mother's memory No.5 中学一年これが最後です。
中学1年の生活は、以上で終了します。
なお、引用文のなかに多少意味の分かりづらい方言が入っていますが、原文どおりりのため、何卒ご了承をお願いします。
次回からは、中学3年の生活を追っていきます。
中学2年の mother's history No.24 の続きとして投稿してまいります。
引き続き、御愛読下さいますようお願いします。
有り難うございます。
七月三十一日
久しぶりに、私一人でそうじをした。いつもは、父か母がしているのだ。
はたきをかけて、きれいにはいて、縁の板をみがいたはいいが、私自分でどういう風のふきまわしかわからなかった。
外まではいて、水をまいたりした。
兄ちゃんは、「何か、たくらみあるな」と言ったので、
「あるかも知らんは」と言いながら、縁をごしごしふいた。
八月二日
村の人たちと、海水浴で厨へ行った。五時三十分にバスが出発して、七時ごろに着き、まだすずしいので、岩の方に行き、そこにのぼったら、何とも言えない良い気分だった。
お昼ごろから、波が非常に強くなった。海藻を取りに、岩のたくさんあるとこに行ったら、男の人が「写真写しておっけま」と言ったので、私どうやるんか知らんやと言ったら、「おしえてあげるで」と、言ったので行って写してあげた。
はじめは、女の人と並んで写して、二回目のときは、肩 くんでいた。
おかしかったが、わらうときりがないからにこにこしている時に、写してあげた。
いいもんに写っているといいけど、腰から上だけしか写っていないかもしれない。
八月三日
陽に焼けて、朝から肩のあたりがひりひりする。
友達に会うと「だいぶ、ひやけしたわ」とか、「なんて、ひにやけたんにゃと」と言う。全くいやになってしまう。
妹なんか、毎日水浴びに行ったりして、とんで歩くからまっ黒に日焼けしている。
八月五日
八田のお寄りで、妹九時ごろ出かけて行った。母はパーマかけに行き、帰りにスイカを買って来た。その間に、兄ちゃん母のバンドを自分の腰に合うように、きりで穴をあけ、西田中へ母のバンドをして本を買いに行った。
ついでに私の本も買ってきてもらおうと思って「中学時代、買うて来てっけま」と言ったら、「前に、英語のいい本が売っているさけ、買うてきちやっさ」と言ったので百円わたした。
八田のふみちゃんが、「よしみちゃんとおばさん、早くきとっけって」と言いに来たので、母だけ行った。
私だけ、「はずかしいで、いかんは」と、言い「兄ちゃん、本買うてくるかな」と、思い思いか帰って来るのを待っていた。
だが、自分の本も買わんと、帰って来たので腹立った。
八月六日
織田へ、本買いに今度は私が行った。
織田の駅降りて、すぐ近くに本屋がある。「中学時代」は、なかなかなかったので、下の方までほじくり出したら、二、三冊重ねてあった。
どんな付録あるかなと、思って開いたが英語の基本だったり、二月期の学習やら、そんなのだった。それをもらってから「蛍雪時代と言うのはない」と、聞いたら「さあ」、と言っただけなので、ないのならと思って出てしまった。
八月十二日
もう少しで、お盆だ。
妹と二人で、お墓そうじに行き、草ぼうぼうになった所を刈った。「アイタッ」と、思った時にもう左の人差し指を切ってしまった。
びっくりして、家に走って帰って、母に見せたら「なんやね、こんなあさいのに、おおげさな」と、笑いながら、くくってくれた。
「かすな、深かったんにゃの」と、言ってまたむしりに行った。
八月十三日
お昼から、「路傍の石」という本を読んでいたら、郵便やさんが小包を持ってきた。
北海道の、おばさんからだった。
さっそくあけて見ると、木の派手な箱から昆布にまつわった羊かんが出てきた。
これは、北海道の名物だそうだ。
八月十四日
みんなで、お墓参りに行った。
このお墓は、父の親の墓だそううだ。南のおじさん声を出してお念仏を唱えている。
おせんこう、ろうそく、お花でとてもきれいだ。
父ちゃんの、お父さんどんな顔していたんかなと、思った。
八月十五日
兄ちゃんの友達男性二人、女性三人合計五人が遊びに来た。
みんな、兄ちゃんと同じ年でないみたいだ。
男の子は、毛を伸ばし、女の子はかすな良い服きて、かがとの高いサンダルをはいている。
家が小さいから、私ら邪魔になると思って、お宮さんに行っていた。
兄ちゃんは、大きな机を出してきてみんなで話をしている。暑いのにお使いにだけ行かされて、とてもおもしろくない。
八月十六日
父も兄も、会社は休みで家にいる。
ふみちゃん、大きなスイカと、ぷんぷん匂ううりとをもって来ておっけた。
お昼から、映画見にいった。
『かあちゃん、しぬのいや』は、みんないい映画やったのと、いっていた。
八月十七日
父、武生へ行って、兄の回転イスを買ってきた。机の前においたら、私のイスがとても貧弱に見えた。
すわって、ぐるぐる回して見て走っていた。
母は、なんか言おうとしていると、
兄は、「テレビなんて、見んと勉強しろう」と言っては、先回りするので、大笑いをした。
八月二十三日
兄、日赤病院へ入院した。
母も、付き添っていく。兄は、「こんな大きい荷物もって入院しるって、へんやね」と、笑っていた。
いつも、からかわれているけど、こんな時になると、かわいそうになる。
一日、妹と二人でるすばんだ。つくづく親のありがたさがわかる。
八月二十四日
ちいちゃんどこの、蔵建てでとてもにぎやかだ。見る間に見る間に 立ち上がっていく。
母やっと病院から、「もうくたくた」と言って帰ってきた。
お土産のブドウを食べながら、兄ちゃんの様子を聞いたところ、ほっぺたがプーと膨れ上がり、熱がたくさんあって口のまわりのやわらかい所へ注射打つときなんか、油汗がにじんでいたと、いっていた。
兄ちゃん、やせているで、ふとったように見えていい男になったやのと、聞いたら「かたいっぽだけごつごつで、もうかたぽは鼻のしたの所、ポコンとふくれているで、ぺこちゃんみたいやわ」と、言っていた。
日記を書いていると、ちいちゃんどこで、さかもりしているらしく、音痴の声を張り上げて歌をうたっているのが、聞こえてくる