闘将漢飯―エベレスト踏破編―


はじめに


闘将漢飯―エベレスト踏破編―

  漢(おとこ)には、挑まなければいけない時がある。

 漢には、闘わなければいけない時がある。 そう、これは挑み続けたある漢の闘いと挑戦の記録である。

漢飯ーイガラシミキオの闘いー

 ここは群雄割拠する大食い地獄。ある店はこの街の大食いに食い荒らされ、またある店では幾人もの大食い共を跳ね除けて、そして屍の山を築いて来た。そこに独りの漢が存在する。その名はイガラシミキオ。食を愛し、食と向き合い、そして飲食店に最も嫌われた漢(自称)。今日、イガラシミキオは駅前に来ていた。それはこの街に現れた新参者を試す為である。

 新装開店。数日前にイガラシミキオが手に入れたチラシにはそれが堂々と書いてあった。それを手に入れたイガラシミキオは昂り、そしてくしゃくしゃと丸めてポケットにそのチラシをいれる。そのチラシには他にもこう書いてあった。

「このチラシを持ってきた方限定☆餃子1人前プレゼント!」そして「最高峰!ラーメン・エベレスト(当社比)」と書かれた謳い文句と見たことも無い高さのラーメンが盛られていた写真。

「フン、何がラーメン・エベレストだ。この俺に食えない飯があるわけない。」と心で呟くイガラシミキオ。彼の背中には言い知れぬ闘志が、野菜マシマシのラーメンの如く高く高く燃え上がっていた。

 そして今、イガラシミキオは来ていた。そう、あのチラシのラーメン屋に。店の前には10人ほどの列が出来ている。皆、口々に話すのはラーメン・エベレストだ。

「あの写真は映える」とか「食えるやついないって」など、軟派な声が聞こえてくる。イガラシミキオはその情けない言葉を鼻で笑い、そしてこう思った。「お前らじゃぁ無理だが、俺なら食える。魅せてやる、イガラシミキオの生き様を」と孤独な漢の決意を固めた。

2~3人、列が進んだ頃だろうか。店内から苦しげな表情の高校生が逃げるようによろよろと出てきた。その高校生を見送りに来た店員はニヤニヤしながら、「毎度あり。次は残さないで下さいよ」と送り出す。それを見ていたイガラシミキオは激怒した。まるで挑戦者を嘲笑うかのような店側の態度。食べれる人間はいないんだと言わんばかりに見せた店側の傲慢さに怒りを覚えるのである。

 一人、沸々と湧き上がる闘志と怒りを胸に秘めたイガラシミキオに先程の高校生が語りかける。「い、イガラシさんじゃないですか。アンタもエベレストに挑戦に来たのか?」

 彼はこの街にある高校の野球部員イシカワだ。彼は若さと体力に任せたパワーファイターだ。彼と焼肉大食い勝負をした時にみせたガッツは目を見張るモノがある。その彼が、ここまで憔悴するとは。それがエベレストの頂きが高い事を物語っている。「イガラシさん、やめておけ!ここのエベレストは難攻不落だ。俺の前に挑んだ無限の胃(ブラックホール・ストマック)タナカさんも、噛まずに飲み込む(ダイレクトアタック)スイタさんもダメだったと聞く。流石のアンタも、このエベレストは無理だ!」とイシカワは力無くイガラシミキオを説得する。

「イシカワ、お前の言葉はわかった。しかしな、アイツらがダメだから俺もやらないじゃダメなんだ。でないと俺たちが舐められてしまう。見てみろ。アイツの顔を。」と店員の顔をキッと睨む。そこには店内に戻らずに2人のやり取りをニヤニヤしながら聞いてた店員がいた。

「イガラシさんと言ったかい?この街には凄い大食いの人たちがいると聞いていたが大した事ないんだね。アンタらのためにあるエベレストじゃないか。なのに誰も食べきれる人が居ないんじゃこっちとしてもフードロスでやってらんないよ。」

 イガラシミキオはこの言葉に我慢がならなかった。「店員さんよ。客には客の、店には店の人情ってもんがあるだろうが!俺達は確かに、アンタ達の大食いメニューに挑むことで俺たちの存在価値を見出している。しかし、それはあんた達もそうだろうが!客がいるからアンタたちも店が出来る。違うか?」

「イガラシさん、そんなに目くじらたてないで下さいよ。わかってますよ?ただ、毎回残されるこっちの身にもなってくださいよ。商売上がったりじゃないですか。」とニヤニヤしながら彼は言う。「イガラシさん、あなたもエベレストの頂きを目指すんでしょ?もう少しでお席の準備しますから、楽しみに待っていて下さいよ。」と彼は店の中に消えていった。

 イガラシミキオの怒りは頂点に達していた。否、これは怒りを通り越して責任感と覚悟に変わっていた。先程まで抱えていた個人の目的でもない。これはこの街に住む大食漢達の弔い合戦なのだ。

「イシカワ。お前の無念、いやお前たちの無念。俺が必ず果たす。」「イガラシさん。アンタ、死ぬ気じゃないよな。」

 イガラシミキオは答える代わりに親指を立てた。

 しばらくしてイガラシミキオは店内に通された。そしてカウンター席の真ん中にどっかと座り、声を高らかに「エベレストをよこせ!」と店員に告げた。

 すると店内の空気が変わる。店内の客からも厨房からも奇異の目で見られる。

「イガラシさん、待っていたよ。アンタの完食する姿を楽しみにしているよ。」とあのニヤついた店員が言う。「腐ってもイガラシミキオ。漢に二言はない!」と言い放った。

「じゃ、イガラシさん。注文は承るがラーメンを残されたら堪らないんでね。ひとつ、ルールがあるんだよ。」という。

「ここのエベレストに挑むなら、保証金として1万円を預かっているんだ。食べきれなかった時にはフードロスになるからな。その時の処分や迷惑料としてその1万円を貰ってる。なに、食べてしまえば帰ってくるお金さ。問題ないよな?」

 イガラシミキオは戸惑った。1万円はある。確かに財布には新1万円の渋沢栄一が入っている。しかし、これは来週末の給料日までの生活費だ。これを預けて万が一にも食べれなかったら。

 途端にそんな弱気な考えが脳裏を過ぎる。しかし、その弱気を吹き飛ばす声。「フレー!フレー!ミッキッオ!」と店外から聞こえてきたのはイシカワの声。

 そうだ、俺はなんてみっともないことを考えていたんだ。イシカワが人目をはばからず応援してくれている。タナカもスイタも俺が骨を拾わねば誰が拾うんだ。イガラシミキオは自分を恥じた。恥じたからこそ、潔く渋沢栄一を店員に渡した。

「イガラシさん。物分りがいいねぇ。ちゃんと見えるようにここにマグネットで止めておくよ。」と店員は壁掛け式のホワイトボードに1万円札を、渋沢栄一をマグネットで止めた。

 ここからが勝負だ。気持ちを落ち着かせようとした時にはイシカワの声は止まっていた。そりゃそうだ。あんな大声で叫べば近所迷惑だからな。とイシカワの事を気にかけるくらいの余裕はイガラシミキオにはあった。

 しかし、次の瞬間にはイガラシミキオの余裕は全て吹っ飛んでいた。

 確かに、目の前にはあのチラシに載っていたラーメンが出された。しかし、そのラーメンは丼(どんぶり)が普通のものよりも大きく、そこになみなみと注がれたスープ。そして何よりもエベレストの名前に恥じない高さの野菜の山がラーメン丼の上にそびえ立っていた。

「へい、お待ち!お残しは許しませんで!」と店員はエベレストを出してくる。この野菜の山はもやしとキャベツが文字通り山のように積まれ、そして生ニンニクとカラメがふんだんにかけられていた。

 もうこれはラーメンと呼んでいいのかも分からない。それが最高峰エベレストの正体だった。

「おや?イガラシさん、早く食べないと麺がのびますよ?」とニヤついた店員は言う。

「ふん、今に見ていろ。吠え面描くなよ!」とイガラシミキオは言い放った。

 しかし、この山のような野菜盛りをどのように挑めばいいか考えあぐねていた。だが、考えていても仕方ないと腹を括り、備え付けの箸に手を伸ばす。

 この野菜盛り、予め湯掻いたものではあるがシャキシャキで美味い。普段一食だけ食べるならこれはいいだろうが、こいつが山のようにある。これを食べ切るだけでも一苦労だ。

 ただ、腐ってもイガラシミキオ。この程度の野菜なら橋を止める理由にならない。

 そうして野菜を食べ進めた頃に、まさかの罠が仕掛けられていた。それは巨大なチャーシューが幾重にも幾重にも重ねられていて、まるで丼に咲いた花のようにイガラシミキオの前に現れた。

「イガラシさん、やっとラフレシアまでたどり着いたね。その何枚もあるチャーシューはうち特製のチャーシューさ。厚みもあって美味そうだろ?」と、店員が言う。

「イガラシさん!そのラフレシアはタナカさんやスイタさんも苦戦したと聞く。現におれもそこで結構腹がいっぱいになったんだ!」とイシカワが膝をつき、そして地面に突っ伏した。その姿は本当に悔しそうだ。

 そのイシカワの姿を見て、イガラシミキオは無言でチャーシューに食らいつく。何がラフレシアだ!何がエベレストだ!こんなもの!こんなもの!と一枚、また一枚とイガラシミキオは口の中に放り込む。

 こうしてイガラシミキオは巨大花ラフレシアを攻略した。

 この頃にはもう店内も店外もイガラシミキオがどのようにエベレストを攻略するのか?という好奇の目がいつしか応援する目に変わっていた。「さ、さすがにここまでは想定内さ。やっと、麺にありつけるじゃないか。イガラシさん。」と少し狼狽の色が見える店員。

 しかし、それはイガラシミキオにも現れていた。この大きな丼に注がれた色の濃いスープ。醤油豚骨であろうこのスープの中に、どれだけの麺が潜んでいるのか?

 これは、全くの未知数であった。

 そして、この後イガラシミキオには想定していない、更なる秘密が待っているのである。

「イガラシさん、もちろん。完食なんだからスープも飲み干すよな?」と店員が突然言った。

「おい!そんなの聞いてないぞ!」とイガラシミキオは苦しそうに、忌々しげに言うと「イガラシさん、ちゃんとチラシや外の看板を見たいかい?」と店員がしたり顔で言う。

「ふん、それがどうした。」「完食を確認するためにスープを飲み干して初めてウチは完食認定してるんだよ。なぁ、高校生!」とイシカワに話を振る。「イガラシさん、そうなんだよ。ここはこのスープ完まくして初めて完食なんだ。目の前の注意書きにもあるだろ。」とイシカワは不憫そうに言った。

「な、イガラシさん。ちゃんとスープ飲んでくれなきゃあんたの勝ちにはならないんだよ。わかったかい?」と店員は上からイガラシミキオを挑発するように言った。

「くっ、それなら先に注文する時に言いやがれ!」とイガラシミキオは思った。思ったが言わなかった。いや、言えなかった。たしかに店内にちゃんと書いてあるし、目の前の注意書きにもある。つまり、自分の確認不足だ。

「だから、ちゃぁんと、スープ、飲んでくださいねぇ。あ、少しくらいは残しても大丈夫ですから。麺が残ってないの確認出来れば特別OKにしてあげますよ。」

 何が特別だ!とイガラシミキオは思った。馬鹿にしやがって、絶対飲み干してやる。心の中で毒を吐く。

 しかし、実際問題この量はもう健康被害が起きそうなレベルだ。ここまで来て、これを食いきったところでなんになる。そもそもの話、大食いなんてもうするような年齢ではないじゃないか。イガラシミキオはそう逡巡した。目の前のホワイトボードに貼られた渋沢栄一がこちらを見て語り掛けて来た。

「イガラシミキオよ。お前はよくやった。ここでその箸を置くのもいいだろう。しかし、お前は本当にそれでいいのか?大食漢たるお前がここで諦めたらどうなる?それで満足か!すべて世の中のことは、もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である。夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。お前はそれでいいのか!イガラシミキオ!」

 これは、もしかしたらただの幻聴かもしれない。しかし、その後ろでまた、フレー!フレー!ミッキッオ!とエールを送るイシカワ少年の声は、確実に本物であった。これは諦めかけていたイガラシミキオにもう一度立ち上がる力となった。

 イガラシミキオはレンゲを掴んだ。そしてスープを口にする。

 濃い醤油豚骨が口の中を広がる。これはスープだけで見たら美味いだろう。

 しかし、三口四口と口に入れる度にこの濃いスープがキツくなる。キツくなるから水を飲む。そして麺を食う。

 この巨大な丼の中のスープ。それはもう世界最大の湖、チチカカ湖のように思えた。いや、この店ならこれをそう呼ぶような気がする。気がしたから当たっているとなんか嫌なので考えないようにした。

 スープ、水、麺。この終わることなく続くエンドレスワルツ。正直に言えばもうだいぶ苦しかった。諦めたかった。それでも諦められないのはイシカワ少年の声援、この街の大食漢というプライド、そして渋沢栄一だ。これらがイガラシミキオを奮い立たせる三本柱としてエンドレスワルツに挑み続けた。

 しかし、このエンドレスワルツの中に、恐ろしい悪魔が潜んでいた。それはじわじわとミキオを追い詰めていた。

 そう、スープの辛さを誤魔化すために飲んでいた水。これがかなりお腹を膨らませていたのだ。

 もう、ほんとうに箸が進まない。これはもうダメだと思えてきた。

「とうとう完敗ですかね?イガラシさん。」と店員が言う。「正直、ここまでチチカカ湖を攻略したのはアンタが初めてだ。よくやったよ。」

 やっぱりチチカカ湖だった。だが、そんな事はもうどうだっていい。少しでも、少しでも食べ進めなければ。

 そうして手に持ったレンゲは重かった。これはもう持ち上げられないんじゃないかと思うくらいに、重かった。否、重いんじゃない。体が拒否したのだ。

「イガラシさん、もういい。アンタよくやったよ。」

 誰かが言う。店内の客たちが口々にイガラシミキオを称賛した。イガラシミキオも、本当にこれで終わりだと箸を置こうとした。ちらりと渋沢栄一を見る。何も言わない。何も言ってくれない。

 イガラシミキオの心が折れかけたその時であった。

「イガラシ!お前はそんな所で諦めていいのか!」「ミキオ!俺たちとの戦いはこんなもんじゃなかっただろ!」と懐かしい声が聞こえる。

 それは無限の胃(ブラックホール・ストマック)タナカと噛まずに飲み込む(ダイレクトアタック)スイタだった。「イシカワ少年から連絡があって、アンタが挑んでると聞いた。いてもたってもいられなくなって応援に来たぜ!」「見ろ!丼を!あんたは丼のデカさに気を取られて気づかなかったかもしれないが残りスープはあと僅かだ!」

 イガラシミキオはハッとした!たしかに丼の中のスープしか見ていなかった。全体を見るともうあと僅かだ。見落としていた。スープの中に箸を通す。スープの中には麺が見当たらなかった。

 つまり、このチチカカ湖にはもうスープしかない。それに気づいたイガラシミキオは最後の力をふりしぼり、そして雄叫びを上げて丼を持ち上げた!丼の縁に口をつけ、一気にスープを流し込む。

 店内に響き渡るイガラシコール!おののく店員!

 そして、とうとうイガラシミキオがスープを飲み干した!

 丼を置いて一言、「ご馳走様でした。」と共に店内は大歓声の嵐に包まれ、イガラシミキオは完全勝利を収めた。

 こうして、またひとつ。イガラシミキオの闘いは終わった。

 後に語られる。イガラシミキオエベレスト踏破の瞬間である。


[完]

最後に

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