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ロード・オブ・ザ・リング 3作

ヨーロッパでは、12月26日もほとんどの国で祝日である(今年は日曜だけれど)。ドイツでは「Zweite Weihnachtsfeiertag(クリスマス第二日)」とか「 Stefanitag」または「 Stefantag」とも呼ばれていて、英語圏では「Boxing day」となる。今年は私は全く「クリスマス感」も「年の瀬感」も感じない。なぜだろう。


ホビット3作について書いたため、こちらも記録。超大作には変わりないが、個人的にはロード・オブ・ザ・リング3作よりホビットの方が好き。

日本語サブのついた良い予告編の動画が見つからなかったので、全てサブなし↓   もう20年も経つのだねぇ・・・。

『The Fellowship of the Ring』


『二つの塔』


『王の帰還』

最後は「よかったね~」と感動しつつも、なぜガンダルフの呼ぶ大鷲グワイヒアで最初から目的地に運んであげなかったのか、、、と誰でも持つ疑問を私も感じた。大鷲の助けがあったらこの大作はストーリーとしてそもそも成り立たないけれど(笑)。そして、フロドしか指輪の重荷に耐えられるような魂を持つ者がいなかったのだろう。ガンダルフでさえ、それを持つことを拒否したのだ。

ビルボ・バギンズでさえ、老いてもなおあの指輪を再びひと目見たいと懇願していたし、最初から最後まで、ゴラムは指輪一筋で自分の中の光と闇を戦わせていたのが切ない。水面に写った自分とひたすら対話していたところなど、憎めない。

イライジャ・ウッドは全くホビット感のない演技だったけれど、ホビットが年令に関わらず持ち続けるあどけなさというものは、敢えて見せないようにしたのだろうか。

この作品に出てくる数々の高潔な魂の中でも、個人的にはエルフ一族が好きだ。個々に自分なりの高貴な考えを持ち、相手に干渉し過ぎないところ。レゴラスは自ら一族から離れてアウトローになってしまったけれど、飄々として目的に進むところが良い。そして終盤仲良しになったドワーフのギムリもそうだが、戦に出向くことを献身とか自己犠牲とはあまり思っていない。ホビットでもロード・オブ・ザ・リングでも、エルフの軍隊が援助にやってきたシーンでは、イエ~イ!と思った。

ピーター・ジャクソン監督はインタビューで、「自分の観たいと思う作品を創っている」と述べて、映画には現実からの逃避を求めており、全く違う世界に行けるようなファンタジーを創りたいし、観る人にもそういう体験をしてほしいと言っていた。

全く違う世界というのは、同時に存在していて、ただ普通の人間にはそれを知覚する能力がない(能力が眠ったままになっている、あるいは無意識に自分で封印している)だけ、と考えるのが私は好きだ。そして今の子供たち、あるいはこれから生まれる子供たちにはその能力が開いている子もいる。突拍子もないことを言っているように思えても、子供の見ている世界は、自分が知覚できるよりずっと広いかも知れないと心に留めるべきだ。


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