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⚽⚽⚽1993年のJリーグ開幕を当時の私は新潟の大学に通いながら迎えました
Jリーグ30周年おめでとうございます。私もサッカーファンの端くれですので、何か30周年に関することをnoteで書きたいと思いました。そこで選んだテーマが、「1993年のJリーグ開幕を迎えた新潟県民」です。30年前の私は、今の状況を全く予想できませんでした。
トップ画面出典:https://www.jleague.jp/
Jリーグはテレビの向こう側の世界でした
日本がW杯に出場するためには国内でプロリーグが必要だと考えられたため、Jリーグが創設されたと記憶しています。1990年に、ブラジルの1部リーグで活躍していたカズ(三浦知良)選手が帰国して読売クラブに入団して、後のヴェルディ川崎(今の東京ヴェルディ)黄金時代の礎を築きました。1992年になると、日本代表が初めてアジアカップで優勝して、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)もリーグ戦に先立って行われました。
1993年のJリーグ開幕を、私はとても興奮して迎えていたのを今も記憶しています。Jリーグ開幕に向けて、世の中の時間が流れていたとすら感じていたくらいです。さらに、私はもともとスポーツ観戦が好きで、サッカーという選択肢が増えることを素直に喜んでいました。当時はプロ野球・プロゴルフ・大相撲くらいしか、プロスポーツと呼べるものはありませんでした(競馬や競輪などもあるにはあったのですが)。
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今思い出しても、Jリーグ最初の試合はきらびやかでしたね。TUBEの春畑道哉さんがレーザー光線に囲まれながらアンセムをギターで演奏して、その後ろからJリーグのマスコットが巨大バルーンになって立ち上がったり(トップ画像のやつ)。旧国立競技場で満杯になったサポーターが、あちこちでチアホーンを吹き鳴らしていましたね。「うるせー」ってことで、チアホーンはすぐに禁止されたけど。
実を言うと、私はその試合の様子をあまり覚えていません。当時はまだサッカーをそれほど真剣に見ていなくて。Jリーグ初ゴールを決めたヴェルディのマイヤー選手や、マリノスの2得点を挙げたエバートン選手とディアス選手もよく知らなかったですね。「あぁマリノス勝ったなぁ」くらいしか、感想としては出てこなかったはず。
でも、当時の私はそれでも非常に満足していました。「これから凄いことが続くぞ〜」というワクワク感でいっぱいでしたよ。そう思ったのは私だけではなかったようで、1993年の日本はJリーグ誕生に沸いていたはずです。何が起きていたのか、30年前の記憶を辿っていくと、
同じ節の5試合(当時は10チーム制)のうち、3試合が民放でゴールデンタイムに全国で生中継されていた
リーグ戦全試合が1試合ずつフルパッケージでVHSに収録され、レンタルビデオ屋でそれを借りて試合を見られた
フランチャイズでも何でもない田舎でも、普通に10クラブのグッズがコンビニなどで買えた(ミニフラッグ・菓子・トランプなど)
1993年の新語・流行語大賞が「Jリーグ」だった
などと、今では考えられないほどでした。新潟だと、日テレ系列のTNN(テレビ新潟・現TeNY)でヴェルディ戦・TBS系列のBSN(新潟放送)でマリノス戦・フジ系列のNST(新潟総合テレビ)でエスパルス戦、って感じで同時に3試合が生中継されていたような。今じゃアルビの試合でも、19時からUX(新潟テレビ21)ってのはありえないですからね。
そういった感じで、新潟でも初年度のJリーグを享受できましたが、所詮はテレビの向こう側の世界でしたからね。当時の新潟県は「スポーツ後進県」だったからです。今でこそ、日本文理(野球)・帝京長岡(サッカー)・開志国際(バスケ)などが高校スポーツで好成績を挙げていますが、当時は新潟代表が甲子園やインターハイで1回戦負けは当たり前でした。「新潟でJリーグ」だなんて、想像できませんでしたよ。
ジェフとヴェルディが新潟に来るだとぉ!?
新潟でJリーグをテレビで見てはいたものの、やっぱり生で観戦したいなとは常に思っていました。新潟からだと、首都圏に出ればその機会はいくらでもありましたが、当時の私は貧乏学生。交通費とチケット代を捻出する余裕などありませんでした。「Jリーグはテレビで見るもの」と割り切っていました。
ところが、1993年にJリーグを新潟で見られるかもしれないという情報が、私の元に舞い込んだのです。それは、ナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)が新潟で開催されるということ。9月15日に、新潟市陸上競技場でジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)vsヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の試合が行われるというものです。大会名も、そして両クラブの名称やディビジョンも現在とは変わっており、30年という月日の流れを感じさせます。
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そういえば、1993年9月15日は水曜日で、新潟での試合は昼からだったんですね。まだ当時は全ての祝日が日付固定で(今だと月曜日に移動するよう変わりました)、その日は敬老の日でお休みだったんです。なので、観戦するには何の問題もなかった。とはいえ、大学生だったから毎日暇みたいなものでしたけど(笑)。
その試合のチケットですが、なんと新潟駅のみどりの窓口で販売するとのこと。チケットは、まだコンビニとかで気軽に買えるものではありませんでした。JEF市原の「JE」が「JR East」なので、当時の私はみどりの窓口での販売に納得していましたけど。「どのくらいみどりの窓口に人が並ぶのだろうかね〜?」って、友人とはその話でもちきりでしたね。
当時の私には、いっちょ前に親しい女性がおりまして。すぐにその方へ話しましたよ。「明日朝イチで新潟駅に行って並んでくるわ」「じゃあチケット取れたら行きましょ」なんて具合に。もちろん、下心はありましたよ(笑)。
しかし、チケット発売の前日に、残念なお知らせが私の耳に飛び込みます。なんと、発売前夜にして、既にみどりの窓口には長蛇の列ができていたよう
です。そのことを聞いて、私はサッカー観戦(と例の女性とどうにかなること)を諦めました。欲望丸出しでは、物事ってうまくいかないものですね(笑)。
それくらいに、1993年ってJリーグで世の中が沸き返っていたんです。新潟県も例外ではなかったんですね。でも、しばらく私にとっては、「Jリーグは画面の向こう側の世界」でした。初めてのJリーグ観戦は、それから6年の歳月を要します。(1999年のことも、いつかnoteで書きたいですね。)
新潟でJリーグなんて無縁だと思っていたのに
1993年当時の新潟県は、実はサッカーとは無縁だったわけではなく、2002年のW杯の招致に力を入れていました。招致活動の一環でセルジオ越後さんが新潟にトーク・ショーで訪れて(今は無き新潟三越だったはず)、私はそれを聞きに行ったんです。「サッカーはファミコンと同じ」「ファミコンみたいにたくさん遊べばサッカーも同じように上達する」といったことを話しておられました。さすがは少年サッカーの普及活動に尽力されていたセルジオさんですが、「ファミコン」ってところが1993年っぽいですね。
新潟県へのW杯招致とともに、「新潟にプロサッカークラブを設立する」という機運が醸成されたんです。新潟のサッカークラブといえば、当時は新潟イレブンが毎年天皇杯で初戦敗退する程度でしかありませんでした。その新潟イレブンが母体となって、アルビレオ新潟が生まれたのです。今のアルビレックス新潟ですね。
アルビレオ新潟の監督になったのが、フランツ・ファン・バルコムさんというオランダ人でした。ご存じの方もいるかと思われますが、バルコムさんは1993年のJリーグ開幕戦で、ヴェルディ川崎のヘッドコーチとして松木安太郎監督に仕えていました。画面の向こう側にいた人が、新潟に来たくれた感激たるや。松木さんも現在は年1ペースでアルビの試合中継(ローカル局)で新潟に来てくれますので、あの日にテレビで見ていた人が複数アルビに関わってくれていることになります。
さらに、1998年にアルビレックス新潟がJFLに昇格して、永井良和監督が就任しました。永井監督といえば、元日本代表で『赤き血のイレブン』の主人公のモデルだったりしますが、1993年にはジェフ市原の監督だったんですね。つまり、永井監督は私が行きたかったけど行けなかった試合(ナビスコ杯・ジェフvsヴェルディ)で新潟に来ていたのです。私は1999年に、生で永井監督を見ることになります。
ついでに言うなら、当時のジェフの主力には宮澤ミッシェル選手がいたんですね。今ではサッカー解説者の宮澤ミシェルさんですが、まさかアルビOBでもないのに、アルビの試合中継に多く関わるようになるとは。月1で「ミシェルが斬る」が当たり前になったからなぁ〜。
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21世紀になってからのアルビは、説明不要かもしれませんね。
2001年:反町康治監督就任・ビッグスワン竣工
2002年:日韓W杯(日本での最初の試合がビッグスワンで行われる)
2003年:アルビレックス新潟J2優勝・J1昇格「新潟最高」
と、新潟県内はサッカー熱に浮かされることになります。一時は浦和レッズを上回る観客動員数を記録していましたからね。その後、アルビにいろいろなことが起きましたが、なんだかんだでJリーグ30周年をトップディビジョンで迎えられました。一言で済ませるなら、私のサッカーライフは「とても幸せ」です。
おしまいに
2023年5月14日、アルビレックス新潟は、前年のJ1王者で最初のJリーグ勝利クラブでもある横浜F・マリノスと対戦。2対1で勝ちました。30年前は影も形もなかったサッカークラブが、Jリーグ屈指の強豪に正面から挑んで勝ったのです。それこそが、Jリーグ30年の歴史の重みではないでしょうか。
よく「Jリーグはチーム数が多すぎる」なんて戯言を聞きますが、今年のアルビを見て、その考えを改めてもらえるといいですね。アルビって、去年までの5年間はJ2だったんですよ。それほど選手補強しなかった昨年のJ2王者が、昨年のJ1王者に真っ向勝負して勝ったんです。そういうことが起こせたのなら、J2やJ3の存在は決して無駄ではないってことですよね。
私はたまたま新潟県で生まれ育ち、アルビレックス新潟という奇跡に立ち会える幸運に恵まれました。奇跡を目の当たりに出来た当事者からすると、「これはどこでも起こりうること」だと認識しています。人々の熱意や努力、それにちょっとした歯車の噛み合わせで、奇跡は起こるものです。身近にJリーグがあるのって、とても幸せですよね!!