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今日はHILTON


さて、昨日口論したホストと別れ、今日はヒルトンがあるILOT MAITRE(メトル島)という島に来ました。

昨日書いたように、もうホストに車で送ってもらわないことにしたので、暑い中自力でスーツケースを引いてバス停まで向かっていました。

すると青い車で私の横を通りかかった男性が、「送るから乗って行きなよ」と。
いやいや海外の知らない人は危ないし、バスのるから大丈夫と断ったのですが、彼は「乗りなよ」と純粋な目で言ってきます。

自分の人センサーを働かせ、「この人は単に親切心で言っている」と感じたので、ありがたく送ってもらうことにしました。
万が一にもラブホとか、自分の家とか連れ込まれないかと警戒していましたが、始終車中の会話でも温かい笑みと目を向けてくれる。こんなありがたいことがあっていいのか。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか、と感じました。

無事に船着場まで送ってくれ、私が一人旅していると知ると、「’大丈夫?島までも一緒に行ってあげようか?」と。
こんな無償の親切や相手を思う気持ちがあっていいのでしょうか。見ず知らずの他人に。
本当にありがとう、ナタ(彼の名前)。あなたの温かい思いやりの気持ちに心打たれ、私も誰かにこの無償の親切や思いやりを回していかないと、と強く思いました。そのための今回の出会いだったのかな。
そして、こういう時のために、何かちょっと渡せるような日本のアメとか持ち歩いておくべきだとも感じました。

そして、昨日のホストとのやりとりを思い出しました。
自分で送ると言っておきながら「私の親切心であなたを送ってあげるのよ」と何度も恩着せがましく言っていた件を思い出しました。

「見返りをもとめる」から、不平不満が出るのではないかなと。
頼んでもいないし、仮に相手に何かやっても「やってあげてるのよ」という気持ちがあると、相手の言動が自分の思い通りでは無い場合(もちろん悪気はなし)、「親切にしてあげているのに」という不満につながるんだなと学びました。

親とか友達間もそうですよね。「あなたのためを思って言っている/やっているのよ」と言われて不快になったことが誰でも一度はあるはず。
頼んでないし、放っておいてほしいし、恩着せがましくされたくないし。

相手に求められていないことを自分が良かれと思ってやった場合、相手に「感謝して」とか見返りを求めるのは自分勝手なことだなと。
そして仮に相手に求められてやった言動も、「やってあげたのよ」とネチネチ思うのはお互いに負担だなと。
それをやろうと決意したのは自分だから、何も見返りや感謝を求めずにやってあげること。「あなたが喜んでくれれば満足だわ。その手伝いができて私も嬉しい。以上、終わり。」という仏の境地に達する気持ちが必要なんじゃないかなと考えました。

私もそういう境地に達するのにトレーニングをしていかないといけないけれど、その気持ちを意識していきたいです。「相手のためを思ってやったことだけど、やるって決めたのは自分だしな。その人が喜んでくれれば万事OK」

だれかの言葉にも「かけた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」とありますよね。
(調べたら尾畠春夫さんでした)

人から受けた恩は後生忘れず恩返しを考えていこう。けれどかけた恩は、恩を着せたりせず長そう。
そういう、軽やかで温かな循環が大切なんですね。

さて、話はホテルに変わります。
今日はヒルトン、明日はマリオット。この2日が2023年の自分の労いの2日間です。

え、リッチやんって思いました?
うーん、それは違うんだな。
ヒルトンは約28,000円で宿泊、マリオットはアメックスのマリオット会員(旧spgカード)なので無料です。

ヒルトンに関しては、安い、と思いませんか?
実は、トリックがありました。
最初、本当は49,000円で予約していました。金額が下がったわけは。。。

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