トリックスター
「コロナもしかしたら大丈夫かも」という可能性があったのは2月初めぐらいまでで3月に入ったらさすがにもうやばいことになりそうだったしもう感染者急増で緊急事態宣言出たんだから元安全派の人たちもはっきり「危ない」と認めてもいいように思う。
それが
「コロナで文句言ってる人達は自分たちの政治的正しさを主張して根拠のない不安を煽ってるだけ」
みたいに話がどんどんズレて「危険派vs安全派」の内ゲバ状態になる。
安全派(もしくは正しく怖がる派)は「危険派はデマで煽り」を証明するために自分たちが信用したい「安全論」を担保する「科学的根拠」をネットに探しに行くんだけど、まだ全容が解明されてないウイルスなんだから論文にも当然のことながら安全側危険側両方があって、それを噛み砕いて大衆に解説する「専門家」が次から次へと出てくる。
その強い味方が感染症専門家の岩田先生。ダイヤモンドプリンセスでBBCデビューして脚光を浴びた際その翌日にいきなり自分で拡散した動画を削除。その時から正論を言いつつ反対のことも同時に言う「弁証法」みたいにケムにまくような言い回しが現代アートっぽいと思って注目して来た。
「ウヨクでもサヨクでも硬直したイデオロギーは非生産的。私はニュートラルに冷静に自分ができることを粛々と続ける。だから生産性が高い」みたいな。
またはDP号の防疫体制大批判した後でなぜか「日本政府はうまくやってる」って言って感染拡大したら急に「フェーズが変わった。早くプランBに切り替えろ。遅い」みたいに指揮官っぽくなった。その時のツイートのやり取り。
「うまく行ってる時はうまく行った。うまく行かなくなった時にうまく行かないのが日本」
って当たり前過ぎると思うんだけど、「プランBに移行するのが下手」って批判するなら「うまく行ってた」プランAの段階で
「政府はプランBを用意すべき」
って提言すればいい(あるいはツイートする)でいいと思うんだけど。岩田先生も「できなかった」のか「やらなかった」のか「知っていたけどあえて言わなかった」のか知らないけど、ある意味この国の「場当たり的対応」に似ていなくもない。
つまりその都度の「断言」の背後には常に「反対のことが起きる可能性」ってのが「留保」されてて、他人にはそれが見えてなくて最初はあたかも「プランAで大丈夫(たいしたことない)」と主張しているように聞こえ、それがいざ失敗と分かると「プランBが必要だと最初から言っていた」と方向転換する。
一見「後出しジャンケン」に見えるんだけど最初の主張の時にすでにぼんやりとした「逃げ」「ダブルミーニング」を用意周到に仕込んでいるからどんな場合でも事後的に弁解できる術を身に付けている。「トリックスター」か「アーティスト」に近い才能。
それは「万が一失敗した時の責任を回避するため」に最初の主張の中に「反対の予測をそれとなく混ぜ込んでおく」みたいな詭弁術だから、本人は常に「全ての可能性に開かれている」「間違いはただちに修正する柔軟さを持っている」と言い、この人からすれば一般的な意味の「主張」はすべからく強引で「硬直した断言」ってことになる。
こういう詭弁の「現代アートっぽさ」は気になってたけど、ここのところのこの国の「責任」とか「反省」とかのほとんど常軌を逸したごまかしっぷりを立て続けに見せられると、もしかしたらこの国でポピュラーになるアーティストや文化人や学者の方が「生き残るため」にこの国の政治家や権力者の言説を無意識に反復しているんじゃないか?と思い始めた。
首相会見後もこれ。
「みなさん党派性でそれぞれが勝手に自分たちの立場から『多様性を否定して分断を煽っている』から、そんな『同調圧力』に屈してはいけない、首相の存在そのものを批判してはいけない、自分はどこにも属さない『ジェネラリスト』なのだ」みたいな宣言。
聞き覚えがある。馴染み深い。この方とこの国の現代アーティストの思考パターンにおける相関性。あるいは両者と「支配者」「資本家」の言説との相関性について。コロナの成り行きと共に注目したいと思う。