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【3足のわらじ仮面浪人】フル単達成、バイトと両立!壮絶仮面浪人医学部合格体験記

僕と仮面浪人について

  僕は慶應義塾大学に通いながら医学部を志して仮面浪人をしていた。慶應での仮面浪人はよく聞くことだろう。特に経済学部、理工学部はほとんどとは行かないまでも半分以上は東大落ちなので東大目指して仮面浪人という人は数多くいる。だがしかし、成功率はかなり低い。というのも受験が終わってからしばらくは第一志望に受からなかった悔しさで慶應進学予定者であっても結構な数の人が仮面を考える、ただその悔しさの賞味期限は決して長くない。いざ大学が始まると、サークルに入ったり先輩や同級生が恋愛や遊びに精を出しているのに引っ張られて、ほとんどが5月には慶應色に染まって悔しさはどえやら、それどころか慶應に通っていることにある種のステータスをも感じ始めさえするのである。こうして4月には多かった仮面浪人志願者の大半は消滅するのである。仮面浪人というのは続けるのも難しいが、続けたところで成功率も非常に低い。せいぜい1〜2割といった所だろうか。まるでイカゲームのような世界である。
  僕はもともと医学部を志望して1浪目は河合塾にいた。成績は飛躍的に伸びたのだが、両親は医者でもなく会社員をしていたので学費的に進学可能な医学部が少なく、結果合格することができなかった。したがって滑り止めとしてたまたま受験して合格していた慶應義塾大学経済学部に進学する運びとなった。しかし、1浪目には成績も伸びて、第一志望に近い私大御三家と呼ばれる東京慈恵会医科大学、日本医科大学からの補欠をもらっていた。正直多分どっちかは繰り上がるだろうと思って期待していたのだが3月31日まで待っても繰り上がりの連絡が来ることはなかった。おそらくこの年落ちた医学部受験生の中で一番惜しかったんではないかと今でも勝手に思い込んでいる。          4月1日に慶應の入学式が控える中、僕は夜な夜な絶望感にひたっていた。自分の人生プランを布団の中で涙を流しながら考えていた記憶は今でも鮮明である。そういう考えに浸る中でうっすら仮面浪人という選択肢が浮かび始めたいた。
  次の日の入学式は高校の友達も多く来るとのことだったので、日吉への電車の中でスーツを見に纏い、引き攣りながらも笑顔を練習していた。入学式は、高校の友達にも久しぶりに会えたので思いの外楽しかったのである。僕の高校から他にも友達が多く慶應に行っていたこともあり、まずは学校生活を送って楽しんでみてからそれでもやりたいと思ったら仮面しようかなとぼんやり考えるようになった。
  以下時期に分けて、僕の1年間の足跡を書いていきたいと思う。

4月〜5月新歓期

  ということで慶應に入学したのだが、慶応では4月1日に入学式があってからオリエンテーションでクラスの顔合わせ、新歓という流れになっている。自分のクラスのメンツは高校から内部で上がってきた人が多かったのだが、予想よりも真面目で地味だったのでびっくりするとともに、少し話すと育ちの良さが滲みでててやっぱ慶應すげえなーと思ったのが最初の印象である。
  次の日から新歓が始まったのだが、キャンパスに行くと、昨日までいなかったとりあえず派手な色に染めているチャラい男女、体育会部活の制服を着た育ちが良さそうでとにかく顔がイケメンな(多分ほとんどが内部あがり)男、露出度が高い服を着た港区女子のような見た目のの美人な女子が各々のサークルのチラシを新入生に配っていた。 
  僕は高校同期で現役で慶應行っているやつに案内してもらっていた。結局いろんなサークルの新歓用ライングループに入って、後日飲み会などのレクリエーションに参加することにした。新歓期間は明確に定まってはないのだが大体1ヶ月ぐらいだった。僕も飲みサーからテニサー、ビジネス系のサークルまでいろんなところに顔を出し、クラスのメンバーとも授業を通してだんだん仲良くなっていき、学校生活が楽しくなっていった。     
  僕は確かに学校生活を楽しめていたのだが医学部への未練も残っていた。僕は悩んだが、慶應で充実した生活も送れるようにしておきたいという思いから、意識高い系のビジネス系サークルとある飲みサーには入ることにした。
  こうしてザ、大学生のような生活を送り始めた僕なのだがここで転機が訪れることになる。飲みサーの同期懇親会に参加することになった僕は渋谷のあるパーティー会場に足を運んだ。同期と飲みながら楽しんでいたのだが、トークを回して場を盛り上げるのが得意だった僕はいつも通り話を回して笑いをとっていた。
すると途中参加で1人の男の子が僕のテーブルに座ってきた。見た目もイケメンでブランドの服を着ていて育ちが良さそうな子だったのだが、その子は席についた後もおとなしく人の話を聞いていた。しかししばらく経ってよくよく話を聞いていくと、なんとその男の子は天下の天下の慶應医学部だったのである。それを聞いた女子たちは露骨にザワザワし始めて、その男の子のことをあからさまにちやほやし始めたのである。せっかく場を盛り上げていたのに注目は全部医学部の男の子に向けられたのである。僕は医学部受験畑にいた人間なので劣等感で頭がいっぱいになると共に、やっぱり医学部にいきたいなと悔しさが込み上げてきた。その瞬間は、明らかに自分の全細胞が震えていた。この瞬間、僕は仮面浪人を決意したのである。
  こうして仮面浪人を決意した僕なのだが、親の許可が降りていなかったので説得しなければならなかった。自分の両親は医者ではないので話をしても仮面浪人をして留年のリスクを取ってまで受験するのはダメだと跳ね返されてしまった。最終的には親が折れて仮面浪人を許可してくれたのだが、“受験費用は高額だから払うが模試代、テキスト代は自分でバイトして賄う“、“フル単で余裕に進級する“が条件となった。ここから僕の棘の仮面浪人生活が始まることとなる。

  ここから先は受験結果含め有料パートとさせていただきたい。波瀾万丈だが戦略的な一年を過ごした僕の勇姿を見届けてほしい。仮面浪人の心得やポイントも織り交ぜているので。
仮面浪人に少しでも興味がある方や単純に面白いと思ってくれた方は購入してくれると嬉しい。

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