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小説【間法物語】7 人が「判断」するというシステム。

【間法物語】
日本語人が古来より持っている「魔法」がある。 それは「間法」。
「間」の中にあるチカラを扱えるようになった時、「未知なる世界」の扉が開かれ、「未知」は、いつしか「道」となって導かれていく。

「間法使いへの道」を歩き始める僕の物語。
【PROFILE】
イエオカズキ 「間」と「日本語」の世界を探求し続けるストーリーエディター。エッセンシャル出版社価値創造部員。

これまでの「間法物語」はこちら↓


『魔城』のシステム管理下にある人間のアンテナは、外側を向くようにセットされている。

彼らは、決まってこう言う。
「だって、外に何があるかわからないんだから、とっても不安でしょ。」
彼らは、外側に充分気を配り、他人に十分心を配り、世間に存分音を配り、自然に幾分目を配っている。

周りの噂話に耳を立て、仲間外れにならないように鼻を利かせ、甘い汁を求めて味を確かめ、問題を起こさないように口を閉じている。

『魔城』のシステムでは、判断や審査は、本人ではなく、他人がすることになっている。
評価や採決は、自分ではなく、他者がすることになっている。

まず、他人が決めるから、自分が決められる。
まず、自分が決めないから、他人に決められる。

「られる」・・・これは、魔城システムに支配された人々に埋め込まれた『暗号L/R』と呼ばれる記号である。別名、『レフト・ライトの法則』とも言われているが、『ラリルレロ』という音のバイブレーションに、どうやら関係があるらしい。

『魔城』のシステムが侵入してから、不安の意味がどこかで摩り替わってしまった。そもそも、「不安定」のことが不安と呼ばれていたのに、いつしか、「不安心」のことを不安と呼ぶようになってしまった。

安定と不安定の先には、常に「安心」があった。
安心は常にあったから、心が不安になることはなかった。
安心は、あるかないかという尺度で測るコトバではなかった。
安心は、強いか弱いかという尺度で測るコトバであった

強い弱いはあるにせよ、いつも、安心は安心ということである。

安心は常にある。だから、『不安になる』のではなく、『不安とある』のである。

この繊細で微妙な違いを、バランスジェネレーターは駆使する。
「ある/なる」・・・これは、バランスジェネレーターに授けられた、「A/Nコード」と呼ばれる記号である。

15歳になった頃、サッチャンと話しているときに、サトルは、自分の頭の中にも、『魔城』のシステムが、シッカリ入りこんでいることに気づいた。

その日は、雨が降っていて、何となくモヤモヤしていたサトルは、外にも出たくないし、といって本も読みたくないし、珍しくテレビを見る気にもなれないし、何となく家で、時間をもてあましていた。ゴロゴロと横になり、薄暗い雨空をボンヤリ眺めながら、サッチャンに話しかけた。

「もしもさあ、友達がいなくなったとしたら、不安じゃない?」
「不安だね。」
「やっぱり、困るよね、もちろん。」
「全く困りはしない。どうして困るの?」
「そりゃあさ、独りぼっちになるし、一人じゃ人間は生きていけないからさあ、かなり、つらい日々だよ。嫌だなあ、そういう状況。」
 「それはさ、困るの?つらいの?嫌なの?どういう順番?」
「うーん・・・」
「困るって、どういう意味?」
「困るって、つらいってことだよ。やりにくいっていうか、うまくいかないっていうか。」
「つらいって何? うまくいかないって何が?」
「つらいってさあ、ココロが痛いっていうか、凄くガッカリするっていうか、キツイっていうかさ。」
「どうして、つらいと困るの?」
「だって、嫌じゃないかあ。そんなつらいことが続くなんて。」
「つらいことが続くと、どうして嫌なの?」
「嫌だから、嫌なんだよ。」
「嫌って、何?」
「すごく気分が悪くなる感じだよ。」
「どうして、気分が悪くなると、嫌なの?」
「サッチャンは、気分が悪いのが、スキなわけ?」
「そもそも、悪いって何?」
「好くないと言うことだよ」
「じゃあ、よいって何?」
「うーん」
「サトルは、同じ物の表と裏の話しか、さっきからしていない。同じものの表側を見て、好きと言い、同じモノの裏側を見ると、今度は、嫌いと言う。」
「どういうこと?」

もうすっかり、サッチャンのペースにサトルは飲み込まれている。

「ここに100円玉がひとつある。表が出ると勝ち、裏が出ると負け。自分で決めた環境設定なのに、サトルは、表が出ると喜び、裏が出ると気分が悪くなる。まあ、これがゲームだということをわかっているんなら、気分が悪くなったり、良くなったりすること自体を楽しんでいるんだろうから、まあ、そんなに深刻な話じゃない。
だけど、サトルは、『裏が出ると負け。裏だと気分が悪い。』と、自分で決めておきながら、本気で気分が悪くなったり、機嫌を損ねてみたり。自分の決めたゲームのルールによって、自分のエネルギーをすっかり吸い取られている。『ルールに従う、ルールで遊ぶ』というルールを自分で決めていながら、『ルールに従わない、ルールに振り回されない』という選択肢も取れることに関しては、自分で決められない。ルールを作ったことは覚えているのに、ルールを変えられることは忘れてしまっている。ルールを自分で決めていながら、そのルールに自分を縛りつけている。」

『どちらが勝ちか』というルールにするのではなく、『どちらも価値だ』というルールにする。

表が出ると嬉しい、裏が出ると楽しい。表が出ても、裏が出ても、価値。
ルールを変えてしまえば、本気で困ることはないのに、なかなか、そうはうまくいかない。

「どうして、そんなことになっちゃうんだろう?」
「これが、ルールという中に組み込まれている魔城システムの『暗号L/R』だ。『100円玉の表と裏』という次元で止まってしまうから、このシステムが作動し始める。このシステムから脱出するための鍵は、視点なんだ。例えば、表と裏を合わせて、『ひとつの100円玉である』という視点に、支点を移してみる。すると、『100円玉がある』と『100円玉がない』という新しい次元が浮かんでくる。」

このあたりの話が、サトルには楽しくてしょうがない。

『次元』は、『時限』であり、時間の限定ルールという、システムの謎を解くための大きなカギを握っているからだ。『次元』は、『字源』にもなり、コトバのはじまりの秘密も、次元に隠されている。

「『100円玉がある』ことが素晴らしい。『100円玉がない』ことが素晴らしくない。と別途ルールを固定してみれば、表だろうが裏だろうが、100円玉があることは素晴らしいのだから、表が出ても嬉しいし、裏が出ても楽しいんだ。」

「見方は、味方だ。」

これは、サッチャンに何度となく教えてもらった、大切なコトバだ。
見方は、三方でもある。
双子の兄弟には、必ず母親がいる。
そして母親を見つければ、その隣には父親がいる。
母親には、必ず両親がいて、父親にも、必ず両親がいる。

こんな当たり前のルールが、実は、コトバにも当てはまる。

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「コトバは生命だよ。だから、コトバは、姓名を持っている。」
それは、そのとき、サッチャンがはじめて教えてくれた、重要なコトバだ。そのコトバの意味を、サトルは今でもずっと、噛みしめている。





(つづく)

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