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0メートルの旅・「四国歴史の旅」

こんにちは
日本史も世界史も大好き向山かおりです。
四国旅行の2記事目です。
今回は四国の歴史について勉強できたことが多かったので、そのお話です。
まず、四国、香川は屋島!!に行きました〜!!
屋島といえば
日本人なら中学の古文で誰もが習うため、
知らない人はいないと思います。

源平合戦の、屋島の与一のお話が有名です。
『よっぴいてよっぴいてひょうどはなつ』
聞き覚えありますよね。


『平家物語 扇の的』
矢島 源平合戦古戦場・那須与一
上は現在の香川県の屋島です。

こちらは
義経の命を受けた那須与一が、平家の官女が手招きする船上の扇に向って、鏑矢(かぶらや)を放つ瞬間の描写です。
ようは、平家は源氏をからかったんですね。それを見事に弓の名手、那須与一が打ち破ったと、、。
さらに、扇を打ち抜いたことに対して平家側は踊りを踊って讃えてみせたのですが、
与一はこの踊り手も無言で撃ち殺し、源氏の威厳を示します。

平家舐めてるなー!
源氏は気骨のある武士だなー!
カッコイイ逸話です。
那須与一

平家物語、第十一巻  
ころは二月十八日酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しう吹きければ、磯打つ波も高かりけり。舟は揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらず、ひらめいたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸(くが)には源氏、轡(くつばみ)を並べてこれを見る。いづれもいづれも我ならずといふことなし。
与一目をふさいで、「南無八幡大菩薩、別しては我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉(ゆぜん)大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させて賜ばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面(おもて)を向かふべからず。いま一度本国へ帰さんとおぼしめさば、この矢はづさせたまふな」と、心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱って、扇も射よげにこそなったりけれ。
与一、鏑(かぶら)を取って番(つが)ひ、よっぴいてひょうと放つ。小兵といふでう、十二束三伏せ、弓は強し、鏑(かぶら)は浦響くほどに長鳴りして、誤たず扇の要木は、一寸ばかりおいて、ひいふっとぞ射切ったる。
鏑(かぶら)は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。春風に一揉み二揉みもまれて、海へさっとぞ散ったりける。皆紅の扇の、夕日の輝くに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られけるを、沖には平家、船端(ふなばた)をたたいてかんじたり。陸(くが)には源氏箙(えびら)をたたいて、どよめきけり。


源氏におわれて、船で屋島ににげた平家軍。
平家は船を所有していましたが
源氏は所有していなかったので大層苦労して義経は平家を討ちました。
追いやられた平家は、この次の戦い、壇ノ浦の戦い(現在の山口県)で滅亡します。
日本史や、古文で描かれた情景を、現代の屋島で想像するととても楽しいものでした。
歴史好きにはたまりません。
その後
「寛永通宝 銭形砂絵」

を見に行きました。


こちらも、もちろんその大きさにも驚きますが、造られた経緯にも、チームの大事さ、人の結束力の大事さが学べます。
観音寺市といえば「寛永通宝」と言われるほど、市内で一番人気がある観光スポットです。

有明浜の白砂に描かれたこの砂絵。

その大きさはなんと!東西122m、南北90m、周囲345mもあります。

一般には、寛永10年(1633年)に藩主、生駒高俊公を歓迎するために一夜にして作られたと言われており、

この砂絵を見れば健康で長生きし、お金に不自由しないと伝えられています。

琴弾(ことひき)公園内の山頂展望台から見るのもおすすめですが、地上から見るとさらにその大きさが体感できます。
1633年に、藩主がこの地に訪れます。その際、この地には何も珍しいものがないからと
地元の領民が力を合わせてこの100メートルを超える大きさの銭形砂絵を浜に描いてもてなしたことが起こりです。

それ以来約400年近く、この絵は守られているということ。
すごくないですか??
お金ももらえるわけでもないのに、無償でみんなで力を合わせていることに本当に感動します。
現代でそんなことする人いますかね?
いや普通いない!!
だからすごいと思いました。

そして次は

金比羅山

全長約1300段にもなる階段をのぼり、
お寺参りしました。


とにかくひたすら階段をのぼる
途中お土産屋さんを横目に見ながら
膝ガクガクでした。


上はスタート地点です。
杖の貸し出しもあるくらいかなりの難所です。
しかし、その貴重さから
金比羅犬という
人の代わりに犬に参拝をさせるという風習もあるくらいの有名な場所でした。

江戸時代はとても平和だったので、
犬にお金を持たせてお寺にお参りして戻らせるというのも成り立っていたんですね。
今の日本より治安が良いのではないでしょうか?


そして最後の驚きは、この、

笑顔元気くん

なんと宮司がかいた らくがき、いやキャラクターなのです。
こんな下手くそな絵が、、と思わず買ってしまいます。
難儀な階段も、上の素晴らしい見晴らしも、
全部笑顔元気くんで記憶が占められてしまいそうになりました笑
もちろんこんな長い参道の維持は
とてつもなくお金がかかります。
でも、こんなアイデアを思いつくあたり、香川県の方のユーモアを感じますね
歴史スポットをまわるだけで
四国好きになりますよね?!
まだまだ書き足りないのですが、、、この記事はここでおしまいにして、
次回はお遍路の旅に続きます。


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