mother's memory No.4 海水浴は定番のレジャーだった。
七月二十一日
母は鯖江へ行って、机の前へつるすみどり色のすだれを買って来てもらった。
夕方ごろ、母がどこかへ行った時、よその人が来なした。兄が机にすわつていて、私がおかってにいたら、
「芳美、よその人来なしたで出よな」と言ったので、「私もいやわ」と言って、開き戸から飛びたしてしまった。
やがて、「ごめんくだささい」と言う声がした。兄ちゃんは「はい」と言って、すなおに出て行ったが、あとから頭をポカンとなぐられたので、はらがたったので、「なんや、ばか」と、言おうとしたら、こっち見たのでしゃくにさわるけど、「なんや、いいこ」と言っておいた。
七月二十二日
この二、三日、兄は歯がいたいらしい。
おいしゃさん、診てもらって写真をとって歯になんかはめたらしいが、まだなおらない。
そのくせ、お菓子などをわけるときは、飛びついて行く。こんな大きくなってもやっぱり子供だなとつくづく思った。
父、ずっと庭の花なぶり、母は、妹の服をつくつている。私は、小説をよんでいた。
ほんとうに暑い。
七月二十三日
昼、料理の本に書いてあったコロッケを作った。肉のかわりにソーセージを入れてパン粉を買って来てしたのはいいけど、母ったらとても大きなコロッケを作ってしまった。
だから、中まで焼けていない。
私は、油に入れたのを揚げたが、なかなかもち上げられない。でも、兄ちゃんら、「においだけ、食べとくわ」と言っているので、はらがたった。
七月二十四日
父、武生に買い物に行った。ちょっと近くに行くのに年寄りのくせにズボンがこうの、服がああのと言うので、とてもおかしい。
買い物たって、遊びに行くようなものだ。
トマトやキュウリを買いに行ったのだ。
「私、小説の本買うて来てほしいんにゃ」と言ったら、「勉強の本さえろくに読まんのに、そんな本何読まれたりするか」と言った。
仕方がない、今度大きい兄ちゃんに言って、買うてもらうわと思って、もうせびらなかった。
今まで、まだ四、五冊しか買ってもらっていない。よその子らたくさん買うてもらっているのに、と思った。
七月二十五日
英語、習いに行った。
のぶちゃんといっしょに座って勉強していると、私はのぶえちゃんとはずっと後れていることが分かる。
うんと、勉強しておいつこうと思っている。
単語を少し、覚えてからテレビで英語をしているのを見た。
七月二十六日
テレビで、泳ぎの練習をしていた。
はじめ、顔をつける練習、それから水の中で目を開けていて浮く練習をしてから、いぬかきから泳ぎなどをしていた。
今度、海水浴に行ったら、してみようと思った。
七月二十七日
妹、久しぶりにはらたった。
それは、服のことでだ。私が浴衣を作っていたら、妹がとんで来て「これ私のや」と母に聞いたので、私が「ねえちゃんのじゃ」と言ったら、「ちがう、私のじゃ」と、言ったので、また、「おあいにくですが、ねえちゃんのです」と言った。
母が、「これ、きれが大きいで、秋代ちゃんには姉ちゃんの着ていたあれ上げる」て言った。すると妹は、「姉ちゃんら、いいんにゃ私らお古なんかいやわ」と言ったので、すこし可哀想になったので、「秋代ちゃんかって、テトロンのいい服作ってもろたやろが、姉ちゃんらもう学生服でしかどこも行かれんのじゃ」と言ったら、「ねえちゃん、靴買うてもろたや」と言ったので、しらん顔していたら、妹も遊びに行ってしまった。
なんて、女はたくさん衣装がいるんだろうと、つくづく思った。
七月二十九日
夕方、雨がパラついた。父、明日会社の海水浴だというのに、天候が心配だった。
八月一日から、父は鯖江へ行くようになる。
明日は、泊りがけで行く。
朝なんか、気もちがいいだろうな。
七月三十日
社会奉仕で、朝から母、妹といっしょにカマを持って出かけた。
中学校の女の子は、九人で東分校の近くのお墓や、そのほかいろいろの所をむしって歩いた。
小学校や、そのほかの子はお宮さんをきれいにした。
お昼の二時ごろ、父海水浴にいそいそとお出かけ。
母、村の人といっしょに行く。
海水浴までに、三枚の服を作らないといけないので、忙しそう。