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【SS】『詩とメルヘン』の忘れもの

 『詩とメルヘン』は、やなせたかしが責任編集をしていた雑誌で、1973年(昭和48年)に創刊された。古い雑誌なので普通には手に入らない。読みたければ、古本屋やメルカリを介して、誰かから譲ってもらうしかない。

 ある休みの日、譲ってもらった『詩とメルヘン』を整理していると、一冊から小さな紙切れが出てきた。それは、ある書店の納品書で、日付は昭和53年3月10日、宛名には高校名と苗字が書いてあった。

 こういう忘れものは大歓迎で、さっそく調べてみると、高校は廃校していたものの、書店は健在だった。高校や図書室の所有であることを示す印鑑やシールはないから、おそらく買ったのは個人だろう。生徒か、教職員か、さあどっちだろう。

 「どうしてそんなことが気になるかねぇ、調べたって意味ないのに」

 そうだ、意味なんてない。私がそこにおもしろさを感じるだけ。図書館で借りた本にはさまったままのレシート、あれも好きだ。貸し出された本のタイトルから、利用者の人物像を想像するのが楽しい。たとえ答え合わせができなくても、楽しい。

 次のヒントは数号後で見つかった。ある女性作家の詩を書き写した便せんとルーズリーフが出てきた。詩のチョイスと筆跡からして女性。なんとなく高校生のような気がする(違ったらすみません)。彼女が選んだ2つの詩はどちらも「センチメンタル」な気持ちにさせる作品だった。彼女もそういう気分だったのだろう。わかるよ、青春だもの。作品のひとつは、その号には掲載されていないものだった。おまけをもらったような得した気分だ。

 忘れもの入りの『詩とメルヘン』を譲ってくれた人は男性で、書店や高校と同じ県に住んでいる。彼は『詩とメルヘン』にも、やなせたかしにもまったく興味がない様子だったので、おそらく忘れものの主は彼の親族だろう。お元気にしているといい。忘れものを元に戻し、最初から読みなおして異変に気付いた。

「ない!」
「風の広場が半ページ切り取られて、ない。なんで?」

 風の広場は、読者のお便り紹介コーナーで、感想や自作の詩集の紹介など、読者が自由に発信する場だ。年齢も性別も職業もバラバラの人たちが『詩とメルヘン』を通して和気あいあいとしているのがとてもいい。正直にいうと、やなせたかしの動向よりも読むのを楽しみにしているコーナーなのに、なんてこった!

 譲ってもらった7冊のうち、4冊に切り取りがあった。風の広場ばかり。知り合いの投稿が載ったからあげたとか?それとも気に入らない投稿が載っていたとか?それとも直前の作品「鳥が逃げた日」(生路洋子&東逸子)、「迷路城の兎」(やなせたかし)、「私の四行詩集」(岸田衿子&安野光雄)、「チョコレット」(稲垣足穂&佐々木マキ)が理由なのかな?どうなんだい、推定女子高生?問いかけたところで、答えはもちろん返ってこない。

 彼に尋ねるという方法もあるけれど、思いとどまった。一冊だけ、推定女子高生からのメッセージが書かれていたのだ。書き込みというと嫌がる人もいるかもしれないけれど、『詩とメルヘン』のコンセプトは「ギフト」であり、最後のページはメッセージカード仕様になっている。「あなたの言葉をそえてこのギフトマガジンを親しい方にお送りください。」という一文がたかしのイラストとともに添えられているのだ。だから書いていい。むしろ書いていい。

出会いと別れは
    とても仲の良い友達同士です

Judyより

 すてきな言葉をありがとう、Judy!この『詩とメルヘン』と一緒に、あなたの言葉も大切にするよ。どうかお元気で。心の中で返信した。なにかのカタチで届いても届かなくても、どっちでもいい。

 こういう偶然の出会いがあるから、意味がなくて無駄なことばかりしたくなる。来週また同じ人から『詩とメルヘン』が届く。わくわくして仕方がない。また忘れものがありますように。

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