普通の葦も、考える葦も、風に揺れる。
後悔がある。
それは、大学で経済学科を選んだことだ。
僕は、地元の県で2番目に偏差値の高い高校に通っていた。
中学校ではそれなりに勉強していたし、ラストスパートで体を酷使しすぎて、卒業式で倒れてしまったほどだ。
そこまでして入った高校。入学直後は、筋骨隆々スポーツマンのようなモチベーションで勉強に励もうと思っていた。
しかし、そんな一時の心意気も、己の奥底に眠る本性に淘汰され、僕は二ヶ月ほどで勉強をやめた。
もちろん成績はガタガタ下がった。高校二年生の時に初めて行った塾で、君は本当に○○高校の生徒なの?とガチの訝しげな表情で訊ねられたこともあった。
勉強をしなかったのは言わずもがな、興味がなかったからだ。
でも僕には以前書いたように「立派」にならねばという強迫観念があったから、潰しが効きそうな経済学科を選んで受験した。
幸か不幸か合格し、酒の飲み方とタバコの吸い方しか学ぶことができないまま、大学生活がもうすぐ終わる。
何がもったいないかって、高校で自分の学びたい分野を見つけていたにもかかわらず、「立派」の強迫観念に負けて興味のない経済学科に入ってしまったことだ。
(この「立派」の定義は、『ニート生活5』に記載してあるので誤解なきよう)
僕は哲学が学びたかった。
カントの「コギト・エルゴ・スム」には痺れたし、ニーチェの「永劫回帰」の考えには救われた。
とりわけ「倫理」の点数には目をみはるものがあった。
この学問に興味があることは明白だった。でも選ばなかった。
もし哲学科を選んでいたら、先代の知恵を借り、自分の中の様々なトラウマと上手く向き合えていたかもしれないし、学校に行くのが嫌じゃなかったかもしれない。大学にサークル以外の友人ができていた可能性だって否定できない。
そして何より、4年生前期終了時点で、10単位以上足りないなんていう悲劇には陥っていなかったかもしれない。
ちなみに、4年生になった今も、スペイン語の単位が2個足りていない。
単位はどちらにせよ足りていない。