mirto.

† / わたしが見ている世界を残す‪、意味はなくても、ぎりぎりのまま、死ぬまで。/age19/フォローゆっくりお返ししてます

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最後の期待、友だちと神さま、備忘録。

書き残さなくてはいけない気がして、キーボードを叩き始めた。 どうしようもなく不安定で、弱くて、情けないわたしを残すことを恥じていた。 でも、忘れちゃいけないんだと気づいた。 無かったことにしちゃいけない。 この部分もわたし。 いつか、わたしという人生の哲学を完成させるとして、その時に必要不可欠になる一欠片であるはずなんだ。 だから残す。忘れないように、今のわたしが言葉にしておく。 人と、会えなくなってしまった。 少し前から感じていた違和感はあったけれど、気づかないふりをして

    • 傷にふれる

      人の”傷”を見ることがある。 中学生のころ、ある女の子と教室で近くの席になった。 春にクラス替えで一緒になってから何度か言葉を交わしていたが、同性ながらかわいいなと思ってしまうような子だった。 夏になり、半袖を着るようになってから、わたしはその子の傷を見た。 幼い時の手術の痕らしかった。 その子の気品ある所作に少し不釣り合いなくらい痛々しく腕に残ったその傷を見て、わたしは少し目を逸らしてしまったことを今でも鮮明に覚えている。 わたしは、人の傷を見て、目を逸らした、のだった

      • keramion

        沈黙。 暗闇。 輪郭が融けていく。 満ちてゆくことばとそのかけら。  *** 波の音。 緊張とあたたかさ。 古びた毛布。 破られていく殻。 いのちの音。 ゆれる炎、ゆらすたましい。 なんでもない道。 ずれる足音。 くりかえす、その先の奇跡。 わたしの輪郭。 教会の鐘。 わずかな光。 だれかのことば。 貴いあなた、と、わたし。 ねんどのようなわたし。 中を吹き抜ける風。 欠けやひび割れ、治らない傷跡、したたるしずく。 つながるだれかと重なる、うるおす。期待。 かたちを変

        • 居るということ

          伝えたいことがある。 忘れられないこと、忘れたくないのに忘れていくこと。 傷ついたこと、傷つけられたこと、その先にあった救いのこと。 気持ちが溢れてくる。生きているという感じがする。 それを丁寧にぎゅっとして、言葉にしてみる。 綺麗事だけじゃないだろうな、この世界。 しかしこのわたしが経験したという事実だけは揺るぎなく、間違いなく与えられるものでもある。 どうせ終わりは来る。 その時、あの人は隣には居てくれない。 わたし一人で違うところに行く。 そう思うと途端に、他人か

        • 固定された記事

        最後の期待、友だちと神さま、備忘録。

          愛と、遠い人への返事

          今のわたしには、人生のキーワードみたいなものがある。 何かを決断しなくてはいけない時、その言葉たちを頭の中で反芻しながら、祈る。 今のわたしが今を歩めているのは、愛されてるという確かさを信じているから。 そんなことに、気づく。 蓋をしている過去が不意に開けられてしまうとき、ひとりでは到底向かい合えなくて、天を仰ぐ癖がついた。 なにもなくても、そこに何かがあると信じて、天を見つめて、そんなときに限ってその存在はすぐ隣ー目をそらしたばかりの目の前ーに居たりして。 それで、視線を

          愛と、遠い人への返事

          「居る」という幻

          目を瞑って、わたしはひとりになる。 わたしという輪郭が消える。 風が体を伝って、音が体に反射して、かろうじて「わたし」がいる感覚がする。 「居る」とは、どれだけ不安定なことか。 初めて自然の川に行った。 水面が光って、川底が透けている。 足を浸すとかなり冷たくて、表面を滑っていく水の力に驚かされる。 近くの岩に腰掛けて、両手と両足を浸してみる。 目を瞑る。 揺れる木の葉の擦れる音が、すぐそこに感じる。 仲間の声は遠くなる。 指の間を通る水が、かろうじてわたしを世界から分つ。

          「居る」という幻

          ガラスの向こう、生みの光(村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで)

          『ああ、私は今、上手に「人間」が出来ているんだ、と安堵する。』(P.34) 人間として自分を疑うことがある。 隣で楽しそうに笑う友人を見て。 背中の方で高らかに笑い声を上げる知らない高校生を見て。 お昼過ぎ、山手線の座席に顔を埋めたスーツ姿を見て。 自分の手を組んで、体温を感じて、この暖かさだけを頼りに「人間」だと思う。 この本を初めて読んだのはいつだっただろう。 多分、高校生の頃。わたしは確かに異物だった。 異物を感じながら、周りを吸収して、「うまく人間になる」。 少し

          ガラスの向こう、生みの光(村田沙耶香『コンビニ人間』を読んで)

          方向転換

          夜、ひとりの部屋で、この文章を書いている。 今日は春なのにちょっと暑くて、嫌いな半袖で過ごしている。 もう暗いのに、外では猫が喧嘩している。 何かを始められた気がした、そんな日だったので、こんな文章を書いている。 1年前、わたしは生きようと思った。 生きていていいというゆるしを飲み込んだ。 震えていた。いまでも覚えてる。緊張も、嬉しさも、責任感も。 今日、あの日の自分の日記を見返してみた。 何も知らない私がいて、饒舌な彼女が羨ましくなった。 この1年で私の人生は全く変わ

          方向転換

          結び

          卒業した。 早かった? ううん、決してそんなことはなくて。 でも、上手く言えないけど、もう戻ってこないものを思い返すたびに、わたしは必ず大事なことをこぼしてしまう。だから、ちょっと寂しい。 時々のぞく風呂敷の中身。 今日までずっと一緒に旅をしてきたはずの風呂敷。 全部包んで持ってきたはずなのに、一向に重くならない。 たまに立ち止まって覗いてみる。 目を凝らすと、入っていると思っていたものは全部見つけられる。 それなのに、旅をしてもしても、重くならない。 気づいてしまった

          処分

          下書きがよく溜まる。 あとから書き足したり校正したりしたいと思って残す。 数週間、日常のふとした時に書きかけを思い出して、考えをめぐらす。 そろそろ煮詰まっただろうか、また続きが書けるだろうかとまた読み直す。 何も変わってない。 大抵何も変わってない。 ので、もう公開しちゃおう。ぼくの不完全な考え。 下書きのままぼくが死んでしまったら、この言葉たち無かったことになるものね。それは避けたいし。なんでか分からないけど、ネットに生きた証あればいつか誰か見つけてくれそう、とか、思

          灯つきぬ、いざ生きめやも。

          わけてもらった灯を、使うあてのない身体の中で未だに抱えている。歪で不器用なわたしだけど、最後の賭けをしているみたいに、必死で、消さぬように、忘れないように。 新年、明けても何も変わらないけど、節目は大事にしたいと思って意識的に文章を書いておく。 今年は言葉を大事にしたい。 ずっと大事にしてきたけど、自分の方から誰かに言葉を伝えるということも、誰かからの言葉を受け取るということも、より大切にしていきたい。疲れてしまうかもしれないけど。 言葉があるからいろいろ考えられる。人

          灯つきぬ、いざ生きめやも。

          不可・嚥下

          最近、思う。 私は多分、自分の内側から殺される。 決して暗い意味じゃなく、一種の強がった願望みたいなものかもしれないけど、思う。 わたしは自分が誰なのか、わからない。でも、内側の誰かに殺される。そんな気がしてる。 彼には勝ち目がない。 自分の限界を問うとき、彼も私も一体化する。 夜、カーテンを締切って、真っ暗な中、そこには視界は無く、ノイズと、毛布の感覚が身体の輪郭を縁取るだけ。その中に身を置いてみると、自分の有限性、はたまた知るはずもない無限という概念に出会う。 わたし

          不可・嚥下

          寒き風、胸を穿つ

          この感覚に名前があることを知る日が来るならば、その時その言葉は、この感覚そのものを少しだけ殺してしまうだろう。この感覚、わたしが冬に抱くこの感覚には、名前が無いからこその見えない価値がある。 冬。 夜。 塾帰りの御茶ノ水。 タイミングの悪い信号待ち。 遠くでイルミネーションが光っている。 聖橋をタクシーが乾いたタイヤの音を立てて通り過ぎる。 マフラーに顔を埋めながら、信号の目盛が下がっていくのを待つ。 いつのまに冷たく固くなった夜が、外側からじわじわ身体を冷やす。 寒い風は

          寒き風、胸を穿つ

          仮初の希望だとしても

          仮初の希望だとしても、 わたしはわたしを残し続ける。 つまらない、なんでもないわたしだけど。 死に損ねた私、生き残った私、ぎりぎりで拾われた私。 胸を張れる人生じゃない。 何か誇れるものを持ってるわけじゃない。 それでも今日も生きていて こういう世界を見てるんだけど、 あなたも一緒に見てみない?って、 そんな気分で残すことにする。 生かしてもらってる世界、死ぬことが許されてない世界。 希望はあるよ、きっと嘘じゃない。 嘘だと疑わずになにかを信じはじめたら、 それが希望になるか

          仮初の希望だとしても

          私的芸術論再考

          前書き。この芸術論を書くにあたっての背景。興味が無ければ次の段落までどうぞ。 昨年、学校の課題で文章を書く機会があった。何を思ったのか、私はここぞとばかりに芸術論を書いてみた。未熟で無知な私なんぞ、と思いながらも、自分の衝動のままに書いてみたところ、(課題の企画としては新聞のスクラップだったので記事も取り込みつつ、という形ではあったが)いい具合に自分勝手に書けたな、という爽快感があった。 誰かに読んで欲しかった。否定でもいい、批判でもいいから、誰かの意見が欲しかった。今まで批

          私的芸術論再考

          最近よく考えるのは、人間、どこまでのことを引きずって生きるのが正解なんだろう、という話。 自分で言うのもおかしいけれど、私は年の割にいろいろなことを経験させてもらっているなと感じている。それは、ちゃんとした「経験」というものだったり、日常の「困難」だったりするのだけど。 ひとつひとつのことを大切にしすぎてしまえば、身動きが取れなくなる。水に流し続けてしまえば、過去に無責任な生き方をすることになる。引きずる自由があるというなら、自分にとって都合のいい生き方をすることになる。