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どちらでもない私

私は父がメキシコ人、母が日本人のハーフです。

特にハーフであるという事を難しく考えた事は無い。生まれた時から当たり前の事だし、私はハーフだ。

いじめられたりした事もないし、むしろ先生達からはいつも贔屓されていた様に思う。(先輩からは呼び出されたり、砂かけられたり、色々とありました。今でも思い出すと嫌いだけど、特に傷ついた泣いちゃうみたいな性格では無いので嫌ながらも気にせず過ごしてました)

ただ一つ、幼い頃は自分の名前が嫌だった。カリーナは本名ですが、苗字は母の姓を名乗っていたので、ありきたりな日本の苗字にカリーナ。(父はメキシコで、スーパーありきたりなロドリゲスという姓なので、ロドリゲス カリーナだと虐められるかも知れませんよと母が役所の人に当時助言されて日本では母の姓を名乗る事になった)

小学校に上がるぐらいの記憶から私は自己紹介がとにかく嫌だった。人見知りでもあるので人前で話すのは凄く苦手です。そんな中、違和感のある自分の名前を言うのが本当に嫌だった。

だから小学校の頃は恥ずかしくて書きたく無いけど.....☺︎

違う名前を名乗ったりする謎の少女でした。

たとえば「レイナ」........(それ以外もあるけど恥ずかしくて書きたくない。)
もっと日本らしい名前にすれば良いのに、結局ハーフっぽい名前を名乗っていました。自分の顔に日本っぽい名前は合わないなと思っていたのかなと思う。

そして漢字にも凄く憧れがあったから、カリーナに当て字で漢字を考えたり。

そんな私だったけど、今では自分の名前が好き。人にも覚えてもらいやすいし、今の時代変わった名前の人は沢山いる。それが個性だったりする。だからこの名前で良かったなと思っています。

誰しもコンプレックスがあると思うけど、私のコンプレックスは名前でした。(他にもあるけど)

コンプレックスがいつの日からか個性に変わったり、お気に入りになったりする。当時の私に教えてあげたい。

そしてハーフについて思う事は、日本にいてもメキシコにいても変わった人扱いされちゃう事。完全な日本人じゃ無いし、完全なメキシコ人じゃ無い。これはよくハーフあるあるでみんなが思う事なんだと思います。

そしてどちらの国も同じ様に愛している。どちらの国も大好き。

22歳までにどちらか国籍を決めないといけなかった時も当たり前の様に日本と決まっていたけど、(メキシコにしたら大変な事になる。アメリカに入れなかったり)本当はどちらかを選ぶのは嫌だった。

国籍も日本にしたし、今は日本で暮らしてるけどメキシコがとても恋しくなったりする。メキシコに住んでいたなら、きっと日本がとても恋しくなってるだろうと思う。この気持ちは昔からいつも私の中にある。

最近は週末によくメキシコの親戚とTV電話をしているので余計に恋しい。会いたい時に会えないって辛いなと思います。

メキシコは適当で陽気な国だけどそれだけじゃない。大切な家族にはいつも大切だと言葉で伝える。電話を切る時は必ず親戚の誰もがこう言う。家族じゃなくても友人や大切な人に当たり前に言う。

Te quiero mucho
大好きだよ
Te mando un beso y un abrazo
私からキスとハグを贈るよ
Saludos a todos.
家族皆んなに宜しく

これ以外にも素敵な愛情表現の言葉が沢山ある。

そんな愛情豊かなメキシコだけど、ちょっと治安などは怖い。最近メキシコの麻薬ドラマにハマっていたので直ぐ影響されちゃう...☺︎

父から聞くメキシコの話は本当に怖い事もいっぱいある。だけどメキシコの血も入っている息子達には、ちゃんとメキシコの事も知って欲しい。メキシコに行かないと感じ取れない言葉のニュアンスだったりを知って欲しい。

いつか子供達が大人しく飛行機に乗ってくれる年頃になったら日本中も旅行したいし🇯🇵メキシコ中も旅行したい🇲🇽

そして愛情表現はしっかりする子供になって欲しい。

最後に今日の写真はハネムーンで行ったメキシコ、カンクンTulumでの一枚🌴




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