百貨店ストライキと、やなせたかし
ご覧いただきありがとうございます。
今日は、60年前の百貨店ストライキの現場に
やなせたかしさんがいたよ、というエッセイを書きました。
ストライキとは無縁そうですが、実際はどうだったのでしょうか。
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「大手百貨店のストライキは60年ぶり」
西武池袋本店ストライキの報道をみて、
もしかして…と気になった。
60年前にストライキをおこなった百貨店
60年前に行われたストライキが
三越で行われたものだとしたら、ちょうど
やなせたかしも働いていた頃だ。
最後にストライキが行われた百貨店はどこだろう。
その答えは、9月2日付けの新聞に出ていた。
「三越のストには、やなせたかしもございます」
前回ストライキを行った大手百貨店は三越。
やなせたかしはちょうど社員として働いていて、
このときのことは自叙伝にも登場する。
「三越のストには、やなせたかしもございます」だったのだ。
当時、たかしは入社5年目。
日本橋三越本店の宣伝部でデザイナーとして働き、
穏やかなサラリーマン人生を続けるか、
退職してフリーランスになるかで悩んでいた。
当時の人は、百貨店のストライキをどう受け止めたのだろう。
「三越には、ストもございます」
「三越にはストライキもあります」
文字だけだと、そこまでネガティブな印象は受けない。
たかしはどれくらい、三越のストライキに関わっていたのか。
自叙伝の記述だけではわからないけれど、
当事者の描写からは、労働運動の独特な空気が伝わってくる。
ストライキの結果
しばらく残ったという「傷」は、どんなものだったのだろう。
このストライキがきっかけとなり、たかしは三越を辞めた。
辞めたことで、アンパンマン誕生に一歩近づいた。
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西武池袋本店のストライキに思うこと
西武池袋本店のストライキの報道を観ながら、
そごうが経営破綻したときのことを思い出した。
20年以上前、多摩そごうというデパートで従業員が締め出されている、
という速報が流れた。
上空からの映像で、入り口にはたくさんの人が集まっていた。
みんな行ったり来たりしていた。
どれほどショックだっただろう。
会社が経営破綻を知らせなかったため、
いつも通りに従業員は出勤し、お客さんは買い物に来た。
インタビューに答えた人たちの呆然とした表情を、
今でも覚えている。
デパートに楽しい思い出がある人はたくさんいるだろう。
あまり買い物をしないのに勝手だけれど、
デパートの雇用は守られてほしい。
売却決定の報道を苦しい気持ちで見ている。
涼しくなったら、たかしの勤務先だった日本橋三越に行こう。
猪熊弦一郎画伯のデザインに、やなせたかしが「MITSUKOSHI」の文字をレタリングした夢のような包装紙「華ひらく」でなにを包んでもらおうか。
やはりデパートは必要だ。
そこに行くというだけで心が躍るのだから。
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今日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
やなせたかしさんの自叙伝は、
何度読んでもおもしろいです。
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