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「徳」を積みたい

この世はやっぱりどう考えても不公平ですし残酷です。

どんな美辞麗句で覆い隠そうとも、この真実は変わりません。
「夢はかなう」「努力は必ず報われる」等々、この手の言葉って我々世代は幼少のころからイヤって程聞いてきましたよね。
いやいや誤解はしないでください、私は決して夢や努力を否定しているわけではありません。夢は叶って欲しいと思いますし、努力は報われてほしいと思います。
ただ、現実はそんなにシンプルな世界じゃありませんよね。

なぜなら、そもそものスタートからして全く違っているんですからね。
政治家やら有識者、テレビに出ている人たちはこぞって「機会の平等」ってことを言いますが、何のことやらですよね。
「能力主義」ってのもそうです。人間なんて、個々人の才能・資質・能力はそれこそ千差万別なんですから。でも、私は若いころ「能力主義」って言葉が好きでした。これが最も公正だと思っていたんです。
イヤイヤ愚かでした。

福祉に長く携わっていると様々な事情を抱えた人たちと関わります。「家の経済状態が厳しい人」「虐待された人」「生まれつき障害のある人」書ききれません。
それは、その人たちの責任でなく、そもそも生まれつきだったり、生まれた家がそうだったりしただけなんです。能力や病気もそうです。基本的には「運」です。
つまりこの世は残酷なんです。

でも、福祉をやっていて思うのは、そういう問題はとても複雑ということです。その当事者相手にそう簡単に手出しできるものではありません。

だから私は「徳」を積みたい。

そう、そう簡単に直接何かができるというものではないのです。
だから、「徳」を積みたいと思うんです。

直接的に何かができなくても、少しの優しさを持つとか、本当に少しでも募金をするとか、そんなことです。
お寺や神社でも、手を合わせます。
路上のごみを拾ったり、公共の場をキレイに使ったり、飲食店の店員さんに優しい言葉遣いをするみたいなことでもいいと思います。

私がこれからやろうとしていることも、考えてみればそんなことのひとつかもしれません。

結局のところ、家族に恵まれ、経済的に安定しており、健康であれば、それは十分恵まれた運の良い人たちだと思うのです。
そういう人たちが自らの幸運を自覚し、残念ながら運に恵まれなかった人たちに対する優しさを少しでも持ってくれ、ちょっとの行動をするだけでこの残酷な世の中が少しだけでも優しい場所になるかもしれません。

私自身はそれほど運の良い人生を送っているとは思いませんが、それでも日々ちょっとだけでも「徳」を積むことを意識して生きていこうと思っています。


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