べていた。
しかし、ほんとうは心中穏やかではなかった。紳士靴の正札管理は、上司から言われたからやっていただけで,好き好んでやっていたわけではない。それにどこかで、再試験の実現に対して消極的な自分がいることも薄々感じていた。
この期に及んでまだ(自分の好きなことを仕事にする)ことにこだわっているのである。
だから、円藤マネージャーや会社のみんなを裏切っているような後ろめたさを感じて、申し訳なさでいっぱいだった。
しかし、円藤マネージャーの精力的な動きで、ことはどんどん進んでいった。
彼の再試験に向けた署名運動が社内で広がり、2週間余りで50名もの社員やアルバイトが署名してくれた。その現実に佐伯は驚きかつ感動した。
そのリストを持って円藤マネージャーが人事部に掛け合ってくれた結果,再試験が許可された。Sシューズ創業以来の珍事となった。
再試験の日、面接の最後に人事部長の岡田からまた同じ質問をされた。
「君は、販売員に向いていると思うかい?」
佐伯は堂々と胸を張り「向いていると思います」と答えた。
岡田と人事課長の木村はお互いを振り返り、目と目でその答えを確認した。2人はニヤリとした。
人事部長は佐伯のほうに向き直った。
「以上で本日の面接は終わります。結果は後日ご連絡申し上げます。お疲れ様でした」
1週間後、彼は社員として採用されることが決まった。
それを報告した時の裕美子の喜ぶ顔をみて、ひとまず,ほっとした。
まず、安定した仕事をして、裕美子と結婚する。好きな仕事はそれから探せばいい、そう割り切ることにしたのだった。