見出し画像

「病気を受け入れる」とどうなるか

8月に入った頃から始まった体調不良。
今もってなんやかんやと続いており
低空飛行の日々ですが
なんとか生きています(笑)

頭痛からのぎっくり首、からのぎっくり背中。
そろりそろりと過ごしております。

そんな日々を経験し、一つ気がついたことがあります。
それは、本当の意味で「病気を受け入れる」
ということ。

今までは、とにかく「体調不良」が嫌すぎて
早くなんとかしようと精一杯でした。

頭痛が起きないようにと
日頃から予防薬を飲み、
それでも痛い時には痛み止めを飲む。

肩こりがひどいからと鍼灸治療を受ける

とにかく「体調不良である自分」を
受け入れられなくて
そんな自分を変えたくて
日々、奔走するような感じでした。

「体調不良がない自分」となるように
頑張るのがご自愛なんだと思っていました。

でも、今回の体調不良は
何をやっても、どこの病院に行っても
誰に相談してもよくならない。
もう、どうしようもないところにまで
自分が追いやられ…お手上げ状態。

ある日、私は辛すぎて泣くしかなくて
年甲斐もなくおいおいと声をあげて
泣いてしまいました。

「つらい、つらい。頭が痛い。
なんでいつも私はこんななの!
もうこんな私は嫌だ」と。

こう、声をあげて泣いていたら
はっ!と幼き頃の一場面を思い出しました。
それは、私がかつて体調不良だったときのことでした。

幼い頃、私が体調を崩すと
母は私を叱責しました。
「なんで病気になったの!?お母さんが大変になるでしょ!
病院に連れて行ったり、布団を敷いてあげたり、大変なのよ!もうやめてよね」と。

幼き頃の体調不良の私を思い出しました。
そして「ああ、そうだった」と
ソファの上で宙を仰ぎ
今度は、さっきとは違う涙が
はらはらとあふれてきました。

私は昔、具合が悪い自分、体調不良の自分が
母から怒られるのが、本当に嫌でした。
居場所を与えてもらえず
早く良くならなくちゃというプレッシャーが
怖くて寂しくて心細くてつらかった…
と思い出しました。

そしてそんな思いで生きていた
小さい頃の私を40代の私が思い出したら
たまらなくかわいそうで切なくて。

思わず「もう大丈夫だよ。そんなことないよ。
具合がよくなるまでゆっくり休んでいいんだよ」とぎゅっと抱きしめたくなりました。

そして今度は
小さい頃の私が、ほっとして
おいおい涙を流し始めました。

ひとしきり泣いた後
40代の大人になった私は決意しました。

もう、具合が悪い私に
「早く治れー!と絶対にプレッシャーをかけない」
「具合の悪い私を心からいたわる、休ませる」

母に言われて悲しかったことを
もう、今の私が私自身に絶対にしない。
そう誓いました。

「病気を受け入れる」ということは
体調の悪い自分をも嫌がらず慈しむこと。
何もできない自分にも居場所を与えてあげること。
「大丈夫だよ」と言い続けてあげること。

だって体調不良は
私が頑張って生きてきた証拠だし
身体からの「ちょっと立ち止まって」という
ありがたいメッセージ。

そんなふうに意識が変化してからは

痛みがある→薬を飲む。痛みを抑えて動く。

から

痛みがある→まずは休む。
      痛みのメッセージを受け取る

に変化しました。


なんかね…こうすると
ほっとする自分でいられるんです。

体調が良くなくても
「まあ、休めばいっか」くらいになってきて
いつの間にか、痛みが和らいでいることもあって
薬を飲まなくても大丈夫な時間が
増えているような気がします。


これまでは、自分に対しては
当たり前なことを当たり前なこととして
してこなかったんだなということに気がつく…

めっちゃ自分に対してパワハラしてたな…

そうは言っても、痛みのがまんしすぎも
自分への拷問にもなるので
薬に頼りつつ、生活していこうと思っています。

何事もバランスバランス(^^)

では皆さまもごゆるりと~☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?