正しくないから正しい?
批判されても批判されても「自分は正しい」と繰り返し隣国や弱者を愚弄する元都知事と批判されても批判されても「自分は正しい」と繰り返し善や正義を愚弄するアーティスト…
いや悪いことを肯定したがってるんだから「正しい」というのもおかしな話だ。頭の中で何が起きてるんだろう。
「自分のアートはアートではない。しかし少なくともそれを『アートではない』と自覚している点において、『自分のアートは絶対にアートだ』と主張するあなたのアートよりも、よりアートなのだ」
「自分は間違っている。しかし少なくとも『自分は間違っている』と認めることにおいて、『自分は間違っていない』と主張するあなたよりも、より正しいのだ」
「私は自分がハラスメントをしないと断言することはできない。人間は程度の差はあれハラスメントをする存在だからだ。しかし少なくとも『ハラスメントは絶対にダメだ』という人間が知らず知らずのうちにしてしまうハラスメントよりも、自覚的にハラスメントをしている人間の方がまだマシなのではないだろうか?だから人類全体がその事実を認めることだ。ハラスメントを全面禁止にするとかではなく、ちょっとずつ小出しに広く浅くみんながハラスメントをした上で、お互いが許し許される。その過程を経て初めて全てのハラスメントが本当の意味で世界から消え去るのではないだろうか。つまり、『ハラスメントは絶対にダメ』と馬鹿の一つ覚えみたいに主張するしか能のないあなたのような偽善者よりも、「アート」の名の下に人類普遍の真理を探求し、それでもなお人として、表現者として、「芸術作品の姿を借りて」堂々とハラスメントをしてしまう私の方が、本質的にはハラスメントの完全なる放逐に手を貸しているとさえ言えるのだ。だから君も正しさとか正義とかサヨクみたいなことばかり言って自分を苦しめないで、もっと自分の欲望に正直に人生を享楽してごらんなさい。常識が押し付ける禁忌を侵犯し、抑圧を解放して崇高さに触れる。それが芸術と呼ばれるものではないだろうか?」
…「欲望」とか言っちゃって。こういう言説の無意識に「資本」がどれだけリビドー備給しているのか。自分だけおいしい思いしようとして語る語る…見果てぬバブルの夢…