弱者男性はどうして生まれるのか

ここ最近、やたらと「弱者男性」というワードがTwitterのTLに飛び交ってるのだ。

この言葉について、最初は男性の生きづらさの話だったと思うのだが、それがいつの間にか男性は弱者であるというような話になっていたのだ。得たイさんはこの流れに違和感を感じたので、そのことを話そうと思うのだ。


性被害は連鎖する

これにはまず、性被害は連鎖することを理解しないといけないのだ。弱者男性という概念はここに関係しているのだ。

現在グランドジャンプめちゃで連載されている「セックス依存症になりました」が、ちょうど女性の性被害者の家族が性加害者にマウントを取ろうとする描写を含んでいてタイムリーなので、これを例にするのだ。

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まさにこのシーンをネットでよく見るのだ。ただ性被害の経験のある女性の多くはそこまで過激な発言はしないものの、根底には被害者が上で加害者が下だという意識を持っているように思うのだ。

しかし、このシーンで"性犯罪者を擁護している"ように女記者から見られている主人公の津島さんにも性被害の経験があるのだ。彼は幼少期に父親から性的虐待を受けていたのだ。そして津島さん自身も、性加害者にマウントを取ろうとする描写が過去にあるのだ。(56話)

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この意識を持っている当時の津島さんが、自助グループに繋がったばかりの頃に知り合った女の子を押し倒したりする描写があるのだ。

話が戻って津島さんはこの女記者に、以前元カノに暴行を受けたことを話しているのだが、その元カノもネグレクト(エロ本のある倉庫に軟禁した点で性的虐待と言える)により性が歪んでしまい、結果として津島さんを性的にコントロールして暴行するに至ったのだ。そして津島さんは元カノによるDVを反芻して「性犯罪は許せない」という歪んだ正義感に至り、その意識で(描写の順番は前後するが)カラオケで女の子を押し倒したのだ。

このマンガの描写の中でも、性被害が連鎖することは証明されているのだ。

ただ、実際の性被害の連鎖はもっと分かりやすいものなのだ。男性は幼少期に母親からのモラハラや学校の女子からのいじめ(キモイ等の罵倒)、これら男性性を否定される性被害を受けることにより、そのトラウマが解消されないまま女性を敵視し、人によっては性犯罪に至るのだ。性被害(性的虐待も含む)に遭った女性は男性に対して恐怖と嫌悪を抱き、そして性被害の告発とともに男性という大きい主語に対して被害者マウントを取り、男性性を傷つける言葉を発するのだ。これが新たな男性の性加害者を生み出すのだ。このことは作中にも表現されているのだ。

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さらにそのトラウマが解消されないまま家庭を持った場合、男性性の否定が子供にまで及ぶのだ。

「最初は息子が言うことを聞かないせいだと思っていました。でも、だんだんと息子を憎んでいるんじゃないかと考え直すようになりました。

オムツを取る時に、性器が見えるじゃないですか。すると、昔受けた性的虐待や痴漢のことがフラッシュバックして、ものすごく息子が男であることが怖くなるようになったんです。男が目の前にいるのが恐ろしい。そんな感情から息子を憎らしく思い、泣いたり、騒いだりするだけで、頭に血が上って暴力をふるってしまうんです」
「私は男の人をまったく信じていません。嫌悪の対象でしかない。絶対に暴力をふるう人間としか考えられないんです。

長男は今小1ですが、あと数年すれば性欲を持つ大人になる。私にはそれが恐怖なんです。だから今後もどんどん暴力がエスカレートするんじゃないかって自分でも自分が怖い。

今は夫に対しても同じです。あれだけやさしくしてくれているんですが、どこかで信用できないんです。大人の男2人が家にいると考えるだけで、私は将来が見えません。かといって、この精神状態で夫と別れて生きていくことなんてできない。もちろん、母親に助けを求められるわけもない。自分でもどうしていいかわからないんです」

母親が小学生の我が子を「性犯罪者予備軍」という目で見ている……これが女性による男性への性加害でなくて何なのか、ということなのだ。

男性による女性への性暴力があるとき、その背景には必ず女性による男性への性加害があるのだ。これが鎖のように繋がっているから性被害はなくならないのだ。

そして、性被害者と性加害者の狭間に落ちてしまった層が「弱者男性」なのだ。なぜ男性が弱者になるのか、それは男性性を女性から否定されたにもかかわらずそれに抗う力を持っていないからなのだ。

性被害者の(人間としてではなく性被害者としての)生存戦略は、性加害により異性にマウントを取って自分のジェンダーを守ることなのだ(だから「モテ=暴力性」というおかしな理論が生まれるのだ)が、「弱者男性」は性被害者でありながら性加害者になりきれない、要するに生存戦略を失ってしまい「男」であることを誇示できない状況に陥っているのだ。

性被害者と性加害者、どちらの立場にせよこの連鎖を自分のところで断ち切らなければならないのだ。弱者男性に残されている道は、自分が性被害者であり、そして性加害者予備軍であることを認識して、この性暴力の呪縛を断ち切ることだけなのだ。


繰り返される男女間の性被害マウント

この「弱者男性」という概念、ポッと出なのでよくわからないのだが、ただひとつ確かなことは、(自分の中の)加害性や暴力性とセットで語られているところにあり、加害的・暴力的であるということなのだ。

弱者男性は性加害者になりきれない、と先ほど言ったのだが、加害性は持っているのでいちおう生存戦略はあるのだ。それは異性の性被害者をセカンドレイプするという方法なのだ。このセカンドレイプがフェミニズム叩きや女性叩きだったりするのだ。

記事には回りくどくて難しい言い回しが並べられているのだが、要するに自分のジェンダーを守るために異性を叩くのが弱者男性の特徴、ということなのだ。彼らにとっては生きるために必要なことなのだろうが、それというのも女性が性被害について声を上げるようになったことで誘発されたように思うのだ。

つまり「弱者男性論」と対称になるのは「MeToo」なのだ。今ネットで起きているのは、弱者男性論とMeTooの叩き合い、男女間の性被害マウントの取り合いなのだ。

弱者男性論の勃興がMeTooから遅れること数年、このブランクはそのまま男性の性被害の表面への出づらさを表していると思うのだ。女性への身体的な性被害は目に見えるから表に出やすく、男性への精神的な性被害は表に出にくい、この差は大きいのだ。やっと男性が女性に追いついたのか、という感じなのだ。

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追記するのだ。先ほどから書いているように男の加害は身体的、女の加害は精神的なのだが、下の記事は「直接的攻撃」「間接的攻撃」と表現しているのだ。女の子どうしのイジメは陰湿だとよく言われるのだが、これは女から男への性加害は表沙汰になりにくいことの証左でもあるのだ。

生まれつき持っている生存戦略からして男女は非対称なのだ。だからお互いの違いが理解できないと性被害マウントを取り続けることになるのだ。
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こうしている間にも、お互いに被害者マウントの取り合いは続いていて、いつ新しい理論が出てくるのかわからんのだ。それくらいみんな異性を憎んでしまっている社会に、自分たちは生きているのだ。


弱者男性論という性被害マウントを手放す

性被害マウントは自分(同性)と相手(異性)に優劣をつけるところから生まれるのだ。劣等感を持っていることが「弱者男性」に陥ってしまう要因なのだ。

異性に対する恨みつらみ、これをどこかに吐き出してあげる必要があるのだ。その方法のひとつが自助グループなのだ。

「被害者が加害者の前で話す」ことはたいへん重要なのだ。ここテストに出るのだ。

被害者が加害者の前で話すというのはすごく勇気がいることなのだが、本来そこに男女差はないのだ。しかし、男女の性被害が非対称(女性は身体的、男性は精神的)だから女性の性被害「だけ」が語られ、男性の性被害についての議論がおざなりになってしまうのだ。この風潮は変わらなければいけないのだ。

得たイさんは自助グループに繋がってから1年ほどでめざましい回復をしていると自分では思ってるのだ。というのも、自助グループは言いっぱなし・聞きっぱなしにより安全が確保されていて、加害者の前で被害者として話をしてきたからなのだ。

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加害者の前で被害者として話すということは、劣等感=コンプレックスを手放すということなのだ。コンプレックスとは性被害の傷跡なのだ。異性から受けた性被害の傷跡を加害者の前で晒し、それを洗いざらい話すことが回復に大きく貢献するのだ。


得たイさんのコンプレックス克服と回復

得たイさんの話をするのだ。

得たイさんのコンプレックスは「性癖(おしっこ・覗き)」だったのだ。10歳の頃から24年間誰にも話せなかったのだ。いちおう同性の友人に話したことはあるのだが、コンプレックスは解消しなかったのだ。

得たイさんにとっての性加害者は「女(クソデカ主語)」で、小1の頃に学年中の女子から嫌われて女性不信になったのだ。だから得たイさんの性癖は女性にこそ暴露しなければならなかったのだ。

性癖と向き合うチャンスが訪れたのはその28年後なのだ。しみけん&おぱんぽん主催の「性癖マッチング合コン」で、得たイさんは一緒に話した女性に初めて覗きの過去をカミングアウトしたのだ。

彼女の反応は「ウケる」だったのだ。その一言に得たイさんはとても救われたことを今でも鮮明に覚えているのだ。そして「素敵な性癖だと思う」と得たイさんを認めてくれたのだ。それから彼女とDMのやりとりが1年ほど続いたのだ。

得たイさんは自分の性癖が女性に認められる成功体験を一度ならず二度していて(重要)、二度目の暴露相手は性教育をしている助産師さんだったのだ。得たイさんはコンプレックスを克服する第一歩を踏み出したのだ。

そして性癖に誇りを持ち、アライさん界隈でも性癖をカミングアウトしたのだ。一時はトラブルに繋がってしまったのだが、その言動は後に得たイさんの運命を大きく変えたのだ。

以下ツイ、その概要なのだ。

実は得たイさんは、覗きをしたことで小学生の頃に警察に補導された経験があるのだが、その際に両親にこっぴどく怒られ、父親に「お前は病気だ!」と人格否定されたことがあるのだ。つまり得たイさんにとって父親は得たイさんの性癖を否定する性加害者だったのだ。得たイさんは父親から性的虐待を受けていたと言えるのだ。

よって、得たイさんがコンプレックスを克服する条件として「得たイさんの性癖を否定する"同性"の加害者」に対して性癖を暴露することが不可欠だったのだ。(結果論ではあるのだが)

その条件をたまたま満たしたのが、以下の発言だったのだ。

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それから延々と性癖ジャッジされているのだが、それは割愛するのだ。

はからずもアライさん界隈で、津島さんの仰る「被害者が加害者の前で話す」がたまたま叶ったことにより、得たイさんはコンプレックスを克服して劇的に回復したのだ。法的手段に発展という経過はあるものの、結果として得たイさんは自助グループに繋がり、そこで治療プログラムを受けるうちに生活が好転したのだ。貯金ゼロ・月収10万程度の状態から半年足らずで約170万円の引越し資金を調達できて実家を脱出し、収入は障害年金含めて月30万が見込めるほどになったのだ。

ここまでコテンパンに言ってくれる人だからこそ回復できたのだ。何も言わず黙って離れていく人だったら間違いなく回復はなかったのだ。性癖ジャッジしてくれたのが元イさんだったのはたまたまなのだが、この偶然が「被害者が加害者の前で話して回復する」という治療行為だった奇跡にはただ驚くばかりなのだ。この点では得たイさんは元イさんに素直に感謝しているのだ。

当然なのだが、自助グループでも女性のいる前で覗きの話を嬉々として語っている(語らない理由がない)のだ。嬉々としてというのは回復に繋がる喜びの意味であって、変な意味じゃないのだ。得たイさんは日々回復を重ねているのだ。この記事も治療行為としてこの項目をまとめているのだ。


弱者男性はコンプレックスを見つけよう

話は弱者男性に戻るのだが、彼らは先述のように「性被害者でありながら性加害者になりきれない」という特徴があるのだ。性暴力の根源はコンプレックスにあるから、加害者になりきれないということはコンプレックスが表面化しづらいということなのだ。

コンプレックスが表面化されてなければ行動化のしようもないのだが、それは自分で見つけるしかないのだ。そしてコンプレックスの底には「自分は特別な人間だ」という思い上がりがあるのだ。その思い上がりに気づけないと、加害行為に走ってしまうのだ。

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性癖を誰にも話せなかった頃の得たイさんは、自分は特別(におかしい性癖を持っているの)だと思い上がっていたから、女性を下に見ていたのだ。しかし得たイさんは、「自分の性癖は女性が引く」という思い上がりをアライさん界隈で完全に捨てたのだ。その結果が自助グループにおける「モテ(恋愛関係に固執しない人間関係)」だったのだ。

モテる方法なんて簡単なのだ。恋愛関係への固執を捨てればいいだけなのだ。恋愛なんて限られた人間関係なんかどうでもいいと開き直れば世界が開けるのだ。まあ当然といえば当然なのだな。

思い上がりは自分ひとりでは気づけないのだ。だれか回復を手伝ってくれる仲間たちが必要なのだ。弱者男性と呼ばれる人たちは、そのコンプレックスを見つけることでスタートラインに立てるんじゃないかと思うのだ。

自尊心を失った男性に幸あれなのだ。

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