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mother's history No.8   勉強は、しなければいけないのだが。

資料調査の結果、これは中学2年のときものであることが分かりました。

よって、以下それを省略して、書いていきます。

1月3日
朝、私と妹は雪わりをした。
お昼の一時ごろ兄ちゃんがバイクに乗って福井帰って行き、そのあとすぐに、小さいほうの兄が同級会に行った。
午前中、キントンを作ったので、それも持って行った。八田のおばばが、おいもが好きだからだ。
兄ちゃんの同級会は、八田の店であった。
夕方、ちいちゃんどこのおばさんが来て、「昭久さん帰って来た?」と言って来た。なぜかな、と思ったら、ひろ子ちゃんが昨日晩から帰ってこないのだそうだ。だから、同級会にでもよその家から言ったのかな、と思ったらしい。
母は、「芳美が、大きくなってもそんなことしたら、ひっぱたいてあげる。
連絡すればいいのに」と言っていた。私はべつに、友達の家に、だまってとまってもべつに悪いとも思わない。
夜七時半ごろ、兄かえってくる。
おすしおみやげ。
                            (原文どおり)

1月4日
妹が母が寝ているのに、げかんにとことこと入って来て、大きな声で「アンテナ たおれているわ」と言った。あとで父が、しんけい痛でいたい足で屋根に上って、あんてなをなおしに行ったところ赤いぼうみたいなのを、ぼきぼきと折ってしまった。
家ん中で父は、ぶんかいしてなおそうとしたが、うまくいかなかった。おかげで、今日はテレビ見られないからさびしい。
ニュース
①兄、晩ごはん食べなかった。(ベビーフライの食べすぎらしい)
②プロパンガスが、なくなった。(あす電話をかけるらしい)
③私が、どうぶくをぬいはじめた。(いんきくさい ハブタイのきれ)
④今日は、テレビが見られなかった。(ああ、悲しい)
⑤スキーを、かぶての所から乗られるようになった。(妹にまけている)
 石段の所は、ころんでばかりいてのれない。
                            (原文どおり)

1月5日
朝、父アンテナを買ってきた。金七〇〇円なり。いらなくなった前のアンテナは三〇〇円でとるそうだ。午前中かかってとりつけたが、はじめジャミジャミしてなかなか写らなかったが、兄をよんできたりして、どうにか写るようになった。
妹(ズベ子)は、男の子(とくに大きな子)ばかりで、スハーをしている。「加代ちゃんではおもしろねいや、おそろしいおそろしいといって」と、云っている。私よりスキーはずっとじょうずだ。いちばんてっぺんから、スイスイと、すごい馬力で走ってくる。あきれたものだ。
わたしは、このごろぜんぜん勉強していない。一日で、テレビ二時間三十分、小説読む一時間、スキーが一時間、あとはフラリブラリ、勉強は〇分か三十分、これではいけない思った。
                            (原文どおり)

1月6日
父十三日ぶりに、会社に行った。しんけい痛がなおってきたらしい。
兄は、今日社会、国語のもぎテストを受けに行き、家には女性三人が残った。父がいると、とっても家が美しいのに私たち三人が入っている室は、きのうにくらべものにならない。
このごろ、妹と私は喧嘩ばかりしている。私が「性質があわない」と云うと、母は「それをあわさないといけないんにゃ」と、言っているるが、すごくにくい
お風呂の水くみで、母の用事についてなどもだ。このようではだめだな、と思っている。
晩の八時三十分ごろ、かみなりが鳴って、てい電した。やっさもっさして、やっと寝ようとしたら、電燈がついた。
九時に寝る。今日も何なく終わった。
そうそう今日夜のお料理は、私のテンプラあんまり喜ばれなかったけど。
                            (原文どおり)

役に立とうとしている姿が見えてきて、しおらしいと思う。でも、うまくいかない。姉の立場で、いろんなことが気になったのであろうか、母親のこと、父親のこと、兄弟のことなど。普通の家庭であり、ふつうの兄妹に囲まれた家であったのは間違いなかった。などなど、いくつかは想像の域を出ないが、次々生ずる葛藤と考えの違いなど、一番いけないのは勉強だった。
テレビの誘惑に、どうしても負けてしまう。
そうして常に、勉強勉強と呟いていた。でも、思うことと実践が結びつかなかったようだ。これは、この後もずーっと続く。希望の進路と勉強が果たして結びついたのか、今頃になって心配して読んでいる。
                          (ライターの感想)



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