火のないところに煙が立つ...?
2019年8〜9月くらいでしょうか。「高校在学中に車を買うという夢叶えるため、バイトを頑張り、軽自動車を購入したJK」がTwitter上で拡散されました。
30万を超える「いいね」がつき、これほどの気分のいいニュースはなかったことでしょう。(かくいう私も「いいね」しました。)
しかし状況が一変、なぜか炎上し、アカウント削除にまで追い込まれたとのこと。
耳を疑いました。
そのツイートのリプ欄や引用リツイートの中には、ポジティブな言葉で溢れかえっていました。
なぜ炎上したのかを突き止めることは難しいでしょうが、どうやら
”炎上したのは、「JK」ではなく、「デマ」”だったのです。
”こんなこと言うやつ”はいけないよね
から
”こんなこと言うやつ”が出たらしい
に変化し
空想的な”こんなこと言うやつ”に対して炎上していたのです。
ひと昔に流行った、コンビニでの問題行為とはまた別ケースの炎上です。
この炎上の火種はあえて言うなら
皆の”こうあるべき”
です。
SNSでの”秩序”と”自由”
本来インターネットでは、様々な実社会とは違う世界でした。
ブログサービスが始まり、個人の意見や見解を主張できる場でもありました。
”秩序”と”自由”で言えば、”自由”の場でした。
しかし、インターネットを利用する方が増加し、”SNS(Social Networking Service)”という”コミュニティを作り、広げることのできるサービスが普及するようになりました。
中でもTwitterは個人の行動や思想が投稿しやすく、反響を生みやすい為、世界全体ユーザが3億3,500万人、日本では4,500万人のユーザが存在します。
最近は”観覧だけ”のアカウントも多く存在しますが、もはや、Twitterは一つの架空社会になり
”自由”であるからこそ、自身の”自由”を持ってして反駁することができます。
そして、誰かの”自由”に大勢が賛同することで、新しい”秩序”が形成されやすくなりました。
難しくなりましたが、”Aちゃんが可愛い”という意見が多い場合”Aちゃんは可愛い”は感想ではなく、新しいルールとなります。
よって、”Aちゃんは可愛くない”という意見はそのコミュニティでは認められなくなります。
この現象が起こりやすく、また規模が拡大しやすいのが”SNS”なのです。
つまり、誰かの”こうありたい”が大勢の”こうあるべき”になりやすいのが今のインターネット環境と言えます。
”選ぶ”と言う自由
ある分野で修得すべき知識を、理解し活用する力、また分析し判断する、総合能力を表す言葉を”リテラシー”と言います。
”自由”を得るためにはある事象に対して自身で理解や、決定、活用を行う
オーストリアの精神科医、心理学者であるヴィクトール・エミール・フランクル(Viktor Emil Frankl)は「何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択できる自由がある。刺激と反応の間には選択に自由がある」ことを発見しました。
ある情報を見た時(刺激)、感情的になったり、無視したり、それぞれの反応は、実は”自身の選択の自由”なのです。
勿論”周りの意見に流される”も無意識のようで、選択しているのです。
”リテラシー”を持てば、”周りに流される”や”感情的に反応する”以外の
”一旦冷静になり、そのことについて調べてみる。”
といった選択ができるのです。
”リテラシー”を持つほど、より多くの”自由”を得ることができるのです。
”リテラシー”がない場合、その場での感情的な反応や、周りに流されるといった選択でしか選べなくなります。
この人の”こうありたい”は共感できるし、たくさん「いいね」がついてる(大勢も賛同している)から、これは正しい。だから世の中が”こうあるべき”だ。
この思考回路は無意識に起こってしまいがちです。
こう反応するのは選択の”自由”のうちの一つです。
ですが、それによって得られた”こうありたい”は、誰かの”自由”によって生み出された自身の中の新しい”秩序”でしかありません。
”自由”であるためには、それに伴う”能力”が必要です。