mother’s history No.47 保母さんになりたい。
保母さん。理想の仕事に目覚めたのかな。
理想は高く、夢は広くと誰かが言ったっけ。
その調子、その調子。
12月9日
私は、将来保母さんになりたい。保母さんは歌えなければならないと、聞いた。しかし、歌えなくてもよい保母さんもきっとあるに違いない。
子供をほったらかしにして、姿をくらました親はにくい。しかし、子どもに何の罪があるというのだろう。そんな子供たちの世話をしたいのだ。
16歳の気まぐれな同情心、そんなことも言えないではない。でも、とにかく私はやりたいのだ。目の見えない人、口のきけない人、足の不自由な人はこの世の中に何人もいることだろう。私は、そんな人達を励まし、よく世話をして上げて、出来る限り明るく過ごさせてあげたい。
洗濯や掃除でも美しく、気持ちよくしてやり、食事もできるだけ美味しいものを、食べさせて上げたい。
私は、結婚なんてしなくてもよい。
四十歳くらいで、孤児院の院長先生になりたい。そして、みんなを親のいる子以上に明るく、朗らかで、かしこく育ててやるのだ。
でも、こんな事は夢だ。
私にはできないことだもの。
親に、この日記を書いている途中に、机の上で居眠りしてしまった。全然勉強しないで、今、朝の五時半ほんとうに芳美はばかだ。これからは、うんと勉強して保母さんになれるよう心がけよう。
なれなくてもうんと仕事をして、そのお金を孤児院に送る、何とすばらしいことだろう。
父が、福井へ行きサボテン、造花(カーネーション)、コーヒー茶わんを買って来た。