海を越えて家族と離れるという意味
「海の外」と書いて海外と読む。
陸続きの欧州などと違い、我々にとっては外国=海外になる。
ボクが初めて海の外に出たのは18歳の時だった。高3の夏にアメリカのロスに1人旅に出た。
当時は海外に憧れるような気持ちがものすごく強く、狭い日本を飛び出し、”外”に出たくて仕方なかった。
特にU.S.Aは自由の象徴と思い込んでいたし、まず初めに行きたい国だった。
それからというもの、留学・ワーホリ、バックパックでの放浪などなど、ことあるごとに海をまたいだのだった。俗にいう「旅グセ・出癖」というものがついてしまったらしい。
その度に日本の家族に別れをつげ、海を越え、家族とは離れ離れになっていた。それでも「ホームシック」になった記憶はない。
もうイヤだ。日本に帰りたい
そんな風に思ったこともなかった。
母の何気ない手紙の一文や、祖父が他界し電話で話した時の父の声には感情を強く揺さぶられたことはあるが、それは「ホームシック」とはまた違うものだと思っている。
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今ボクは、日本のホテルでこの記事を書いている。
そしてバリバリのホームシックにかかっている。コロナは陰性だが、こっちはぶっちぎりで陽性だ。
まだエストニアを離れてから3日も経ってないというのにこの様だ。
長女が生まれてからこれまで何度も仕事で「家」から2~3日離れたことはある。でもホームシックにはならなかった。(もちろん、早く会いたいという気持ちはあった)
やはり決め手は距離の違いにあるのだろう。
家から車で2時間の場所にいるのと、飛行機で10時間以上かけ海をまたいだ場所にいるのとでは訳が違う。
「子どもになにかあったら・・・」
「ヨメに何かあったら・・・」
そんな緊急時の事態には日本にいるボクには何をすることもできない。そんなことを考えると恐ろしく不安になる。
隣にいて手を握ってあげることもできなければハグもしてあげられない。
そんな当たり前のことは出発前から解っていたつもりだったが、いざ飛行機が離陸し、あの特有の浮遊感を体が感じた瞬間、その現実をありありと感じたのだった。
ましてや現在の世界情勢の中だからこれまでよりも「緊急事態」が起きる可能性は今までに比べずっと高くなってしまった。
実際にボクがとっていたフィンエアー(フィンランドの航空会社)のヘルシンキ⇔東京の便は出発3日前にキャンセルになった。他の欧州同様、フィンランドはロシアの航空会社がフィンランドの上空を飛ぶことを禁止したため、その報復でロシアも同じ処置をとった。
そういった動きはすでに周知していたので、念のため前もって探していたロシア上空を飛ばないトルコ航空のイスタンブール経由のチケットを即おさえた。
しかしフライトスケジュールの都合で、出発が早まり、翌日出発となった。次の日の飛行機のチケットをとったのなんてこれがはじめてだ。
今回の一時帰国は2週間と少し。仕事関係が主な理由。
もしこの2週間の間にエストニアにも影響が広がり、飛行機が飛ばなくなったらどうしよう?という不安は少しはある。でもエストニアはEU・NATO加盟国でもあるからこの短期間に状況が悪化することはまずない。と言い切りたいとこだが、何せ相手は原発のある所に攻撃をしてしまうような政府だから可能性はゼロではなくなってしまった。
ニュースではウクライナの各地方のバスターミナルや列車の駅で男性・父親が子どもや家族と別れを告げる様子を報道しているが、コレ、本当に見てられれない。恐らく多くの人にとってこれが最後の別れになるのだろうから。。。
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今、毎日のようにSkypeを使ってエストニアの家族とテレビ電話をしている。こちらの画面がついたときに長女の顔がパッと明るくなるのを見ると、心が躍るけど、同時に申し訳ない気持ちにもなる。次女がボソッと「お父さんにハグしたい」と言ったときは奥歯をグッと嚙み締めた。(やわだなおい)
でも今回のタイミングで帰国できたことにはすごく感謝している。
もしかしたらこれから情勢が悪化して本当に日本に帰国できなくなる可能性もゼロではなくなったからだ。ただでさえ適度に帰国をしていた人間でないから余計にそうなる可能性が高い。
今生の別れなんて言えば大げさかもしれないけど、両親にたいして面と向かって言いたかったこと。感謝したかったこと。全部言おうと思う。
以前から、言わなかったら絶対後から後悔する。とは思っていたからちょうどよい機会なのかもしれない。
これから世界情勢が悪化しても、エストニアから日本へ移住予定をたてるつもりは余程のことがない限りはない。ボクにとってエストニアはHomeであり、ヨメや娘たちの母国だから。
待機中のホテルの部屋からは東京湾が眺められキレイな景色が広がっているのだけど、ボクは出国前に見たエストニアの田舎の🔵⚫⚪の景色、家族が恋しい。
海を越えて家族と離れるという意味。ようやくわかった気がする。
書くことを仕事にするための励みになります。