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福島で3.11の日を迎える(前編)

1 夜ノ森へ

「ふたば、ふたたびツアー」の翌日は、2024年の3月11日。バスガイドさんに紹介され、興味を持った富岡町の夜ノ森へ向かう。

変わらないように見えて、木々はさらに生い茂り、家は朽ち、店舗は錆びつき、まさに本当の意味での「風化」が見て取れる。民家の前にもゲートができている。ここにあった暮らしが、そして日常が、根こそぎむしりとられてしまったままだ。私は、この光景を、多くの人たちが見るべきだと思っている。……いささか暴力的な言い方になるが、復興が進む前にこの地を訪れることを勧める。当然、復興は進んで欲しい。しかし、今でなければ見えない風景もある。今、見ておいてほしいのだ。

(小松理虔『新復興論』)

夜ノ森地区への帰還が始まったのは昨年の四月で、それからまだ一年も経っていない。駅前を出ると、引用した文章が「見るべき」だと訴えた理由が伝わってくる。風化しつつある家や建物は、私たちの街にもある空き家とは質が違う。十三年という時間の停止、その堆積が閉じ込められたものだからだ。

十三年前の雑誌の背が窓の向こうに覗いている。こたつの上に出されたカセットコンロに埃が積もっているのも見える。打ち捨てられてすっかり錆びついた自動車は、帰宅困難区域に指定された後、持ち出すことが出来なかったものだろう。自動販売機に「ポイントを溜めて景品をゲット!」と褪せた広告があって、引き換え期限は2011年の6月とある。「入居者募集中」と書かれた下宿の庭はすっかりススキに覆われ玄関が隠れてしまっている。

ただ、帰町が始まったからか、復興の息吹も感じられた。町のあちこちで解体工事と新しい建物の建設が進んでいる。広い「つつみ公園」は綺麗に整備されていて、ジョギングコースも走りやすそうだった。そして桜祭りを待つ並木道。メインストリートだけでなく、横道にもあちこちに桜の木が植えられている。桜の開化基準木の脇に、地元の俳人の句碑がある。

花吹雪南二丁目三丁目 ──坂本雅流

たまらなくいい句だなあ、と思う。「南二丁目三丁目」は私のような外の人にとってはただの地名だけど、住人にはその語だけで、咲き狂う桜が目に浮かぶのだろう。その土地としっかり繋がった一句は、帰町が進む今の状況にも合っている。

2 とみおかアーカイブ・ミュージアム

富岡町を訪れたのには他にも二つ理由があった。一つは一台の壊れたパトカーを見ること。

「富岡町では、二人の警察官が、津波が迫る中、最後まで町中を走り回って、住民に避難を呼びかけ続けました。沿岸部に住民の救助に向って、津波に呑まれ犠牲となりました。そのパトカーは、最初は処分されることになったのですが、市民の希望によって保管が決まりました」

と、これも前日バスガイドさんが語ってくれたエピソード。パトカーは保存の処理を施されて、最初は警察署の側にある公園に、その後「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に移された。

私が今年の3月、2011年以来に東北を再訪しようと決めたのは、映画『すずめの戸締まり』を見たことが間接的な原因になっている。震災ボランティアとして活動した私にとって、この映画はとても特別な作品だった。主人公のすずめは、震災で傷ついた過去の自分へ 「あなたは、光の中で大人になっていく」 と声をかける。聞いた時に「これは私の言葉だ」と思った。ボランティア先で、被災した子どもたちと触れ合う経験があって、私も全く同じことを願って、心の中でそう語りかけたことを思い出した。

この映画では題名にあるように「戸締まり」が一つのテーマになっている。自分の危険を顧みず、災いを防ぐため扉を締めること。作中での扉は霊的な世界に繋がっているのだけれど、震災と戸締まりという連想から、私は震災で亡くなった消防団員のことを思い出していた。

3 消防団員たち

「消防団員ってのは、兵隊なんだよ。地震があったら、水門を閉めに行かなくちゃいけないんだ。高台に逃げていく人をかきわけて、浜の方に降りていく。それで海岸にいる人を全部逃がして、やっと門を閉めて、一番最後に逃げるんだ。逃げ遅れたり、門ごと流されたりして、消防団員は沢山亡くなってるよ。犠牲者が多すぎて、積立金が足りなくて、見舞金は減額されてしまった。若いやつがいっぱい流された。俺みたいな歳くったやつがいった方が良かったって思うよ。あと二分遅かったら、俺もやられてたね。もう一回行けって言われても、行けないな」

2011年、津波被害の大きかった大船渡で、消防団員の方に聞いた話が心を離れない。昨日訪れた請戸小学校にもこんな記述があった。生徒と教師が避難した後、教頭先生が一人で残り、子どもを迎えに来た保護者たちに、生徒は大平山へと逃げたことを伝え続けた。最後に、校舎に誰も残っていないことを確認し、学校を出たのは津波が到達する僅か十分前のことだった。

私は以前、学習塾の校舎長をやっていた。「校舎」といっても雑居ビルのワンフロアだ。ある日の授業中、ビルの火災報知器が鳴り響いた。結構落ち着いて行動出来たと思う。講師の先生方に生徒の点呼を取るように伝えて、状況を把握するために一人でビルの階段を駆け下りた。それは結局、地下に入ってた飲食店の換気扇の不具合が原因で、事なきを得たのだけど、この時の気持ちは未だに思い出す。「生徒を安全に逃がす」というそのことだけが頭にあった。

津波てんでんこ」という教えが震災で有名になって、それは地震が来たら、それぞれがてんでんばらばらに逃げろというものだ。他人を見捨てて逃げろ、という冷たさに解釈されることもあるけれど、本来の意図は、誰かを探し回ることで自分が津波に呑まれることを防げというもの。全員がこれを守って、最善を尽くして避難するという信頼があれば、相手を探しにいく必要はなくなる。実際、多くの人が危険を承知しながら家族を探しに行って命を落としている。

一方で、消防団員、警察官、教師たちは、義務と使命からその場に踏みとどまる。多くの津波の伝承館のメッセージは、とにかく逃げろ、自分一人で逃げろ、というものに集約されるけれど、この人々はその反対を行く。むしろより危険な場所へと向っていくこともある。かれらのような職業や立場についていなくても、誰かを助けようと危険を冒した人のエピソードは限りない。そうした人々のことを「英雄」と語り伝えたいという思いを、あちこちで目にする。それは「一人で逃げろ」という教えと矛盾する部分があるし、また「犠牲」というイメージは様々に利用されたりもする。古い話だけれど、関東大震災における「美談」は大戦の戦意高揚のためによく引かれたらしい。

それでも、私は自分の体験からも、現実世界で「戸締まり」をした人たちのことを覚えていたい、という気持ちを持ち続けている。それで、富岡町のパトカーを見に行き、陸前高田に消防団員の鎮魂碑があると聞いて、そこにもお参りをした。

カート・ヴォネガットというSF作家の、消防士について書かれた下りが好きだ。実際に沢山の死者が出た震災の話に照らすと、不謹慎に聞こえるかもしれないけれど、引用したい。

火災警報が鳴り響いた瞬間から、もうアメリカではほとんど見られなくなった熱狂的な愛他行為がそこに展開されるからです。消防士は、相手がどんな人間だろうと関係なく、救出に行きます。そして経費をかえりみません。町一番のろくでなしのろくでもない家が火事になっても、日頃の仇敵が火を消しにきてくれるのです……つまり、そこでは人間が人間として扱われている。これはめったにないことです。

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』カード・ヴォネガット

この小説は、隣人愛にとり憑かれて、人を助けずにはいられない男が主人公の物語だ。その背景には、もはや損得抜きに他人を助けることができなくなってしまった現代社会への皮肉がある。けれども、危機的な状況においてはその自由が──誰かを無条件で助けても良いという自由が取り戻されるのだ。

後編に続く

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