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いつ人は「墓石にしょんべんをぶっかられるか」【完璧】

先日「どういう状況になれば墓石にしょんべんをぶっかけられるかな」ということを一人で散歩しているときに考えていまして、実は案外ぶっかけることが出来たので共有です。

ここはパターンごとに考えてみることにします。

パターン1「墓石の下に親が眠っている場合」
→無理でしょ。
これはあきまへんね。
正直な所私は親を一ミリも尊敬していなく好きでもないですが、これはどうにも気持ちが嫌です。
まずこれは無理。

パターン2「墓石の下に他人が眠っている場合」
→無理でしょ。
別に誰がとかそういうんじゃないんですよねこれ。
そもそも墓石にしょんべんをぶっかけたくない。
墓石にしょんべんをぶっかけたいほど憎んでいる人も居ないですし、なんならそれほど憎いならそいつが生きているときに直接ぶっかけたほうが良いに決まっています。
亡くなったから何も出来ないのを良いことに、墓石にしょんべんをぶっかけるなんて卑劣です。
もっと正々堂々と墓石にしょんべんをぶっかけるべき。

パターン3「墓石の下に何も埋まっていないと確定している場合」
→悩むけど出来ないですね。
ただ私は気持ち的に少々嫌ですけど、ここらへんから人によっては出来るかも知れません。
そしてこれは「万一人に見られていたらどうなるだろう」という危機感もありますね。
しょんべんをぶっかけながら「いやいやこれは下に誰も入っていなくて」と弁明するのはあまりにも憐れです。
ふむ、となると次のパターンは決まってきます。

パターン4「墓石の下に何も埋まっていなく、そこは完全なるプライベートゾーンな場合」
はたしてどういう状況かわかりませんが、そこは自分しか居なくてかつ自分は墓石の下に何も埋まっていないということを知っている場合。
もちろんそれは墓石ですので「○○家の墓」とも書いていますし、昔は誰かの骨の上に立っていたかも知れません。
さきほどの発展型ですが、やはり私は考えれば考えるほど出来ません。
やはり人は墓石に「何かしらの感覚」を持っているのかも知れません。
形が墓石じゃなきゃ野良の石です。
私は遠慮なくぶちまけます。

ですがもっと「墓石にしょんべんをぶっかけるべき」という理由が無いと墓石にしょんべんはぶっかけられません。

このあたりです。
このあたりで私のウォーキング妄想は調子に乗って私を遠くにつれてっていくのです。

パターン5「墓石にしょんべんをぶっかけるのが文化な国に旅行に行った場合」
→これはぶっかける。
さてこれです。
文化ならどうでしょう。
そこは当たり前のように墓石にしょんべんをぶっかける国。
そこかしかに「公衆墓石」が置いてありますし、デパートの1,3階には「男性用墓石」2,4階には「女性用墓石」が置いてあります。
これだったらぶっかける派閥がかなり多数になるのではないのでしょうか。
「いいやオイラは墓石にしょんべんをぶっかけることなんて出来ないね」という変わった輩はそこらで立ちしょんべんをして、現地の警察に「こら! 墓石にしないとダメだろ!」と怒られます。
現地の警察に怒られるのは怖いので、私は現地の人の横にならんで墓石にしょんべんをぶっかけますね。

まとめ
さていかがでしょうか。
私は何も「墓石にしょんべんをぶっかけようぜ!」と運動をしているわけではないのです。
自分が「当たり前にやらない」と思っていたことも、風潮だけで平気でやれるようになる。
ということを言いたいのです。
ダイエットしかり、英語の勉強しかり、続けられないのは風潮に、慣習にしていなからですね。
そして人を操るならまずは環境から。
そういったことがわかります。


「墓石にしょんべんをぶっかける」

一見、こんな不毛なことでもしっかり考えると、案外大事なことがわかったりします。
人生何についても議論するべきですね。
今回は以上。
おまけもぜひ読んで下さい。
それでは。







↓↓↓↓↓↓おまけ↓↓↓↓↓↓






おまけ
これで私の言っていることに何かしら納得感を得てしまった人は、マジで詐欺に気をつけて下さいね。
気持ちで行動しています。もっと指針を持って。
なんだ墓石にしょんべんって。
もっと有意義なこと考えろ。
なんか、こう、政治のこととか。
しらんけど。(すべてぶん投げ)

サポートという機能があるのに初めて気づきました。みなさんもそうだと思うのでぜひ私のエッセイで試してよいですよ。お願いします。