生きてるだけで、愛。
あー、と。この映画の感想で「泣けた。」って人が割と多くて、ちょっとビックリしたというか、「ああ、そうなんだ。」と思ったんですが、あの、個人的には、描かれているものが壮絶過ぎて泣くことも(こんなヌルい体験で共感と言っていいのか?って意味で)共感することも出来ませんでした!本谷有希子さん原作の小説を映画化した「生きてるだけで、愛。」の感想です。
もともと本谷有希子さんの小説は好きで何冊か読んでいて、映画化された「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(吉田大八監督)も「乱暴と待機」(冨永昌敬監督)も観ているんですけど、どちらもクセのある監督でありながら原作のエッセンスというかノリが前面に出ていて、ほんとに凄いなこの人と思っていたんですが、そのエッセンスっていうのが何なのかと言うと、現実的に見れば地獄みたいな状況を描きながら、その文体の軽さ(起こってる全てのことを俯瞰で見ている様な感じ。)によって世界全体がキャッチーになっていて、超絶シリアスな状況でありながら笑えてしまうっていう作りになっているんですね。で、その文体が持つグルーブ感(だから正にノリなんですけど。)みたいなのが、映画化された2本共にも共通してあって。ジャンルとしては(もちろんそれだけじゃないシリアスさもあるんですが、)コメディとして成立しているんです。それが、今回の「生きてるだけで、愛。」は、このグルーブ感を意図的に封印してるというか。うーんと、つまり、俯瞰で世界を見るっていうクッションを無くしているので、起こっている事案のリアルさとか切実さがダイレクトに感じられて、ほんとに観ていて辛いっていうね、ことになっているんですよ。だから、最近の本谷さんの作品てこうなのかなって、随分描き方変わったなと思って調べたんですけど、この原作、「乱暴と待機」と「腑抜けども〜」の間(正に本谷有希子初期の絶頂期)に発表されていて、だったら同じ様な文体で書かれてるはずなんだけどと思って、ちょっと原作を読んでみたんですね。そしたら、原作はやっぱりあの文体で、俯瞰視点のグルーブで書かれているんですね。(つまり、どっちかと言えばコメディであり、コメディだからこそ物語に潜んでいる真実の部分にハッとするっていう書かれ方です。)
だから、まぁ、この映画版ではただ延々と続く精神の地獄を見せられることになるんですが、そう言えば、「ああ、この地獄いつまで続くんだろう。」って思いながら観た映画他にもあったなと思って。これ、要するに「プライベート・ライアン」ですよね。それまでの戦争映画が(リアルにやり過ぎるとエンターテイメントを逸脱してしまうという理由で、)アクションとして描いていた戦闘シーンを、容赦の(身も蓋も)ないリアルさで描くことによって、映画館で映画観てるだけなのに、自分も流れ弾に当たって死ぬんじゃないかって体感をさせてくれたあの「プライベート・ライアン」。(もしくは「ハクソー・リッジ」でも可。)で、「プライベート・ライアン」は戦場っていう非日常(そこにいる全員が狂ってるという意味で。)を描いているので、まだ、いいんですが、これは正にすぐそこにある日常(狂ってる人と狂ってない人が混在している。)を描いているので、その地獄のゼロ距離感(なぜこんなところに戦場が存在してるのか?感)がハンパないんです。
えーと、主人公の寧子は鬱病からくる過眠症(とにかく眠くなるって病気で、仕事中や歩行中などの寝てはいけない場面でも突然眠気が襲って来て寝てしまうらしいんですね。)を患っていて日中は大抵寝ているんですが(映画冒頭は寧子が部屋で微睡んでいるところから始まるんですが、部屋の散らかり具合とか目覚めても布団から出ないままで済む様に物が配置されてる感じとか、自分の一人暮らしだった時の部屋を見てる様で、ここの描写素晴らしかったですね。)、精神的にもそうとう不安定で、鬱に入ると手がつけられないっていう状態なんですね。で、その寧子と一緒に暮らしているのがツナキって男性で、ツナキは出版社に勤めていて望んでいないゴシップ誌の担当編集者をやっているんですが、何に対しても冷めているというか、基本的に「どうせ全てこんなもん。」て諦めちゃってる感じ(実際は諦めているわけではないと僕は思っていますけど。)の人なんです。だから、寧子が不安定になっていろいろあたってきたり激昂したりしても常にやり過ごしている様な人で。(でも、だからこそ上手くいってるとも言えるわけです。)で、そこにツナキの元カノ(この人もおかしい。この映画の中でこの人が一番おかしいんですが、ゆえにこの映画唯一の癒しにもなっているという変なバランスなんですよね。)が現れてふたりを別れさせる為になぜか寧子の社会復帰をサポートするっていう話になっていくんですね。(単に恋愛物じゃなくて、そこに元カノが絡んで来て元カノvs今カノみたいになるの凄く本谷有希子さん的でした。)
主人公の寧子を趣里さん、ツナキを菅田将暉さん、元カノの安堂を仲里依紗さんが演ってるんですが、そもそも個人的には本谷有希子作品のキャラクターを趣里さんが演じるという時点で違和感があったんですね。本谷有希子作品のキャラクターって、みんな独特の図太さ(もしくは諦め。)みたいなのがあって、じつは繊細で考え込むタイプだから精神的に不安定になってるんですけど、考え過ぎて、「なぜ自分がこんなに悩まなくてはならないんだ?」ってことに怒りを覚えてる様な、その怒りが変な形で外側を向いてしまってる様(ダウナーなのかアッパーなのか、それが混在しちゃってる感じ。)なのが本来の本谷キャラなんです。(だから、仲里依紗さんが演ってた安堂。彼女が唯一本来の本谷有希子的キャラクターなんですよね。仲里依紗さんの演技めちゃくちゃ良かったですよね。虚構と現実の狭間にいる様なキャラなのに、「この人実在するわ。」って感じがあって、特に派手なことをしてるわけではないのに、目を見開く的なアクションだけで、「あ、この人イッちゃってる。」って感じさせるのとかヤバかったです。)で、趣里さんってそれとは真逆っていう印象があったので、やはり、序盤は無理してハジけてる感が否めないなと思っていたんですけど、たぶん、監督はそれを狙っていたんですよね。要するに本谷有希子的世界に行く一歩手前の現実を描いてるというか、僕たちが生きているこの世界でギリ理解出来るシリアスな"狂い方"っていうのは、趣里さんの様な繊細でマジメでハジけ切れない様な人が考え込んで考え込んでそれが外向きにならないギリギリの状態のことを言うんだってことなんだと思うんです。
だから、事実を元にして作った映画(例えば「悪魔のいけにえ」とか。「悪魔のいけにえ」はエド・ゲインていう実在する猟奇殺人鬼をモデルにして作られているんですが、映画的フィクションを盛り込み過ぎて実際の事件とはちょっと違ったテンションの映画になっているんですね。)を事実に忠実に(つまり、エド・ゲインは自分たちと地続きのところに存在している同じ人間なんだって視点で)リメイクし直しましたみたいなリアル感のバランスになっていて。例えば、(原作をまだ全部読んでないので推測の意見ですが、)これまでの本谷作品であれば、出て来る人たちみんなどこかおかしいというか、こっち(寧子)サイドからしたらそっち(つまり、寧子の社会復帰を何のメリットもないのに手伝ってくれるカフェの人達とかもですよ。)の言ってることもそうとう受け入れがたいぞっていう視点があって、その上で世界は(全員狂ってるってことで)平等じゃねぇかっていう"救い"というか、"諦めの先の希望"みたいなものがあったんですね。(だからこそ、ラストの寧子の独白に胸打たれると思うんです。)僕なんかはそこに共感していたんですけど、今回の映画はそれもないので(もちろん、この映画の独白にも胸打たれるんですけど、解釈が違うのでそこで救われはしないんですよね。)ほんとただ辛いだけっていう。そして、例えラストで一瞬通じ合った何かがあったとしても根本的には何も変わってないわけで、この地獄が今後も続くわけですよ。僕は自分がツナキ的な考え方をする人間だから、どうしてもそういう視点で観ちゃうんですけど、この映画のコピーの "ほんの一瞬だけでも、分かり合えたら。" っていうの、いや、ほんとに一瞬だけでいいんだったらそんなに楽なことはないよと思っちゃうんですよね。僕は、ツナキは単に思考停止してたわけではなくて、今後も寧子と一緒にいることを最優先に考えたら、あの距離の置き方が最良だって考えてたんじゃないかと思うんですよ。で、そういうツナキの考え方の根本には"人間は分かり合えない"っていう行き着いた哲学があると思うんです。(僕も基本的にこの考え方でいろいろなことを見ています。)で、それは諦めとか絶望というわけではなく、そう考えた方が何かと納得がいくってことなんです。つまり、"分かり合えないけど一緒にいる。" というのは可能だと思っていて、そういう希望の持ち方っていうのもあると思うんです。で、きっとツナキもそうなんじゃないかと思うんですよね。ただ、ラストの寧子の独白は、「人間は(ほんの一瞬でも)分かり合えるという希望を捨てていない。」ってことを言っていて。でも、現状、寧子は自分のことさえ分からないっていう状態なんですよ。(自分のことさえも分かってないということは分かっているんですよね。本人も。)で、それだったら "人間は分かり合えない" ってことを受け入れちゃった方が楽なんじゃないのかなと思うんですけど、「いや、そういうことじゃないんだよ。」ってことなんですよ。そこまでは観ていて分かりました。だから、この映画を観て、ただ安易に分かったつもりにはなれないというか、あの最後の寧子の独白を聞いて「凄く良く分かる。」でも、「何言ってんだ。全く理解出来ない。」でもなく、「ええ、そんなこと言われても…」って思えたのは、やっぱりこの映画の切実さが伝わって来たってことだと思うし、ちょっと新しい映画体験でしたね。
今年は、邦画の恋愛物で「寝ても覚めても」と「君の鳥は歌える」が話題になりましたが、この「生きてるだけで、愛。」も入れるとそうとういろんな視点の三角関係が見れて面白いですね。
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