春馬くんへの哀しみが癒えない方へ~百箇日を迎えて。
今日は春馬くんの百箇日でしたね。
ネットの中では、まだまだ気持ちの整理がつかず、悲しみの中にいらっしゃる方も多いと感じました。
そんな私も本日は、空を見上げて想いを馳せました。
青く澄んだ空に、柔らかな雲が浮かんでいましたよ。
その爽やかさと優しさが、穏やかにほほ笑む彼そのものに包まれているような気持ちに。
あの日以来、1日たりとも彼を想わなかった日はありません。
でも、悲しみに浸っているわけではなく、時折、想いを馳せる時間を持ったり、心の中で彼のあり方を意識したりしています。
少しずつ、プラスの面に目を向けられるようになってきました。
私が悲しみからプラスの方向へ進んでいけるようになったのは、春馬くんの旅立ちの解釈を少し変えることができたからだと思います。
私は四十九日を過ぎてから、何度もこの本を読み、何度も自分の中に落とし込んで来ました。
この本で、こんなメッセージがあるのです。
「寿の命」とかいて、寿命。
ほんの短い期間であっても、どんな死であっても、
それは与えられた寿命であり、決まった運命です。
「決まった寿命」を全うし、あらかじめ、
決めたタイミングで天に還ります。
<中略>
人はいつ死ぬか、わかりません。
同時に、寿命までは死にません。
だからこそ、
「恐れすぎず、今をどう生きるか」
「大切な人に、いかに気持ちを伝えておくか」です。
かげがえのない今を、大切に。
限りある生命なのですから。
長年のファンの方でしたら、ご存知だと思います。
春馬くんが如何に濃密な時間の過ごし方をしていたか…。
1日休みがあると、北海道からでも自費で都内に戻り、ボイストレーニングを受けたり、日帰りで海外に行ったり…。
仕事のハードスケジュールとは別に、彼自身が無駄な時間を使いたくない人でしたよね。
本格的にブレイクした17歳ぐらいから30歳までの12~3年間は、
たぶん普通の人の倍は生きてきたのかもしれないと思います。
そんな生き方だったから、その軌跡が旅立った後でもたくさんの人の心をつかむのかもしれないと思うんですね。
彼の使命は、間違いなく俳優・アーチストとして、人々に感動や幸せを与えることだったと思うのですが、それだけでは無かったのかもと最近思います。
それは、その生き方や人となりを通して、とてもとても大切なものを教えてくれていますよね。
見た目だけでなく、心のあり方やその美しさを…。
旅立ってからそれを知る方がかなり増えたんじゃないかなと思うのです。
社会現象といってよいほどの規模になってるのかなとも感じます。
そんな意識変革をさせてしまうことも、もしかしたら彼の使命のひとつだったのかもしれません。
たった30年しか生きていないのに、これだけ多くの人の心に影響を与えるなんて、本当に尊い方です。このお役目も全うされたのかなと。
私ももちろん、真実が明るみになっていない現在では、納得はできていません。でも、彼が戻ってこないという現実も受け入れなきゃいけない。
それと共に、彼が教えてくれた大切なことや価値観を、自分が生きていくために大切にしていこうと決めました。
百箇日というのは、卒哭忌(そっこくき)とも言われ、遺族が泣き悲しむ(哭)ことから卒業するという意味があるようです。
すぐに卒業できなくてもよいと思います。
でも、春馬くんは多くの人が悲しんだままになっているのは、嬉しくないかなと思うんです。
だから少しずつ、一緒に前を向いて行きましょうね。
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