笑ってごまかす

これ某有名サッカー選手がポルトガル語を話すサッカー少年を庇った3年以上前の話だけど何か流れて来た…本当に「他人が一生懸命にやっているのを笑うのは失礼」って感覚が理解できないんでしょうね…


今さら記事読んだけどその場の報道陣から「思わず漏れた笑い」を「ウケてる」と解釈している。と言うより、「たどたどしく一生懸命やる姿」を「笑う」のは「しょうがない」「普通の感覚」という前提がまずあって、その人を「かばう」「励ます」という行為も「おまえウケてるよ!」と一緒に「笑ってあげること」みたいになってる。

だから「なぜ笑う?」などと大真面目に言う人間は逆に「笑われてしまった人を傷付ける」ことになり、そんなことをわざわざやるのは「自分が善人と思われたくてカッコつけているからに違いない」と言う解釈になる。

このねじれにねじれた「お笑い感覚」ってのがこの国の「常識」あるいは「ノリ」とか「空気」みたいに思考や心理の隅々にまで染み付いているなら、それをベースにして「人権」とか「差別」とか伝達するの不可能じゃないだろうか?

だって全く「逆」になってる訳だから。ちょうど「痴漢」を「絶対に許されない行為」ではなく「ちょっとぐらいしょうがないんじゃないか?」と考える思考をベースにして「被害者にも隙があったんじゃないか?」「冤罪は?」とかいう「思考実験」の方が、痴漢行為の断罪よりも「本質的」みたいになる(欲望がどうこうとか)。あるいはアフリカ系の人たちを真似た「黒塗り」をバラエティに使って「気にしないで笑う」と言うのは「差別意識がない」からで、逆に「差別だと声を上げるあなたたちの方が差別の意識があるんじゃないですか?」みたいな流れ。

しかもこういうスラップ訴訟みたいな詭弁が上は政治家の答弁から下は日常の世間話まで行き渡り、世の中をうまく回す「潤滑油」みたいに不可欠なものとして信じられている。批判的であるべき言論人の一部が生きて行くためにその「空気」に思想的な肉付けを与える。

「思わず笑ってしまう」とか「思わず触ってしまう」とかは「本能」や「自然」に近く、それを欧米みたいに下手に「理性」や「規律」で抑圧すればやがてその「正義」を利用して強権的なファシズムがやってくるから、そういった世界的にはネガティブにしか捉えられないような「土着的な風習」も、むしろ未来のために「Syou-ga-nai」として海外に向けて丁寧に発信して行けば、いずれ世界の遅れた人権意識が「日本の先見性に追い付く」ことになり、民族的な対立も解消して世界平和がやってくる、日本はそのお手本になるのだ、みたいなとんでもないナラティブが共有される(今回のコロナ対策にも慣用されている)。

とある状況で日本が「思わず笑ってしまう」ことがあるならそこで他国は「思わず真面目になる」訳だ。この「思わず」「思いがけず」の部分にある無意識を、何だってこの国の人間は「それこそが最適解だ」って信じられるんだろう?

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