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夜はただ過ぎゆくだけで

オフィス街と繁華街のあいだに建つビルの地下にその店はあり、昼はカフェ、夜はダーツバーとして営業していた。いつも薄暗く、年代物のジュークボックスや妖しくまたたくネオンサインはアメリカ映画の安易な模倣だった。実質的なオーナーである店長は30代で、小柄で優しげな細い眼をしていて、ビートルズが嫌いだった。夜、私はアルバイトとしてカウンターに立っていた。

私が店に慣れてくると、店長は隣のパチンコ店で時間をつぶすようになった。客がひとりだろうが20人だろうが、私ひとりである。カクテルの作り方など教えてもらったこともなく、西東社か柴田書店かの本を買ってきて、横目で作り方を追いながらクラウディ―スカイリッキーだのキューバリバーだの数十種類のカクテルを本物がどんなものなのかも知らないまま振り回し、いつしか街で一番怪しいバーテンダーになっていた。

カウンターにはダーツ好きの常連と店長の小太りな彼女がいつも座っていた。店が混んでくると食事の注文も入る。業者が持ち込んだ冷凍パックの具材を炒めるだけのパスタやピラフなのだが、ひとりでは手が回らない。仕事もせずにいつもドリンクひとつで一晩粘る常連のオッサンをつかまえて厨房で調理させた。

ビールが足りなくなると酒屋に走る。店では輸入のクアーズを出していたが、酒屋で買うクアーズは日本でのライセンス生産品で、原材料にコメが入っている。輸入品に飲みなれると味の違いは歴然としていたが、何食わぬ顔で出した。

ぽっかりと客がいない夜、女性がひとり入ってきてまっすぐカウンターに来て座った。見覚えのない若い女性だった。ふたりきりで間が持たず、私は彼女にダーツを教えた。この娘は私目当てに来たのだと感じた。

非番であるはずの女子高生が店内に駆け込んできて、やたら親しげに私に話しかけるものだから、客の女性は立ち去ってしまった。私はむっとするものの女子高生の話は終わらない。一度だけ遊んだ男から毎日のようにメールが来て困っている。お前のカラダが忘れられないと。彼女も私を誘惑する。

どうしようもなく忙しくなると、隣のパチンコ店に駆け込んで店長を引っ張り出した。店長は台にタバコを置いてキープして、ひと仕事するとまた元の台に帰っていく。経営に興味がなく、ただ惰性で店をやっているだけだった。女にはモテたので、カウンターに歴代の彼女3人が並んだこともある。

俺のことが嫌いだってことはわかっている。店長は私にそう言ったが、返す言葉はなかった。私自身が焦燥と惰性を生きていたのであり、彼は十年後の私だった。

ある夜、店長がひとりの高齢男性の手を引いて入ってきた。彼の父だった。遠い寒村でひとり営んでいた商店をたたみ、息子が見つけてきたビルの住み込み管理人になるため街に出てきた。鳥目で暗い店内ではよく見えない。所在なげな父をカウンターに座らせ、飲み物を出し、店長はパーラメントに火をつけて深く吸った。

数年後、街を再訪した私はかつて働いていた店を見に行った。そこはショーパブになっていて、厚く化粧して仮装した男がひとり寒風に立ち、道行く人にフライヤーを配っていた。

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