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ニート生活4

友達と遊んだ帰り、夜道を歩きながら「あの発言は良くなかったなあ」とか「どうしてあそこであんな態度とっちゃったんだろう」と後悔することがよくある。というかほとんど毎回そうだ。
そしてその後悔がとても大きい時、信号の無い交差点を左右確認せずに渡ってみたりする。別に本気で死ぬ気があるわけではないが、死んでもいいやとすら思っていたりすることもある。

僕は幼少期から、人との関わりが最も重要だと考える節がある。社会のルールやモラルを無視してでも、今一緒にいる人、大切な人との関係性を守ろうとする癖が心と体に刻み込まれている。
でも、最近それが本当に正しいことなのかと不安になる。

人との関係性は生きていく上で大切である。それは間違いないだろう。でも、これを「一番大切なこと」として据えるのはなんだか危険な気がすると最近思うようになった。

人間関係が豊かであれば、少なくとも人生は楽しくなると思う。気の合う仲間と美味しいご飯やお酒を共にするのは何にも代えがたい楽しみの一つだ。
その一方で、人との関係性というのはかなり不安定なものでもあると思う。長い時間をかけて丁寧に構築しても、ちょっとした言葉の綾であったり、少しのすれ違いなんかですぐに壊れてしまう。

つまり何が言いたいかというと、人間関係というめちゃくちゃ切れ味の良い諸刃の剣をメインの武器にしているのが怖くなった、ということだ。

そこで、僕はこの危険な諸刃の剣に代わる、メインの武器を製造しようと重い腰をあげた。

まず設計書を書かなくてはならない。そこでは、材料(今までは人間関係)は何を使うか、どのような形(今までは諸刃の剣)にするか、そして切れ味をどの程度にするか(その武器で人生をどれだけ豊かにできるか)、を僕としては決めたい。
切れ味はもちろん、今メインで使っている諸刃の剣と同じくらいにしたい。
そして形はもちろん日本刀だ。日本、好きだし。刃、片方だけだし。

ここまではスムーズに決まった。
だが、一番肝心の材料が全く決まらなかった。今までの21年の人生で、「人との関わり」に匹敵するほどの自分の生き方へのこだわり、大切なものを見つけることができていなかった。
金をとんでもなく大量に稼ぎたいと思えるわけでもなければ、今までやってきた楽器を人生かけて極めたいとも強く思えない。
つまり、空っぽなのだ。
言い換えれば、人に寄生して生きてきたということなのかもしれない。


うーん。僕はこれからも危険な剣を肩に担ぎ、車に轢かれても別に良いやと思いながら交差点を渡らなければならないらしい。


そういえばこの前、新宿で迷子になってる小さい子供を救出した時、自分にもし子供ができたら、その子が生き甲斐になるのかもな。と柄にもなく感じてしまった。でも、やっぱりまだ21歳。自分のために生きたい。んーーーー。


あ、この前読んだ、金原ひとみの『蛇にピアス』がこの虚無にとっても近かったです。似たような虚無が心にある人は是非一読を。

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