露悪を追いかけて
このツイートの絶望的な意味をアーティストの多くが理解できなさそうな嫌な予感。「現代アートが未来を予言した」なんて逆に調子に乗って盛り上がりそう。
今になってインチキ政治が現代アートみたいに露悪なことをやり始めた訳ではなくて、この政権ずっと自分たちの悪徳を「ほどよく」毒抜きするスピンとして現代アートの「炎上」をうまく使って来て、現代アート自体もどうすることもできないまま現政権の「ゆるい検閲」と「折り合い」をつけて共存するしかなかったように思う。だから去年のあいトリ事件でアーティストの方から進んで「表現の自由にも限度がある」とか言ってしまったり、河村市長のパフォーマンスで「表現の不自由展が完成」とか悠長なことを言っていられたんだと思う。つい最近だって「この政権以外の選択肢がない」とか。
現実が「露悪なアート」に追いついたんじゃなくて、逆にアートが「露悪な現実」を追いかけて来た。
しかし、この「緊急事態」を政権の思惑通り「それほど危険ではない」みたいに思ってればこんな「ぬるぬるした」露悪パフォーマンスだっておおむね「そこまで目くじら立てるほどのものでもない」だろうし、「今まで通り粛々と仕事を続けよう」という感じになるのでは。
端的に「ふざけるな。辞めろ」だと思うけど、そうはならない不思議。