ってそういうことがあったのか。
それ聞いて思い出したけど(と言うかことあるごとに考えるけど)、以前の仕事先で聞いたほとんど関係ない話…
バイトとして某Sランク大学の学生が入って来て、よく喋る「お調子者」という感じで皆ともうまくやっていた。
仕事帰りに男6人ぐらいでどこかカフェみたいなところで話をして、その時初めてそいつが「本気で」話すところを聞いたんだけど、恐ろしく記憶力のいい人間で自分が好きな小説やら詩やらの文章を丸暗記していて、それがいかに素晴らしいものであるかをほとんど相手に口を挟ませないで延々と喋る。聞いている方も「へえ…ああそう…そうなんだ」みたいに感心して聞いているしかない。だからと言って自慢気でもなく、面白おかしく話すのでまあ楽しく聞いていた。
それで同席していたもう1人の同じ歳ぐらいのやつが、自分がそういう「高尚な話」に着いていけないものだから、彼女とこの間一晩で何回やったみたいな品のない話をして「おまえだってこの前12回やったって言ってたじゃない」みたいにそのお調子者に振ったら「そう!」とか言ってまた嬉々としてその一部始終を話し始めた。(見た目「草食系」って感じだったから正直、え?エロも行けるの?って内心ビックリしたけど)
そいつには彼女がいて、その子はどこかのお嬢様みたいなこと言ってたけど、関係はあまりうまく行ってなかったらしい。それはまあどうでもいい。ある夜、大学の、そいつとは別の学部で「文学部」か何かの、同学年の女の子から電話がかかって来た。その子は「相談がある」と言うんだけど、話を聞くと「大学教授」との不倫のことで悩んでいるらしい。それで恋愛というよりはほとんど性的に「支配」されているような奴隷状態なのだみたいに言う。その教授が…ぼかして「フランス文学」の研究者としておこう…経緯はよく分からないが学生だったその子と性的な関係になり、どうも「文学をより深く理解するため」と言うようなマインドコントロールじみた口実で、頻繁に「突然」呼び出されて、彼女はそれを断れず言われるがままにホテルだかどこかに行ってかなりアブノーマルなことを、これも「されるがままに」するのだと言う。
それでその教授が学会か何かで地方に出張に行った時にもやはり「突然」電話がかかって来て、そいつが言うには「今すぐ来い」みたいにほとんど「命令」されて、彼女は「新幹線」に乗って(おそらく自費で)その地方都市のホテルの一室に向かうのだと言う。そうしたら部屋には「2人の男」(教授ともう1人、もしかしたら同じ学会の人間)がいて、そのまま「縛られて」何時間もSM行為を強いられたのだと言う。そしていい加減疲労困憊したところで、それ以外のことは何もしないまま、放り出されるようにして部屋を出て、また「新幹線」に乗って帰って来たらしい。
ここからはその「お調子者」の面目躍如たる部分なんだけど、そんな風にして「話を聞いてあげる」うちに、その子が突然「今からそっちに行ってもいい?」みたいになって、結局そのまま三日三晩、1日4回x3日で計「12回」…ってのがこの一連の話の発端だった訳だが、それはこの際どうでもいい。早い話その女の子もある種の「性依存」なんだろうとは思う。
しかし、自分は大学で散々セクハラやパワハラを目撃してその度に苦々しい思いをして来たので、こんな風にして「依存体質」の学生を探し出して権力勾配を利用して性的に服従させるとか「大いにあり得る」と思うし、それで精神的に追い詰められる学生もいれば、大抵の場合はうっすらバレてるから、噂を聞きつけて嫌な思いをする人もいれば黙って考えないようにする学生もいる。件の当事者と頻繁に顔を合わせて過度のストレスを感じつつ何事もなかったように学校生活を送らなければならないし、学問とは無関係なことに時間を取られ大切なエネルギーを浪費することになる。そのある種の「恨み」みたいなのがあるから、この話を繰り返し思い出すんだと思う。そういう行為をして人によってはバレて懲戒免職になるような「マヌケ」もいるかも知れないが、大半は教授職に就けるぐらいのそれなりの頭脳なのか計算高さなのか知らないが「狡知」を持った、いわば世間的には「インテリ」な訳だから、大抵の場合はこの教授みたいに「学問」と称して、やっと親元を離れて自分の人生を歩もうかという学生を(おそらくは)次々と貶めて、自分の身に危険が迫るようなヘマは決しておかすことなくヌクヌクとアカデミアで高給もらいながら定年を迎えるんだと思う。
こういった人間のタチの悪さは、衝動的な「犯罪」とは違って、倒錯した欲望を最大に享受するために、罪の意識を「背徳感」として意図的に作り出している点にある。だから「想像力を鍛える」とか「創作の糧にする」とか「フィールドワーク」とか、いくらでも並べ立てられる時に哲学的だったり社会学的だったりする言い訳めいた言説に基づき、わざわざ判断力が未熟で「傷つきやすい若者」を選んで狙いすまして「他者」を踏みにじるのだ。
教育機関だけでなく巨大な組織はどこでもそうだけど、権力構造の中に組み込まれた「暴力」は、「心を持たない」人間がそれを利用できる立場にさえあれば、ほとんど他人には気付かれないままに内面化される。それは心の中でひっそりと出番を待ち、条件が整った時に用意周到に「行使」される。
こんな「暴力」が学問から一掃されたところで、全体としての知の産出力なんていささかも低下しないだろう。仮にその暴力もろとも硏究領野そのものが消滅したとしても、ただハラスメントでトラウマを背負わされる若者の数が減るだけで、その分未来は明るくなるだろう。