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2O24.O9.27 わたしと本のあれこれ6 ばあちゃんとわたしの鬱


『鬱の本』
点滅社編集部

先日、ばあちゃんと2人で北海道ツアーに参加した。ばあちゃんと一緒に旅行に行くのは5年ぶり。近頃は電車で30分の都会に出ることさえ嫌がっていたので、さいしょに話があがったときは「ほんとに行くのかな?」と話半分に思ってた。でもちゃんと北海道の地を踏んで帰ってきた。それも登別、函館、小樽と、3ヵ所も。おいしいものを食べて、壮大な景色にふれて、たくさんお土産を買って、3泊4日の大充実な旅だった。

三姉妹の真ん中のわたしは、三人のなかで一番ばあちゃんっ子だと思う。月に一度はバスにのってお出かけし、お昼ごはんを食べて帰ってくる。近場でランチすることもあるし、わたしがばあちゃんちでごろごろさせてもらうだけの日もある。

わたしは人の家で寝ることが大の苦手だ。人の気配や部屋の匂い、身のおさまり方みたいなのがわからず、寝ようとすればするほど目がらんらんとしてくる。なのにばあちゃんのベッドに横たわるとあっというまに寝落ちるから不思議。ばあちゃんこだわりの愛用枕と軽い布団のおかげなのか。いや、ばあちゃんの人柄、それに対するわたしの無意識のうちの信頼・安心のおかげだと思う。目が覚めると頭の上でレースのカーテンが揺れて、リビングからテレビの音が聞こえてくる。その音の方へ起きてゆくと「もう帰り」と言われるので、まだまだ寝れそうな体をずるずるとひきずって「またね」と言ってバイバイする。

そんなばあちゃんとの関係は、わたしが高校を不登校になったことをきっかけに始まった。ばあちゃんとはそれまでは正月の集まりやたまの家族での外食で会うだけだったのだ。不登校と言っても復帰する気は、ほとんどゼロに近かった。かかりつけの精神科で「君はいったいどうしたいの?」と困った顔で先生に訊かれたとき、「ああ、自分は今どうもしたくないんだな。なにも決めずに、こうやって悩んだりぼんやりしてたいんだ」ということに気づいたのだった。でもしかし、日中ずっと家に引きこもってばかりなのは罪悪感と焦燥感で体にますます悪影響だと感じていた。でも活発に動けそうにもなくて、そんなときに、自宅から5分のばあちゃんちの存在を思いだし、頻繁に行くようになったのだと思う。

『鬱の本』は、いろんな有名な作家さんが、「鬱のときでも読める本」について綴っている本。山崎ナオコーラさんや、こだまさんなど好きな作家さんが多いのは嬉しいのだけど、なぜ坂口恭平さんが参加していないのだろう……と、そればっかりが気になる本でもある。

わたしは、あまり「鬱」とひとくくりには呼びたくないのだけど、比較的精神が深く沈むときは、なかなか本を読む気にはなれない。でもはい上がって浅瀬まで来ると、江國さんの本をぱらぱらとめくることができる。

旅行して普段と違う経験をすることもまた、風通しになって効果的なのだそう。そう考えると、わたしにとってばあちゃんは、旅に近い。パワフルでぶれない芯と個性をもっているばあちゃんと接すると、なんだか異文化、という感じ。普段とはちがう気分を味わえるのだ。常識にとらわれず、「思うまんまに」を体現している人。でもそれだけじゃなく、気配り屋さんで繊細な一面もあると最近ようやくわかってきた。人ひとりを知ることは、1トンの塩をなめることに値する。ほんとにそうなんだろうなあ。

次はどこへ行こうかな。ひとりでも日本のあちこちに行ってみたい。

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