言葉が「道具」になる前
この記事は2023/07/21に配信を行なったメルマガの転載です。
みなさん、こんにちは。エスノグラファーの神谷俊です。
「今日から夏休み」というお子さんも多いかもしれませんね。うちの子も今日から長い長いお休みです。エネルギーを持て余しているのか、早朝からダンスとピアノをして、いま虫取り網と水鉄砲を持って出かけていきました。
ほんとうに暑い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
言葉の意味を問われる日々
さて、今回のメルマガのテーマは「言葉」です。
冒頭に続き、子供の話で恐縮なのですが、最近漢字にハマり始めた娘から、言葉について問われることが増えました。その中で考えたことをお話しさせてください。
娘は現在年長。少し背伸びをしたい時期なのか、iPadの漢字アプリがお気に入りです。日常を過ごす中で、見慣れない漢字を目にするたびに「なんて読むの?」と質問をされます。ただ困ってしまうのは、質問はそれにとどまらず、漢字の成り立ちについても説明を求められるところです。
「梅雨は、なんで梅なの?」
「それはね、梅の実が大きくなる頃に降る雨だから、昔の人がそういう風に名付けたらしいよ。昔はカレンダーがなかったから、自然の変化で季節を読み取っていたんだね」
この辺はまだ予備知識で対応できます。
しかし......
「台風は、なんで大きな風じゃないの?」
私の知識では対応できず、GoogleかChatGPTの力を借りることになります。
しかし、それでも正しい知識を教える事は敵いません。「正解」の見えない問いに対して、だんだんとこのやりとりは、想像ゲームのようになってくるのです。
「(調べながら)昔は、颱(たいふう)と書いたらしい。でも、なんで台の部首がつくんだろうね」
「嵐は、山だよ。なんで山なの?」
「確かに。あ、台風はもともと野分(のわき)と言ったらしい(調べながら)。野原を分けるような強い風という意味だね。もしかすると、山や野や高台みたいなその土地の変化を捉える視点で言葉がつくられたのかも。嵐や台風の威力を自然の変化で捉えていたのかも」
「よくわかんない。ねぇ、雨は何で雨っていうの?」
これは、いくら検索しても手がかりさえ出て来ませんでした。「知らん!」と言いたいのをぐっとこらえて、大人としての矜持を見せるべく、想像と仮説を展開していきます。
「音から考えてみようか。「あ」と「め」だよね。「あ」は、開くって意味だって聞いたことある。あけるとか、あけがた、あしたとか。だから、何か開くイメージなのか(ここから独り言)。「め」は、母性や女性を表す言葉だよね。だから「あめ」は大地を開き、新たな生物を生み出す、、、的な?」
「ふーん」
最近は、こんな毎日なのです。
言葉は文化
このようなやりとりを繰り返す中で、ふと何かに気づく自分がいました。見知らぬ言葉との向き合い方は、こんな感じだったなと。
新しく言葉を学ぶときに、その言葉の成り立ちに眼差しを向けるようなスタンスがあったことを思い出したのです。
私はかつて留学をする中で、見知らぬ国の言葉を学ぶ機会が何回かありました。
そのたびに、この単語とこの単語はどうして同じ音なのか?全く異なる意味なのに、どうして同じ文字の羅列がそこに含まれているのか?など、疑問に思い、現地の方に聞いたりしたものです。
例えば、''Right'' です。
右という意味、正しいという意味、権利という意味もあります。なぜなのか?この言葉が人間の心臓の場所に由来することを知った時に、現地の人々の生き方や人間観が見えた気がしました。
娘の質問に辟易とした私のように、現地の方をきっと悩ませてしまったことでしょう。
でも、現地の方の仮説と想像混じりの説明を聞く中で、言葉を通してその国の文化が少しずつ見えてきたような気がしたのです。
私たちの言葉の使い方
新しい言葉と出会うときは、その言葉の背景に対して興味を持ちます。では、既に知っている(知った気になっている)言葉に対してはどうでしょうか。
その言葉の成り立ちや本質的な意味を理解しようとすることなく、使い始めていたなと自らを省みているところです。
とくに仕事においては、自分の意見を伝えるための手段として使ってしまうことが多いなと思っています。その言葉を知っている人が多く、その言葉を使うことによって、たやすく共通の理解を得ることができる。使い勝手がいいからこそ、あまり深い意味を考えずに使っている。記号のように使うことに慣れてしまっているのかもしれません。
その言葉の本質的な意味を理解しないままに、言葉の持つシグナルに反応するまま、従事していることが多いなと感じます。
組織、人材、採用、評価、育成......
私の仕事においては、このような言葉が繰り返し登場します。
その1つ1つの言葉の背景に目を凝らしていくことは、とても非効率で人によってはなんの意味も持たない行為なのかもしれません。
ただ私は、そんな「どうでもいい」ことに向き合う時間があってもいいと思います。
とくに自分の現在地の周辺にある言葉のルーツを知ることは、自らの現在地を深く理解することにつながると思うのです。
そして、言葉を深く捉えながら、自分なりの意味や解釈を与えていくプロセスは、自分の目で世界を見ることにも繋がるのではと思っています。
今回は、以上です。
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