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特に何が起こるというわけではなく、そこはかとない不穏さと閉塞感が続き、それが終盤で90年代という時代の持つ不穏さだったと分かった時のぞわわわわ〜となる感じ。僕が『リバーズ・エッジ』の映画化に求めていたのはこれだったのかもしれません。(『パラサイト』のアカデミー受賞という)このタイミングで韓国映画のニューウェーブ的作品がようやく出て来たかという感じです(しかも、女性監督というのも韓国映画界にとっては革新的なことらしく。)。キム・ボラ監督の長編デビュー作にして(もう言ってしまいますが)傑作『はちどり』の感想です。

『ゴースト・ワールド』とか、それこそさっき上げた『リバーズ・エッジ』とか、90年代を舞台にした青春映画はいくつもありますが、ここまで90年代の"何もない"を忠実に描いた作品はなかったんじゃないでしょうか。僕は青春時代が90年代だったのでその何もなさを体験として実感してるんですが、90年代ってメインストリームとサブカルチャーが分断された時代だと思うんですね。で、それって、前時代的な考え方と新しい世代の分断てことを示唆していて、この映画は正にそこを描いていると思うんです。例えば、メインストリームに対して、70年台がフラワームーブメント的な"変革"の時代だったとしたら、80年代がパンクから始まった"破壊"の時代で、その後ニューウェーブ的な"再構築"があって、90年代というのはそれら全てを諦めてもはや主流とは違う生き方(つまり"オルタナティブ"ってことですね。)を標榜した時代だと思うんですよ。で、なぜかそこにつきまとう不穏さっていうのがあって(個人的にはこの不穏さこそが90年の面白さだと思っています。)、それが何なのかというと、"変革"しようが"破壊"しようが何も変わらなかった世界。その世界の不条理さを知ってしまった(というか、もともと世界は不条理なんですけど、そのことに気づかない様に何とか生きてきた僕たちについに限界か来た。)ってことだと思うんですよ。だから、もちろん、この映画にも90年代の持つ不穏さや閉塞感がそりゃもう溢れてるんですけど(90年代の青春を描いたものは全部そうです。その不穏さから抜け出せないまま終わって行くんです。)、なぜか、この映画に関しては、観てる間中ずっと、その不穏さの裏に貼りつく様なそこはかとない希望を感じていたんですよね(90年代の話を観ながら希望を感じるなんてないことだと思ってました。)。つまり、世界は不条理だと知りながら(そう言えば、この映画にもそこに気づいてしまった前時代の人ということでウニの叔父さんが登場しますね。あとはみんな気づかないふりをしてるだけで。特にウニのお母さんは必死で気づかないふりをしていました。)、それでも生きていかなきゃならないというのが90年代だと思っていたんですが、それがウニたち(14歳)の世代にとってはそうじゃなかったって話なんですよ。「不条理な世界?何言ってんの、世界は最初から不条理だよ。」っていう。 だから、14歳のウニの心が(顔は無表情のまま)日々アップデートされていく姿に希望を感じるんですよね。

例えば、同じ韓国のイ・チャンドン監督の前作『バーニング』も(原作の『納屋を焼く』は1983年の設定なので違うは違うんですが)、90年代的不穏感のある映画でした。あと、台湾のエドワード・ヤン監督の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』も舞台は60年代なのに90年代的不穏感に満ちていて、これはこの映画が91年に公開されたというのもあると思うんですけど、明らかに80年代の青春映画とは違う青春の描き方で、観た時にもの凄い共感したんですよね(僕自身が青春期に感じてた閉塞感と同じものを感じたので。)。で、その流れで言ったら1995年放映で14歳の子供たちが主人公の『エヴェンゲリオン』も、その年に生まれた人類が14歳になったら地球もろとも滅びるという楳図かずお先生の漫画『14歳』も、あと、デビット・リンチとか、ジム・ジャームッシュとか、ソフィア・コッポラとか、ガス・ヴァン・サントとか、クエンティン・タランティーノも。90年代を代表する作品や作家には、ジャンルや見せ方を問わずどれにも似たような不穏さがあるんですよね(あと不穏過ぎて笑っちゃう様なユーモアも。)。

で、その中で個人的に90年代的青春映画の名手だと思ってるのが山下敦弘監督で、中でも『松金乱射事件』は、90年代の不穏感のみでストーリーが進んで行く様な映画(90年代的象徴のひとつである地方都市の不穏さを描いた映画で、正に松金で乱射事件が起こるまでを描いてるんですが、その事件そのものに明確な意味はないんです。このやってることに明確な意味がないというのも90年代の特徴のひとつだと思うんですよね。)で大好きなんですが。ただ、この映画も主人公が時代の空気としか言いようのないものに取り込まれて終わって行くんです(そう言えば山下監督にはもうひとつ、『苦役列車』っていう90年代の底辺の青春を描いた作品がありますが、これなんか正に"オルタナティブとは?"みたいな映画でオススメです。)。で、これって何でなんだろうなと思うんですけど、たぶん、90年代に出て来た不穏さの種というか、提示された問題がまだ今の時代になっても継続してくすぶり続けているからなんじゃないかと思うんです。つまり、その時既に前時代的な考えに染まってしまっていた人は今だにその考えから抜け出せなくてどうしていいか分からず、その考えおかしいだろって思っていた人たちは今だにおかしいだろって思い続けてるみたいな。つまり、何も解決してないからだと思うんです(だから、明確に94年に起こった事件を引用して凄く私的な話として語られる『はちどり』に時代を超越した共感覚を覚えてしまうんだと思うんですよね。)。

ということで、じつは個人的にこの映画の中で一番違和感を覚えたのはウニに対してなんです。両親がケンカをして家の中がめちゃくちゃ殺伐として、でも、そのことに関してあまり深く関与しないでいた様に見えたウニが、夜、姉と寝ている時にポツリと「なんでウチの家族は仲が悪いんだろう?」って言うんです。僕はこのシーンを観て、今まで観てきた90年代の青春映画とは決定的に違うなと感じたんですね。つまり、この娘は考えることをやめてないんだって思ったんです。で、更にウニのメンター的存在として登場するヨンジ先生(この人めちゃくちゃいいんですよね。)っていう女性塾講師がいるんですけど、その人がウニに対して「辛いことがあったら、自分の指を見なさい。」って言うんですよ。「指が一本一本バラバラに動くことが凄いなと思うから。」って。これ、どういう意味かというと"考えることをやめるな"ってことだと思うんですよ。自分の思考した様に指は動く。どういうメカニズムで、どう繋がって何が影響してこんな複雑なことが出来ているのか。それだけで人間ていう生物はもの凄いし、そういうものを内包している世界っていうのはとてつもなく面白いものなんだ(自分の指っていうミニマルなところから思考が世界にまで拡がって行くこの話、14歳の少女の日常を描くことで世界そのものが見えて来るこの映画そのものだと思うんですよ。)っていう。実際、青春映画としては割とクラシックな作りの、90年代という思考停止の時代を描いた物語なのに、それを革新的なものにしてるのはこのセリフだと思うし、この映画が90年代を描いた物語としてアップデートされてるところがあるとすれば、少女の日常と社会をリンクさせたとか、フェミニズム的視点が入ってるということよりも、"思考は世界を切り開く。"ということをメッセージとして確信的に持ってるところだと思うんですよね。だから、そういう世代が作るものが出て来たってことは、そろそろ90年代も総括されて新しいところへ行く時期なのかなとも思うんですよね。

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