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感想を受け入れるということ
感想を受け入れる準備ができてきた。実践にはまだ持っていけていない。まだ恐怖が勝ってしまう。恐怖を感じながら閉じたコメント欄をひっそり開けている。
私はコメントが怖くなってしまった過去がある。コメント欄も閉じて匿名箱も置かない、Twitterもしない謎の創作者をしていた……と言えば、わかりやすいだろうか。
自己紹介をしておくと、私は一次も二次も、絵も文章も作る人間である。二次(特に文章)に関しては別名義でやっている。
五か月コメント欄を閉じ、どうしてまた開ける気になったのか、その経緯を記していきたい。
また怖くなって閉じたくなったら戻ってこられるように。
もし、同じことで悩んでいる人がいたら少しでも楽になってくれたらいいなとも思う。
感想は不確定要素。だからこそ楽しく、怖い。
閲覧といいね(またはブクマや本棚)は、基本的に私の中ではプラスになる。
数字が増えるのを見るのは単純に楽しいし、自作に向けられたものであるために余計楽しい。
私の作品が最後になってしまったマイナージャンルで、1増えたら飛び上がるほど喜ぶくらい、ものすごい原動力にもなる。
投稿して数か月後に初めてブクマがついたときは本当にびっくりしたし、書いておいて残しておいてよかったと思った。
一方、感想はプラスにもゼロにもマイナスにもなる。言葉というものは自由で、花にもなれば、なににもならないときもあるし、刃にもなる。
もちろんこの三種類すべて来たことがある。プロに比べればしょうもない量なのだろうが、来た。
刃のコメントは数としてはものすごく少ない。数回だ。だがその数回が深い傷をつけていった。
反芻するのは刃のコメントである。データとして消したとて脳みそには刻まれてしまうもので、何回も、それはもう何回も、メッセージカードとして送られていたならば擦り切れるくらい見て、傷つけられた。
こんな不確定要素に左右されるくらいなら何もいらないと、閉じた。閉じたまま、7000字程度の短編を合計四本出した。
なにも言われなくてもいいというのはとても楽で、ただ書くことだけに注力することができた。
しかし、それは違っていた。どうしても、胸に穴が開いてしまったような感覚がそばにあった。
言葉を出しても、言葉が返ってこない。反応が返ってこないことに徐々に虚無感を覚えていった。
私の捉え方が間違っていたのだ。
感想が来るということは、自信を持っていいのだ
作品を公開している以上、誰かが見に来るのは当たり前であり、その後それぞれの感想を抱くのも当たり前なのである。
その中には「おもしろかったです。続き待ってます!」などの肯定的なものもあれば「キャラの心情がわからない。出直してください」などの否定的なものも、そして何だかよく分からないことを言っている中立のものもある。
二つのコメントは実際に私が言われたものだ。
別の作品だし一次二次の違いもあるが、それでも同じ作者の作品についたものだ。
総じて言えるのは、私の作品が、彼らのタイプする(フリックする)指を動かすぐらい、力があるということだ。
それは、誇れることなのだ。自信を持っていいのだ。お前の作品は人の心を動かせる。
私は、人の心を動かせる作品を作ってしまうということが、かなり怖いらしい。
自慢しているわけではない。刃をむき出しにした作品を作っていないか怖いのだ。誰かを傷つけていないか、怖いのだ。
それは考えていても仕方がない。受け取る側の問題だ。
たとえば「目玉焼きには塩!」と言えば「うん、私も塩派!」の人もいれば「いや、ソースがいいでしょ」という人もいるし、「塩なんて言語道断!」という反対派の人もいるかもしれない。
目玉焼き何かけるか選手権においてさえ、なにを発言してもなにか言われてしまうのだから、作品なんていう複雑で無限なものにおいてはもっと言われてしまうだろう。
例を挙げるならハッピーエンドやバッドエンドの捉え方だろうか。争いが起きるし、わかりあえない人とはわかりあえない。
私が読んだ人を笑顔にしたくて作って磨いた宝石にも、石を投げる人がいるだろう。つるはしを持ってきて破壊衝動をぶつける人もいるかもしれない。
本当にそれは、仕方のないことなのだ。わかりあえないのだ。
それだけその作品にはパワーがあるということを、忘れないでほしい。
あなたの磨いた、大切にしてきたものを、どうか、あなた自身で壊さないでほしい。
非公開にしてもいい。ネットから削除してもいい。自分を守ることは、悪いことではない。
作品を作っただけですごいことなのだから、どれだけ感想に傷ついて真正面から作品を見れなくなってしまっても、共に過ごした時間を忘れないでほしいと思うし、完成させたことには自信を持っていい。
ここからは、私の考えた感想に対する三か条を書いておこう。
なにか参考になれば嬉しい。未来の私はよく見返すように。必要であれば書き足してくれ。
感想に対する三か条
その一 否定的な感想は100%で受け取らない
肯定的な感想なら、100%以上で受け取ってもいい。素直に喜んでいいし、「わーい! やったー!」でいい。
紙吹雪のように舞い上がろう。青空の下、この自作という素晴らしい作品に花束が贈られてきたことに感謝をしよう。
問題はここからだ。
否定的な感想は100%で受け取らない。これがなかなか難しい。
具体的に言えば、感想がついてもすぐ消してブロックしてさようならする。そして記憶に残さない。この一連の流れがものすごく重要だ。
少しでも「うわっ」ってなったら消すことを考えたほうがいい。そういったものが自作にくっついたままなのは、なかなか心に響く。
迷うのなら数日待ってみる。それもありだ。
私は記憶がかなり持つ方なので、一度「嫌だ」と思うと最低でも三日は蒸し返して自責する。不思議なことに他責はほぼしない。
コメントを思い出しては、私が花モチーフの女らしい絵を描いているからあんなこと言われたのでは、なんて自分を責めた。クソループである。
でも今は大丈夫。
昔は否定的なコメントがついてもすぐ消せなかった。消したら相手の機嫌を損ねると思っていたからだ。
でもいいのだ。あっちが勝手にコメントをつけたのだから、こっちが勝手に消してもいいのだ。数日置いてからもう来るなよ、と念を込めつつ削除とブロックをする。それだけだ。
そのあとのコントロールが課題だと言えるだろう。
その二 切り替えの手段をたくさん持つ
否定的なコメントに傷ついてもいい。泣いてもいい。
我慢するのが一番良くない。そうすると悲しみは何倍にも膨れ上がってしまう。
たくさん泣いたら、たくさん悲しんだら、次は切り替えだ。自分を甘やかそう。
一番手軽でいいのは温かいお茶を飲むことだろう。お茶ならカロリーも低いし、温まるから心が落ち着く。
余談だが、この前買ったルピシアのキャロルがとても好きだ。カフェインが作用するとあまり良くないのでデカフェを飲んでいるのだが、とてもおいしいのでおすすめだ。ふんわり香るストロベリーとバニラの香りが優しい気持ちにさせてくれる。
次にいいのが認知行動療法。これは慣れないと難しいかもしれないが、効果がすごい。めちゃくちゃ立ち直れるし前向きになれる。
一度書籍で概要を知ることをおすすめするが、触れてみたいのならAwarefyというアプリでできる。
下部メニューの「ログ」→「+」→「5コラム法」or「3コラム法」がおすすめだ。無料プランで十分できる。
ただシンプルに、ノートに気持ちを書くのもよい。
見ないようにするのではなく一度向き合うことで、問題を整理できたり、解決策がおのずと見えてくる場合も多い。パソコンやスマホでもいいのだが、アナログのノートが私には合っているようだ。
その三 受け入れる余裕を持つ
余裕を持つことはとても大事だ。
逆に言えば、余裕のない時に新着コメントを見るのはおすすめしない。傷ついたときの傷の深さが何倍にもなるからだ。
私はコメントの通知はどのサイトも入れていない。こうすれば任意のタイミングで見ることができるからだ。
二次の匿名箱だけは入れている。全然通知来ないから新作作って待ってるぜ。
これから
傷つくのは当たり前だし、悲しむのも当たり前。人間だから。
悲しむことは悪ではないのだ。悲しみさえも弾き飛ばせるメンタルがみんなにあればよいのだが、現実は違う。
いかに早く調子のいい状態に戻ってくるか……これが大切だと思う。
いつか、感想を適切に受け入れられるようになりたい。
作品に否定的なものは、真に受けてドロドロに悲しむのではなく、こちらは精一杯作ったけれどお口に合わなかったのだろう、と一歩離れた離れた視点から見れるようになりたい。
少なくとも、時間が経てばそのように見ることができるようになる。もしこれを読み返した未来の私がちょうど苦しんでいたら、そのうち絶対戻ってこれるから大丈夫だぞ、と言いたい。やまない雨はない、とはよく言ったものだ。
私は今のところ趣味で書いて・描いている。
リアルで、趣味で作っている作品にケチをつけられたらどうするだろうか?
その人には見せなくなるだろう。
それは、インターネットでは削除とブロックに置き換えられる。これが、今の私の受け入れ方だ。
ごめんね。つまらなかったよね。不快にさせたよね。
読んでくれて、見てくれて、感想を書いてくれてありがとう。
私なりの受け入れ方をするけど、不快にさせたらごめんね。
そうしたら私のことは諦めて。
この世界にはこんな一趣味人のちっぽけな作品なんかより、もっと素敵な作品がたくさんあるから。ぜひ、色んな海を泳いであなたに合う作品を見つけて欲しいな。
そうしたら、その作品に温かいギフトを送ってあげてください。言葉の、感想という花束を。
私のことは忘れていいよ。というか、どうせもう忘れているでしょう?
別にいいよ。私も忘れるように努力するから。
わかりあえなくていいの。お互い、幸せになりましょうね。
感想を受け入れるということは、他者評価との付き合いでもある、と思う。
私は他者評価ばかり気にしているやつだから、こんなことで悩むし、こんな記事を書いてしまう。
ただ、これがうまくできれば、うまく受け入れられるようになれば、私はもっと進める。飛んでくる刃はかわして、花束は素直に受け取って、ポジティブな気持ちで進んでいけたら、変わっていけたら、どれだけよいだろうか。
一歩、進んでいく。新作を書いて描いて、上げる。
飛んできた感想にまた一喜一憂するだろう。
それでもいい。少しずつ、受け入れていきたい。
自分の記事なんだから自作の宣伝してもいいよね!? いいよね!
最近の自信作です!推敲たっくさん頑張ったんですよ~、よかったら読んでくれると嬉しいです。
ペコメとかスタンプ、感想も待っています。しっかりオープンしましたので。
上の作品の裏話的な記事もあります。イメソン作ると創作をもっと楽しめるぜ~的なお話。よろしくお願いします。
以上! 最後までお読みいただき、ありがとうございました。