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今年初仕事のオランダにて - 信仰ありきの今までと今。

今年初仕事でオランダへ来ております。ウィーンからアムステルダムまでが飛行機で約2時間、今回お仕事させていただくのはアムステルダムから車で30分ほどのVoorburug(フォーアブルグ)という場所。

予約頂いていた飛行機チケットをよく確認しておらず、スーツケースのサイズオーバーで超過料金になってしまうという事態→ただえさえ時間ギリギリだったのに確認で電話をかけたのでチェックインカウンターに並び直し→やはり有料、、だよねぇチーン→でも離陸には間に合った〜•́  ‿ ,•̀

などというプチ、、ではない!!45ユーロは痛すぎる、、泣ける、、、という自業自得な事件が起き、しかし今回お世話になるスタッフの方々のフレンドリーなお出迎えに救われる。

その足でホテルへ送っていただき、「お腹空いたなぁ。」からの、ホテルのベルマンの方が教えて下さった"美味しいローカルレストラン"へ行くと、既にオーダーストップ(20:00時点)が発覚するというこれはプチプチショックなことが起き、でもその近くで見つけたイタリアンの雰囲気が最高に良くて美味しいっっ!!!幸せ!!!!な現在です。

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ブドウとブルーベリーの赤ワイン / オリーブオイルとガーリックの香りが堪らなくて、柔らかい麺(普段はアルデンテ派)も完璧なアーリオ・オーリオスパゲッティ。

最近23時に寝ても2時頃に起きてそれから眠れないというようなことがザラなので、明日朝ゆっくりできる為眠りにつく時間も遅くしたいなぁと、まったりワインを飲みながら書いています。一杯だけだけどね。なぁんか気分良いから色々と書いちゃおうかな!!いつもとテンションが違うのは、仕事で遠征するのが好きすぎて心躍っているからなのです、大目に見てやってくださいm(_ _)m

それでは、夢が叶い続けているのは自分のクリスチャンとしての信仰を第一にしていたからだと信じている、という話をしたいと思います。

わたしが21で演劇を始めたときの目標であり夢のひとつが「海外に住み海外を飛び回って仕事をすること」でした。小さな箱から舞台演劇を始めた少女(、という年齢でもないけど気持ちはそうだった)が「20代のうちに叶える。」と思ってました。若さも余りか、漠然と、だけど強く絶対に叶うとしか思えなくて。けれど稽古の度、本番の度、自分の実力を痛感しては「どうしたもんか?」と神様に祈る日々。それが不思議と、夢が叶わないかもしれないからというではなく、「私が想像出来ている次の到達地に"どうやって辿り着くようになってるのか”がわからない。」という祈りでした。

もちろん都度全力・精一杯だったのですが、本当に自分で自分の仕事に100%満足したことは残念ながら一度も無いのです。多分才能としては全然無いのにやってる。 それでも生き甲斐を感じ自分なりに実りがあると思えてるから続けてきたし、「必死なんだ、貧乏暇なし日暮らしで、限りなく壊れた関係であった親との折り合いで奨学金を借りて専門学校へ行き、その後アルバイトしながらの夢追いで軽く見られる事もありながら!!自分にできることは全力でしてるつもりだっ!だから神様!後はヨロシク!!」と、まさに毎日人事を尽くし神頼みをしていました。

自分に出来ることで力を発揮し人に希望を与えられるような人になりたい。というのが夢の始まりでしたが、何も演劇や音楽などの分野でなくとも方法は色々とありますし、今の時代を思えば尚更方法が違っていても良かったようにも正直思います。それでも幼い頃から芸術や文学に興味関心が向いていたこともあり、当初の願いがあらゆる出逢い・今に繋がり、それをこうして書いている...人生とは面白いです。自発的なようでいて"願いを持ったこと"すら天からのものからだったのではないかと思います。

クリスチャンと書きましたが、実はわたしはクリスチャンホーム生まれではありません。

兄の病気と死、そこからの家庭崩壊、高校全日制を辞めて通信制へ転入、15歳から働き始め社会の荒波に揉まれまくり、という10代があり、人生に飢え乾き、東京で学生をしていた18歳の時自ら信仰を持つ選択をしたクリスチャンで、だからこそ傍から見れば異常と思われるほどに神様を信仰していて、ひたすら「求めなさい。そうすれば開かれます。」という聖書の言葉を信じてきました。

状況や人は変わるけど聖書の真理は変わらない。その姿勢に周りから本気で心配されること、とんでもない阿呆だと思われる・言われることもありながら、どこ吹く風気分で生きてきました。自分の確信に勝るものはないのです。

信仰を持つに至るまでの詳細はとーっても長くなるのでまた後日書くとして。小中時代から家庭の悲惨な変化を見ながら、宗教・スピリチュアル・哲学・自己啓発等ありとあらゆる情報を探索していき、出口のない現実的な状況から結構な時間をかけ最終的に自分の中に確固たる信心を持ったので、まさに確信です。

「みこころ(=神様の意図)なら成る!みこころじゃないならいつかこの道も閉ざされて、他に違う素晴らしい道が拓かれる!」と、困難あれど全ては必ず益となり、自分の未来は(信仰的に見て)正しい方向に進んでいくのだと信じてきました。

そうして舞台での役者活動や教会奉仕をしながら、「信仰と芸術に対する思いを更にどう行動に昇華していけば良いのか」と祈り試行錯誤している最中、クリスチャンショートフィルム製作の話がその頃通っていた教会に流れてきました。常に"演劇の賜物をクリスチャンとして用いられたい"と周りに話していたため名指しで直ぐに紹介をしていただけました。願っていた的をガッチリと射た機会、「祈りが聴かれ神様に与えられた。」と信じ、参加しました。

それは48時間のワークショップ形式でショートフィルムの作り方を学びながら宣教動画を作るという趣旨のものでした。私が務めたのは動画の中では小さな役で、当然商業的なものでもないので世的に賞賛されるものでもありませんでした。けれどわたしにとってそんなことは関係がなくて、今までの点と点が繋がったこと、祈りが現実となり、自分が使命を果たせていると思えることが心から嬉しかったのです。

そしてそこで出逢ったのがミッショナリーとしてドイツから来ていた現夫。出逢って数カ月後お付き合いを始め、そうするとお互いがそれまで理想とし祈ってきたパートナー像と一致するのみならず、将来のビジョンまでも似通っていました。そのような一致、状況の巡り合わせでトントン拍子に話が進み、夫の希望である欧州へ着いて行くという事になり結婚。お付き合いから半年ほどでの成り行きでした。

ただ、人生ですからそこでハッピーエンドとはいきません。海外での慣れない生活や柵から鬱状態になり引き籠っていた時期もありましたし、最愛の夫で普段は仲良しですが、激しい喧嘩を重ね毎日泣き喚いているような時期もありました。それでも周りからは順風満帆に見られていたことで起きた問題もあり、、想定外のことから経済的な苦労も。

しかし信仰は絶えず携えている故に自分で選択した道を翻そうとはしません。最初の誓いを守り通し、この人生を聖書的で素晴らしいものに仕上げていきたいのです。一時感情的に逃げ出したくなることは山程ある上でです。

夫の夢実現をサポートしつつ、結婚前から「わたしもわたしの夢を諦めたくない」と話しをして了承をもらっていたように、わたし自身も自分の夢を叶えるための機会を探しては数撃ちゃ当たる精神も携え突撃しまくり、結果、渡独してから1年以内にギリシャでの映画出演、つまり【海外で映像出演の仕事をする夢】が叶いました。

“クリスチャンの作った映画にしか出演しない"と決めていた訳ではありませんが、この映画では監督と脚本家がとても信仰強いご夫婦であることを撮影開始後に知った時には感激しました。

その後もコマーシャルやモデルとしての仕事、衣装製作、またイラストレーション、ライティング、コスチューム制作の仕事など、これまで器用貧乏と言われながらも細く長く諦めずに続けてきたことの報いを受けるようになりました。

動いてきたのは自分ですが、適切なタイミングに機会が与えられるということは自分の能力や努力というものを遥かに越えていて、神様への祈りがきかれているから。と思っています。私の"自分にはできるはず・こっちに進もう"等という思考や判断基準も、信仰からきているものです。

また昔から漠然と海外で仕事をしたいという気持ちはありましたが、結婚という転機を経てこうなっていくとは全く考えてもみなかったことで、このようなことも自分では計画しきれない神様の計画であるのだと私は思うのです。

、、こうして書いてきて意外に思われるかもしれませんが、実は私はかなり石橋を叩いて渡るタイプなので、自分のやりたいことが波に乗るまでは・よほど理解のある相手でなければ結婚できないと思っていました。また表に立つ仕事としてはわたしがアジア人で且つこの時にヨーロッパに居るからこそ恵まれたチャンスが多いのですが、そのような状況になることも渡航前にはわからなかったことです。初上陸の地でアジア人需要など知らない(インターネット上の情報だけではわかり得ない)上語学力も高くなかったので、暫くは仕事を得られない可能性も十分に想定していました。

未だ壁もあります。 アジア人需要があると言ってもコンスタントではなく不安定な仕事数であったり、仕事の単価もピンキリ。わたしにとっての海外で、夢を追っている夫のサポートをしながら家庭と家計を守る、という兼ね合いは結構、いやかなりしんどいです。しかしそのような中で、両親の意向でありわたしの本望ではなかった服飾の専門学校へ3年間通学したことが隙間隙間で活かされることになりました。

またそれまで夢を追う生活のために汗水、多くの涙を垂らしてきた数多くのアルバイト(短期単発も含めれば2,30種類程はいくと思います。)も、今となればそれらから、口下手は改善しなかったにしても、忍耐力やあらゆる場への適応力を鍛えられ、其々がスッと役に立つ引き出しにもなっているのだと実感する様になりました。

そしてそのような下積み的経験があるからこそ、華やかな世界の中で丁重に、時にちやほやと扱われることがあっても勘違いすることなく冷静に居られるのだと思います。

と、もうすぐ28歳、ある意味ではそんなに若くはなく、ある意味ではまだまだ人生語れる歳じゃないっ!!と先輩方には怒られる歳かもしれないという微妙な過点ですが、現時点でも点と点の繋がりや人生の面白さを感じています。

もしわたしが10代で華々しく成功していたら、恐らくとんでもない状況を経験していたでしょう。16の時にとある大規模なメジャー歌手オーディションに通過しその道が開かれようとした際、こちらも両親の意図によって強制的に閉ざされるということがありました。

その道を歩いて行ったとしたら、世間的に一瞬は大成功していたかもしれないしそうでもなかったかもしれないけれど、その後トラブルに遭い彷徨っていたのはほぼ確定しています。なぜならその数年後オーディションを開催した大元会社で大きな問題が発覚し、周辺の人たちが大変な害を被った事実があるから。(今そのときの皆さんが幸せに生きていることを願います。)

また芸能界とは常に綱渡りのようなところ。もし一本線を行った先で脱落し、他に出来ることもなく多大な負債を抱えたとしたら、そこからしっかり建て直すことの出来る自分であったかもわかりません。16歳という経験薄な時点、今の何十倍も危なっかしかったです。

当時は兄が亡くなった後ということ・家庭環境がおかしくなっていた中であったから尚更「やっと自力で手に入れたと思った道」(これもまた今思えば傲慢なことですが)を閉ざした親を恨み自分の運命をも呪ってみたりもしたけれど、人生というのはその時を切り取って見るだけではわからないし、だから人の生まれや環境やあらゆるよく見えることを横目に劣等感や嫉妬心を抱くことが何と短略的で真実と伴わないことであるかということを学ばされた経験でもあります。

これからだって何が起きるかわからない。茨道で傷を作ったり枝分かれした道に迷ったりすることもあるだろうし、時には大きなリスクを負ってでも挑むことが必要になる機会があるかもしれない。

いずれは誰しもが必ず死ぬわけだけれど、その中で心にいつまでも変わらない信仰を抱き続けたい。自分がその都度納得できて、何か予期せぬことが起きたり大切な何かが失われたとしても七転び八起きが出来る自分で在りたい。常に信仰を内側に持つだけでなく体現した生き方をしていたい。というのはいつも考えていることであり、人生のテーマだと思っています。

10代の頃は自分の力で人に希望を与えられるようになりたい等と思っていたけれど、聖書が語っているような[罪の赦し]や[いつまでも朽ちることのない愛・希望・信仰を持って歩んでいくこと]、そのような生き方を受け取り出来るようになる、そのことが希望であると思いますし、だから私はそのことを、((私自身が人に希望を与えようなどと自惚れるのではなく))飽くまでも仲介者として伝えていきたいと思うのです。

そしてそんな風に考えていく内に野心的ではなくなりました。競争や見栄の張り合いなんかはもうこりごりで、淡々とした毎日が愛しくて、自分の出来る事、それが今まで志してきた事に関連するようなことでなくとも社会の歯車になれる仕事はすごく有り難くて、うれしいです。何処で何をしていても私は私という人間ですし、「信仰が動機で目的」という部分さえブレないことが、私にとっては一番重要なこと。

勿論やりたいことは色々とあり理想は描きますし祈りますが、まだ自分では気付いていない才能の原石があるかもしれませんし、おそらくこの先も長い人生のあらゆるシーズン、何か一つに囚われず色々と挑戦してみたいです。

信仰とはただ盲目的にラッキーや良い未来を信じて立ち止まっていることではなく、信仰故に自分で歩んでいく道を選別し行動していくことだと思っています。

自分のしようとすることが全てみこころとは限らない。ということも胸に留めながら、何より神様は最高に良いお方だということをよく知っていて信頼してる。その信仰と希望と愛を携えながら、思う方向や与えられる機会を大事にしていたいなぁと、生きています。

、、とバーッと書き進めてきてしまいましたが、流れるままにきたのでまとまりないし、着地点ここで良かったのかわかりませんが。。まぁいっか!

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結局レストランからホテルへ戻り、一眠りしてから続きを書いていました。あぁ〜本当に美味しかった。。明日(今日)の夜は今度こそベルボーイおすすめのレストラン行ってリベンジディナーかな。

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