編集者として日本中の庭を訪ねた話
編集プロダクション時代、庭の本を担当していた。草木の栽培に重きを置く園芸ではなく、園路や門塀の造作物、木や植物の配置を形づくる造園の本だ。「すてきなガーデンデザイン」というその本では、全国のガーデンデザイナーがつくった個人宅の庭を紹介していた。春と秋に、カメラマンと一緒に取材に出かける。主に、東京・神奈川・千葉など関東近辺が多いが、出張に行くこともあった。カメラ機材をたくさん積んだパジェロに乗って、全国の庭をめぐる旅に出る。
庭は自然と人との境界にあり、自然観をあらわす
庭というと、花壇や芝生の庭を思い浮かべる人が多いかもしれない。でも、それは庭のほんの一部分でしかない。庭というのは、自然と人間との境界に位置する。何を自然とするか、人間とは何か。自然観・人間観の違いによって、国、地域によって庭の形は異なる。庭はつくった人それぞれの思想を反映している。自然を敵と考えるのか、味方と考えるのか。征服するのか共存するのか。それは、ガーデンデザイナーがつくった庭も、個人がつくった庭も同じだ。
私が「すてきなガーデンデザイン」を担当した2000年代初めは、空前のガーデニングブーム。バブルはすでに崩壊していたが、まだ名残りが残っていたように思う。1997年にガーデニングが流行語になり、個人で庭づくりを楽しむ人が急増。ガーデンの本が多く出版され、自宅の庭をプロに任せる人も増えていた。バブル以降、個人宅の庭は、従来のような松を使った和風だけでなく、レンガや芝生の洋風が人気を集めていたが、ガーデンデザイナーの登場で、庭のデザインが一気に多様化する。
すべてに意味がなければデザインとはいえない
野山のような庭をつくるガーデンデザイナーがいた。その人がつくった住宅街にある庭を訪ねると、滴るような濃密な緑が迎えてくれる。漆黒の鳥海石の水鉢は苔むして、水面には青紅葉の影が映る。その人が庭に使うのは、雑木(ぞうき)と呼ばれるモミジ、シイノキ、エゴ、シデ、ナラ、コナラ、クヌギなど、日本の野山に自生する広葉樹だ。「雑木の庭」は、昭和初期、飯田十基を創始者としてはじまった自然そのままを庭に作り出す様式。当時のガーデニングブームで再び注目されていた。彼が作る「雑木の庭」の原風景は、趣味の川釣りで訪れる伊豆の山河だ。川の曲線、石の配置、森に生える木に庭づくりを学んだ。「すべてに意味がなければデザインとはいえない」とその人はいう。川の両脇に生えている木がまっすぐなのはおかしい。野山では木は、川に向かってせり出すように生えているからだ。それをふまえて庭の水場がデザインされている。
別のガーデンデザイナーも、意味のないデザインを「フリル」と呼んで嫌った。同じ「雑木の庭」でも、彼の庭は、木と下草の間に風が通り抜けるような空間がある。登山が趣味の彼が思い描く風景は、高山帯と里山の中間にある疎林の状態。木々がまばらになり、すがすがしい空間が広がる場所だ。彼が暮らす八ヶ岳の山麓には、そういった雑木林が残っていた。手作りの小さな木のアトリエを訪ねると、畑で自給自足した野菜でディナーをふるまってくれた。そこで、聞いた庭づくりのエピソードがある。ある人の庭を頼まれ、現地を訪れたガーデンデザイナーは、庭を見るなり、言った。「あそこの木を一本抜きましょう」。そして、その庭は完成したという。庭の背景は森だった。庭に植えた一本の木が、その景色を邪魔していたのだ。彼はちゃんとデザイン料を請求し、施主も納得していたそうだ。
フランスやイギリスの庭を日本の植物で表現するガーデンデザイナーもいた。和の設えを現代風にアレンジしたり、まるでアートのような庭もあった。インテリアの延長で庭をデザインする人もいた。
日本中の庭を巡り、ガーデンデザイナーや施主の思いを聞く。元々庭は好きだったが、私の庭を見る網の目はますます細かくなり、一つの石、一本の花の意味を知った。
森と一体になった庭で哲学する不思議なおばあさん
しかし、ガーデニングブームが続くとハウスメーカーが相次いでガーデン部門を新設し、次第に、画一的な庭も増えていった。そのころに、私が興味をひかれたのが一般の人が手作りしている庭だった。荒れ地に白樺を植え、巨岩を運び込み、手作りした服飾職人の庭。老夫婦が若いころ植えた枝垂桜の下につくった花の回廊。霧の中に濡れそぼつ伊豆高原のペンションの庭。忘れられない庭はたくさんあるが、私にとって特別な庭がある。
その庭は、十枝の森という。そこには、不思議なおばあさんが住んでいて、森の木々を先生に哲学をしていた。十枝家が代々暮らした敷地には、小さな東屋が残っていて、そこにおばあさんがひとりで住んでいた。東屋のまわりには少しの庭があり、まわりはうっそうとした森で囲まれている。
一目でほかの庭とは違った。庭と森が溶け合っているのだ。モミジの下にシュロが伸び、立ち枯れた松の代わりにヤツデの若木が生えだしている。植生も雰囲気もばらばらの草木が混然となって独特の景色をつくっていた。
おばあさんは、畑で家族を養いながら、なぜ生きるのか、人間とは何かと考え続けて、年をとった。取材を受けるのがはじめてだったおばあさんは、どこか私を試している風だった。私にクッキーの缶から取り出したショートホープをすすめ、庭では山椒の葉をかいでみろと言う。慣れないタバコに顔をしかめた私を見て、声をたてて笑った。
「わたしは森の狸よ」とおばあさん。森には門も塀もなく、いつでもだれでも訪れることができた。街灯はなく夜は真っ暗になる。恐ろしくないですか?とたずねると、「その方がいいの」と言う。
暗ければ人は恐れて入ってこない。闇が自分を守ってくれる。ここにいて、お月さまとお星さまが友達。だから最高よ。
十枝の森が、私の庭を巡る旅の終着点になった。それからしばらくして私は編集プロダクションを辞め、ガーデニングブームも終わった。数年後、「すてきなガーデンデザイン」は休刊になったと聞いた。おばあさんももう森にはいない。
庭を巡りながら、私は結局のところ、そこに込められた人の思いを辿っていたように思う。人の心の森に分け入り、その人の庭を少しだけのぞかせてもらった。子ども時代のこと、祖父母の思い出、育った場所、好きな映画、絵画、音楽…その人が好しとして世界から選択し、ひとつひとつ集めてつくった小さな庭。深くて豊かな森。
庭ははかない。庭の主がいなくなれば、花は枯れ、木は伸び放題になり、庭はたちまち消えてしまう。庭は人そのものなのだ。
今、私は庭をつくっている。小さな森と水場と枝垂桜のある庭だ。いつか私の思いを辿る人が現れたら、庭に生えた山椒の葉でもかがせて、からかってやろうかなと楽しみにしている。