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バラの写真から

一昨日、通勤路で心惹かれるバラを見つけて思わず撮った。

ちょうど30年前の今頃、留学先のアルルでもバラの写真を撮っていたことをふと思い出して、久しぶりにその頃作ったアルバムを引っ張り出して見返してみたら、面白いくらい見事に、その時の私がいた。

どの写真も、息を詰めながら、どこかに光を探している感じ。

異国での生活が始まり、自分は何者だとはっきりいえない宙ぶらりんな状況の中で、ともすると自分を見失いそうになる恐怖に直面していた私は、「自我の監視下から思考を解放することを目指す」と謳われているシュールレアリスムを志向した。そして、日々写真を撮るにあたって、オートマティスムの実践を試みていた。

内側からの衝動が来たら、思考を挟まずその方向へレンズを向けシャッターを押す。
それを繰り返していた。

※オートマティスム(automatisme)
フランスのシュールレアリスム運動のなかで提唱された手法。 理性や既成概念にとらわれず、浮かんでくることを自動的に次々と速記し、意識下の世界を表そうとするもの。 自動記述法。

小学館/デジタル大辞泉

「その場所に行けば何とかなる」を繰り返してきた人生だったなーと来し方を振り返る。子供の頃から、何度もアリスの穴に自ら飛び込むような生き方をしてきた感じ。

実際は「何とかなる」じゃなくて、無事に生きて帰るためには意地でも「何とかして」「克服しなければ」ならず、長い間自分にとってそういうことが普通な感じになっていた。30代後半辺りから「身体」に向き合う生活に移行していき、普通だと思っていたことは「自ら設定していた負荷」だったんだなーということが、今になって自然とわかってきた気がする。

そういうことが俯瞰されて、いつの間にかあの時の自分を素直に受け止められるようになっていていることに気づいた。

若かったね。冒険したかったんだね。26歳の私、お疲れさま。

一昨日撮ったバラの写真には、あの頃のような悲壮感はなく、存在との一瞬の邂逅を無心に喜んでいる今の自分を感じることができる。

この世に誕生してから生き続け、経験の総量が増えていくにつれて、いろんなことの見え方が絶え間なく変化し続け、理が自然と現れてきたりする。生き続けるって面白いものだなと感じている。


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