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mother's history No.22 (追補) まだ、未来が見えないんですけど。😢

別の日記が少し見つかったので、追補として紹介します。
日付が、若干戻りますがご了承下さい。

よく、留守番とか食事の用意をしている様子が書かれています。
手伝いが好きだったようです。
人の行動を良く観察しているのには、感心します。
興味があったのでしょうね。
ちょっとした表現を、笑いで締めるところは憎いです。
次回は、最終回です。


6月12日
夕方、テレビを見ていたら兄がカバンの中から一冊の本を取り出して来た。
「はい、芳美」
と、その本を私にくれた。私は、何のほんかなと思ってこの本を取ったら、表紙に『三段式 英語問題集』と書いてあった。
「うわっ、私こんな問題集一冊ほしかったんにゃ」と言った。ぺらぺらまくっていたら、プーンと本のしんせんなにおいがした。この問題集にはならったばかりの過去や過去進行形などの問題がでていた。
こんなよい本を買ってもらって、もう少し勉強しなければ悪いような気もした。

6月14日
夕方、雨がしょぼしょぼふっていたけれど、つつじのさしきを30本植えた。このつつじは、学校でみんながもらったので、この中の10本は根がついたらまた学校へ持って行く。
母に、「このつつじ、どこへさしきしておこうかな」と聞いたら、
「瀬戸のゆりや、つつじがたくさん植えたるとこがよさそうやね」と言ったので、せどへ植えることにした。
そこは、校長先生が言ったとおりのとこで、じめじめしていてかげの所だ。でも、母が
「このさしき、この夏こすかな」と言ったので、私は
「なつになったら、毎日夕方水やるかあ」と言ったら
「また、芳美の日記のように三日ぼうずでしょ」といったので、
「フッフツ」と笑った。

6月15日
今日は、私のしょう来を考えた。まだ私にどうしようかと、まよっていてなかなか決められない。こんなことでは、現代の世の中に生きているのおかしいと思う。私は、昔の女の人のように希望にもえていないのだろうか。
寝しなに「明るい進路」って本を読んでいたが、私には合うようなのなんか一つもない。
「もっと勉強しとけばよかった」とか、「もっと背が高くなったらな」と、どっか不利な所が所々ある。私は、何をする人に向いているだろうか。

6月16日
もうだいぶ、ほわほわとあたたかくなってきた。
兄は、もう二階がむしあつくていやになったらしく、私のつくえのところへひっこして来た。私は、また妹の使っていたつくえにひっこしして、大いどうした。
はじめは、鼻歌まじりで整理していたけども、あとにだんだんいやになつて来た。
整理し終わった時は、とても気持ちがよく、早くすわってなにかしたいような気がしたので、日記を書いた。

6月17日
母が、八田や寺村の人たちといっしょに琵琶湖へ行った。とてもからっとしたよい天気で、私、とてもいそがしかった。兄も、山登りすると言って、同じくべんとうを作った。
私は、朝三時ごろ起きてごはんを焚いてあげた。
兄は、とてもおかしいたって、真っ赤なシャツをきていた。
母も、きものを着ながら、
「にろちゃんに、なってしまったわ」と言ったので、大わらいをした。
母は、朝の五時半に家を出た。兄は、六時十五分ごろ出た。私は、母のかわりにそうじをして、昼食や晩食を作って上げた。
兄は、七時ごろ帰宅話しによると、山のふもとの所で、高校三年ぐらいの女の子三人やいろいろな人が仲間にたくさん加わって、とてもにぎやかで楽しかった、と言っていた。帰りは、芦原の温泉に入って来た。おみやげをもらってしばらくすると、母も帰って来た。
母は、「ああ、つかれた」と、言っていた。
ひこねで、ひこねのおばさんに、おみやげをもらって来た。行く前にはがきで母が行くことを知らせてあったのだ。
母は私に、「子供が大きなったので、家にかえってもそうじはしてあるし、食事の用意もしてあるし、あつい風呂にも入れるし、おおだすかりやね」と、言っていたので、「そんなことねいけど」と、けんそんした。
ほんとうは、そう思ったんだけれど。


 

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