「病気を受け入れる」とどうなるか
8月に入った頃から始まった体調不良。
今もってなんやかんやと続いており
低空飛行の日々ですが
なんとか生きています(笑)
頭痛からのぎっくり首、からのぎっくり背中。
そろりそろりと過ごしております。
そんな日々を経験し、一つ気がついたことがあります。
それは、本当の意味で「病気を受け入れる」
ということ。
☆
今までは、とにかく「体調不良」が嫌すぎて
早くなんとかしようと精一杯でした。
頭痛が起きないようにと
日頃から予防薬を飲み、
それでも痛い時には痛み止めを飲む。
肩こりがひどいからと鍼灸治療を受ける
とにかく「体調不良である自分」を
受け入れられなくて
そんな自分を変えたくて
日々、奔走するような感じでした。
「体調不良がない自分」となるように
頑張るのがご自愛なんだと思っていました。
でも、今回の体調不良は
何をやっても、どこの病院に行っても
誰に相談してもよくならない。
もう、どうしようもないところにまで
自分が追いやられ…お手上げ状態。
ある日、私は辛すぎて泣くしかなくて
年甲斐もなくおいおいと声をあげて
泣いてしまいました。
「つらい、つらい。頭が痛い。
なんでいつも私はこんななの!
もうこんな私は嫌だ」と。
こう、声をあげて泣いていたら
はっ!と幼き頃の一場面を思い出しました。
それは、私がかつて体調不良だったときのことでした。
☆
幼い頃、私が体調を崩すと
母は私を叱責しました。
「なんで病気になったの!?お母さんが大変になるでしょ!
病院に連れて行ったり、布団を敷いてあげたり、大変なのよ!もうやめてよね」と。
幼き頃の体調不良の私を思い出しました。
そして「ああ、そうだった」と
ソファの上で宙を仰ぎ
今度は、さっきとは違う涙が
はらはらとあふれてきました。
私は昔、具合が悪い自分、体調不良の自分が
母から怒られるのが、本当に嫌でした。
居場所を与えてもらえず
早く良くならなくちゃというプレッシャーが
怖くて寂しくて心細くてつらかった…
と思い出しました。
☆
そしてそんな思いで生きていた
小さい頃の私を40代の私が思い出したら
たまらなくかわいそうで切なくて。
思わず「もう大丈夫だよ。そんなことないよ。
具合がよくなるまでゆっくり休んでいいんだよ」とぎゅっと抱きしめたくなりました。
そして今度は
小さい頃の私が、ほっとして
おいおい涙を流し始めました。
☆
ひとしきり泣いた後
40代の大人になった私は決意しました。
もう、具合が悪い私に
「早く治れー!と絶対にプレッシャーをかけない」
「具合の悪い私を心からいたわる、休ませる」
母に言われて悲しかったことを
もう、今の私が私自身に絶対にしない。
そう誓いました。
☆
「病気を受け入れる」ということは
体調の悪い自分をも嫌がらず慈しむこと。
何もできない自分にも居場所を与えてあげること。
「大丈夫だよ」と言い続けてあげること。
だって体調不良は
私が頑張って生きてきた証拠だし
身体からの「ちょっと立ち止まって」という
ありがたいメッセージ。
そんなふうに意識が変化してからは
から
に変化しました。
なんかね…こうすると
ほっとする自分でいられるんです。
体調が良くなくても
「まあ、休めばいっか」くらいになってきて
いつの間にか、痛みが和らいでいることもあって
薬を飲まなくても大丈夫な時間が
増えているような気がします。
これまでは、自分に対しては
当たり前なことを当たり前なこととして
してこなかったんだなということに気がつく…
めっちゃ自分に対してパワハラしてたな…
そうは言っても、痛みのがまんしすぎも
自分への拷問にもなるので
薬に頼りつつ、生活していこうと思っています。
何事もバランスバランス(^^)
では皆さまもごゆるりと~☆